山城新伍死去

 俳優の山城新伍氏が亡くなった。70歳だった。
 自分の世代では俳優としてよりもタレントとしての認識の方が早かった。それも今から思えばタレント時代最後のピーク時を見ていたので、以前10歳ほど年下の人と話すともうタレントとしての山城新伍を知らないことに愕然としたことがある。実際、訃報を受けてもあの山城新伍なのに、テレビ新聞含めて扱いが小さいのは何とも寂しい。
 TBSの昼オビ『新伍のお待ちどおさま』の司会者というのが幼稚園児頃の自分の最初の認識ではなかったか。それからサンテレビの『火曜洋画劇場』の解説者として。ここでは大半がB級映画ばかりを放送してくれたお陰で随分と映画への見聞を広めることができた。もっとも山城新伍はあまりにB級C級映画ばかり放送するので、かなり不機嫌そうではあったが。ごくたまにヒッチコックの『鳥』なんかを放送したり、大晦日に山城のベスト1作品『荒野の決闘』を放送した時は全身からヨロコビが伝わってくるようだった。「またヒッチコックやりましょうね」「ジョン・フォードまたやりたいですね」と最後に嬉しそうな顔で言っていたが、その後、同監督作が放送されることはなかったように思う。
 俳優としての山城新伍を意識したのは『ハチ公物語』からだ。その前に『キネマの天地』で観ていたようにも思うが、前者での駅前の焼き鳥屋のオヤジ役は絶品だった。この頃だったか、どうも山城新伍は演技への力の入れ様が作品に応じて異なるという丹波哲郎同様の法則を発見した。どうでもいいドラマなどではタレント時と変わらない喋り方で、ようは演技なんぞやってない。その上、眼鏡をかけたまま出演している。その意味で、『ハチ公物語』は未だにただの畜生映画としてしか扱われていないが、新藤兼人の優れた脚本を得て丁寧に作られた佳作だったが、そういった作品への山城新伍の向き合い方は正に俳優のそれであった。偶然つい数日前にテレビ放送していたのを途中から眺めた際にも改めて山城の演技に見入った。
 それから、映画監督としての山城新伍も忘れ難い。はじめて観たのは『せんせい』で、今から思えば松方弘樹、梅宮辰夫、千葉真一渡瀬恒彦北大路欣也が共演した豪華すぎる映画だが、やくざ映画も観たことが無い小学生の自分にとっては作品が面白そうだから観に行ったのだ。その後の『本日またまた休診なり』も古めかしいが撮影所技術の伝統を小さいながらも受け継ぐ丁寧に作られた作品だった。
 故・田山力哉が山城のタレント時代全盛期に週刊誌やキネ旬の連載で何度も「テレビの害虫・山城新伍」と攻撃していたのも懐かしい。それから、このところ『温泉みみず芸者』『温泉スッポン芸者』『温泉おさな芸者』『東京ふんどし芸者』に出演する山城新伍を続け様に観ていて、その何ともいいかげんで軽妙な存在感がやはり素晴らしいと感嘆していたところだ。鈴木則文作品でも常連だったが、先般ニュープリントが焼かれた『すいばれ一家 男になりたい』が忘れ難い。そして『スウィートホーム』で黒沢清の監督作にも主演しているのだ。野田幸男深作欣二鈴木則文から黒沢清まで、そのフィルモグラフィーは多様だ。
 和田誠との対談で、山城新伍は忙しいさ中にも映画館で年間最低100本は観ていると語っていたが、映画が好きで、神経質そうで京都人らしい、何ともいちびったオッサンだった。