映画 「めいとこねこバス」

molmot2005-07-10

109)「めいとこねこバス」 (三鷹の森ジブリ美術館) ☆☆☆☆

2002年 日本 スタジオジブリ カラー ヴィスタ 14分 
監督/宮崎駿     脚本/宮崎駿     声の出演/坂本千夏 斎藤志郎 大滝寛 徳丸伸二 高橋耕次郎

 あれは、「ホーホケキョ となりの山田くん」が公開された頃だから、1999年頃か。ジブリの次回作は庵野秀明が手掛ける、又宮崎駿は「となりのトトロ2」をやるらしい、などという噂が実しやかに語られた。実際片方のアニメ企画は中止になったにせよ、双方真実であったわけだが、いくらなんでも「となりのトトロ2」はあり得ないだろうと思っていた。しかし、ジブリ美術館を建設し、館内で流す短編アニメの中に「となりのトトロ2」とも言うべき「めいとこねこバス」が含まれていたので、全て納得がいった。
 公開から3年にして、ようやく観る機会を得た「めいとこねこバス」だが、前回観た「くじらとり」も素晴らしかったが、今回はそれ以上に良かった。こんな質の高いものが、ジブリ美術館でしか観られないのは贅沢というよりも、空恐ろしくなる。
 本作は「となりのトトロ」から3ヵ月後という設定だそうである。前作同様のタイトルバックを経て、懐かしい五月とメイの家が映されるが、まずは秋という設定が物珍しい。何せ、前作は初夏から夏にかけての物語だったので、秋の描写の珍しさに目を引かれる内にメイが登場し、何気ない幼児の仕草、動作が恐ろしいまでに描き出されていて、そのことに既に涙腺が緩みかける。殊にキャラメルを開けて、口に入れる動きの素晴らしさ。
 庭で遊ぶメイを、つむじ風が襲い、室内に逃げ込むも、つむじ風は尚も追ってくる。この非現実にすんなり入り込ませてしまう宮崎駿の手腕には参る。メイがつむじ風を捕まえると、途端にネコバスが現れる。この時の視覚的衝撃は、純粋に驚く。そのネコバスが、こねこバスなのが良い。ここからのメイと、こねこバスとのやりとり、こねこバスの仕草、メイがキャラメルを渡し、舐めるこねこバスの可愛らしさなど挙げていけばきりがない。又、こういったやりとりの中で、前作に比してメイの成長が伺える。このシチュエーションの最後は、前作にも登場したノーマルタイプのねこバスが登場し(恐らく親子なのだろう)、メイが窓を開けると、こねこバスは、ねこバスを追って空高く消えていく。
 夜、寝ている五月とメイを俯瞰で捉えたショットとなるが、肝心なのは五月が登場することだが、本作では一切声は出していない。こねこバスがやって来て、メイは窓からこねこバスに乗り込む。この小さなこねこバスにメイが乗るというのが素晴らしい。「パンダコパンダ 雨ふりサーカス」で洪水の後、ベッドを浮かべて舟代わりにするシーンと並ぶ高揚感が味わえる。そこからの疾走、そして浮遊、飛行シーンと続くと、もう無闇に泣けてくる。本作の飛行シーンの素晴らしさは、宮崎作品中でも屈指のものだ。その後は、宮崎駿の過剰さにひたすら驚かされる。こねこバスと併走するねこバスに、目一杯トトロが乗っているのである。こんなに居るとは思わなかった、これが最後の一匹とは思えないという志村喬の科白が脳内に聞こえてくる内に、画面には例の森に大量のねこバスやらねこ列車やらが方々からやって来ている。中に乗っているのはトトロだらけ。これには心底驚いたが、こんなことをすれば下手すれば、前作の感動を壊しかねないと思うが、全くそうはならないのが凄い。
 森に降りたメイの周りを、トトロもどきが大量に通り過ぎていく奇妙さと、その中から、糸井重里の持ち去られた傘をさして歩いてくるモノが見えー、メイが走りより、飛びついた先にはトトロが居るという、この再会シーンには、周りにガキが大量に居るというのに、年甲斐もなく泣けた。
 興味深いのは、トトロもどきが乗っていく大きなネコが、ねこばあちゃんと呼ばれるものなのだが、その行き先には『風浄土』と書かれていることで、これが死後の世界へと連れて行くバスであることがわかる。この辺りのテイストは、本作の前後に制作されていた「千と千尋の神隠し」に非常に近く、このバスは千尋が働く湯屋に行くに違いないと思わせる。
 ねこばあちゃんが飛行していくのをトトロとメイが見送るのだが、このねこばあちゃんがまた、飛行艇みたいになっていて笑えた。
 ラストは、メイが再びこねこバスに乗り込み、家に帰っていく。
 この作品の最大にして唯一の欠点は、僅か14分しかないことで、エンドレスで見ていたい気分になる。
 それにしても14年ぶりの続編でありながら、前作を傷つけるどころか、前作のケツに追加しても違和感が無いほど素晴らしい傑作だ。
 「となりのトトロ」自体、初期は姉妹のハナシではなく、女の子一人のハナシとして企画されていたので、本作はむしろオリジナルに近い形なのかもしれない。
 何度でも繰り返し観たいし、多くの子供に見せたいと関係者でもないのに思わせる秀作なので、DVD化が望まれる。
 

