『童貞の教室』

(5)『童貞の教室』松江哲明

 タイトルが『童貞の教室』で、パッと開いてみると、映画『童貞。をプロデュース』のあらすじが長々と書いてあったりすると、この作品を観ていない読者には良いが、第1回ガンダーラ映画祭から『童貞。をプロデュース』を観てきた身からすれば、流石にもう童貞童貞と言われるのも少々飽きてきたというのが正直なところで、いくら松江哲明の新著とは言え、『童貞。をプロファイル』に続いて今度も童貞と来れば、果たして面白いかどうか疑問だった。
 しかし、『童貞。をプロデュース』の解説部分たる第一章(本文中では1時間目と書かれている)を過ぎて、2時間目以降は松江哲明自身の中学・高校時代から映画学校へ、そして『あんにょんキムチ』で一躍世間に出ていく過程を、“童貞”という目線から綴った自叙伝的趣もあり、また、本書が「よりみちパン!セ」のシリーズから刊行されていることもあって、中高生向きの文体で書かれていることと合わせて、松江の初の著書となった『あんにょんキムチ』が児童書として書かれていたことも相まって、その続編的構造を持った書にも思えた。そうなると、既に童貞には食傷気味だった自分のような読者にも、やたらと面白くなってくる。つまり分かりやすいように若松孝二に例えて言うと、『俺は手を汚す』と『時効なし』の関係みたいなものだ。
 全体の印象は『アイデン&ティティ』や『グミ・チョコレート・パイン』みたいなカッコ悪いけど魅力的な青春モノで、実際のところ、映画化されたって不思議ではないほど読んでいて楽しかった。古泉智浩の漫画も良いし(松江哲明が漫画化されているということに驚いたり、笑ったりするが)。本当は自分が中学生ぐらいの頃に本書を読むことができていれば良かったのにと思ったが、一方で世代がほぼ同じなせいで、映画が好きなあの頃の中高生の過ちが随分とツボに来た。デートに誘う映画が『まあだだよ』だったせいで即断られたり、最後のデートで観た映画が『スポーン』だったとか(カイル・クーパーのタイトルしか良いところがない映画だったな)、笑えた。
 この手のエピソードはよくあるのだ。『ボディガート』を観たいと言ってたのに、こっちの方が絶対出来が良いからと『マルコムX』に連れて行ったとか(本書にも出てくるが自分もマルコムXの帽子被ってたな。田舎で黒人いないから、あんなことされてないが)、初めてのデートが『どら平太』や『愛のコリーダ2000』だったとか、今思い返しても明らかに選択を間違えた経験を、読んでいて思い出した。
 それから、本書に書かれていたエピソードで深く納得したことがある。免許を取ったばかりの19歳の松江青年は、大阪の鶴橋まで車でやって来る。『あんにょんキムチ』の撮影前に、日本最大のコリアンタウンをはじめて訪れて宿も取らず、街を徘徊する。この旅にも童貞監督に相応しい何ともドラマチックなエピソードが付随してくるが、それは本書に当たってもらいたい。この時期に松江哲明が鶴橋に来ていたことを、はじめて知ったのだが、それで深く納得したのが、後に製作された『Identity』(セキ☆ララ)の鶴橋のシーンだ。自分は大学が大阪だったので、大阪で一人暮らしを始めて最初に住んだのが鶴橋の隣の桃谷だった。ごく近いので、桃谷もコリアンタウンの雰囲気は濃厚だったし、鶴橋までよく自転車で出かけていた。だから街の雰囲気や空気は知っていたので、『Identity』(セキ☆ララ)を観た時、東京出身の松江監督が何故、鶴橋を映像で収める時によくある観光地的お決まりのアングルではなく、街に馴染んだ撮り方ができているのか不思議だった。だから、この時期に鶴橋を訪れていたことに驚き、納得した。
 そんな個人的な感慨は兎も角として、本書は普遍的な青春モノになっていて、童貞童貞と連呼されてはいるものの、それが煩くないのが良かった。幅広い世代がそれぞれの視点で受け止めて読むことができる書になっていると思う。

童貞の教室 (よりみちパン!セ)

童貞の教室 (よりみちパン!セ)