深作健太監督第三作・脚本担当は押井守


 第5回日本エンジェル大賞の佳作に深作健太の「エルの乱(仮題)」が選ばれたことは知っていた。
 で、その脚本担当が、何と押井守と言うのだから驚く。サイト上に載っているあらすじは以下の通り。

■あらすじ
近未来―。別の歴史の歩みを刻んだもうひとつの日本。奇跡的な高度経済成長による急激な経済再編成が生み出した大量の失業者、そして隣国からの難民。彼らによる幾多の騒乱は、警察軍<首都警>により制圧された。それから3年−、構造改革の名の下に広がる経済格差、矛盾したまま進む都市部のハイテク化とスラム化。ある日、羽田沖に設置されたゲットーに1人の男が現れる。彼は卓越したリーダーシップで難民を組織化していき、難民2世の少女は、その男の姿にかつての指導者である父親の面影をみる。そんな時、自然発生した暴動が、絶望的な武装蜂起へとエスカレートしていった。封鎖された橋に姿を現す<首都警>の装甲車。ヘリから降下を開始する特殊部隊。そして鏖殺の銃声が居住区に響く…。


 と聞けば、当然ケルベロスシリーズを想起させずにはいられないが、記事中に『13年前に大阪で起きた暴動事件をモチーフに、親子で温めていた企画』とあるように、奥山和由プロデュース、深作欣二監督、野沢尚脚本で進められていた西成暴動を描いた「その男たち、凶暴につき」、最終稿タイトル「かくて神々は笑いき」が元ネタである。萩原健一、水谷豊共演で企画されていた筈だが、ロケハンで見つけた米軍基地関連施設が突如使用不可になるなどして中止となり、結局平行して企画されていた「いつかギラギラする日」が映画化された。
 野沢尚はその後も「かくて神々は笑いき」には随分拘っていた様で、映画化の機運を探ったり、小説化したいと語っていたようだが、実際には実現していない筈である。もっとも「その男、凶暴につき」を野沢尚のオリジナルに近い形で小説化した「烈火の月」は発表しているが。
 深作健太がその後、この企画を継承して進めていたことは、「映画秘宝 4月号」で磯田勉氏が「いつかギラギラする日2」の存在を明らかにし(室賀厚の「SCORE」が一時期「いつかギラギラする日2」になりかけていたハナシとは関係ない)、その内容が「かくて神々は笑いき」の主人公を女性に置き換えた版であることが書かれていたが、この企画も実現しなかった。確か主演の女性候補柴崎コウだった筈。
 以上のことから、第5回日本エンジェル大賞の佳作に深作健太の「エルの乱(仮題)」が選ばれ、その内容が正にそれだったことから嬉しくなり、これで映画化の可能性が少しでも開ければ、と思っていたところへの脚本を押井守が担当するという報には驚いた。
 個人的には未だ見ぬ野沢尚脚本での映画化への思いはどうしてもあるが、押井守に頼んでしまうところが、いかにも深作健太と言うか何と言うか‥深作健太のアニメ好きはBRシリーズで十分わかったし、「最終兵器彼女」は深作健太がやると思っていたぐらいだ。
 ま、深作健太に無理矢理野沢尚脚本でやらせるよりも、押井守脚本の方がやりやすいではあろうし、「人狼」の出来を思えば悪くないハナシかも知れない。
 ともあれ、押井守に『欣二監督の映画を見て胸を熱くした世代として、やる以上は日本映画離れしたものを作り、健太を男にしたい』などと言わせてしまう、父親からの恩恵を目一杯受けられる幸福な監督なのだから、是非とも骨太な作品にしてもらいたい。

※上の写真は深作&拓ぼんJr。この二人で「県警対組織暴力」の取調べシーンを再現してもらいたい。