『SWITCH vol.28 No.2(スイッチ2010年2月号)特集:闘う、大島渚』
かつて、雑誌というのはもっと面白いものだったと思う。おっ、と思わせる特集が前月号の巻末に告知されて、心待ちにして一月過ごすというような。もっとも90年代に入ってから意識して雑誌を買う年齢になったので、それ以前の世代の人からは、この程度で良いと言っていてはと言われてしまう。何せ『宝島』と言えば『別冊宝島』か『宝島30』しか知らないという世代なので。
節操が無いと言うか、『スタジオ・ボイス』も買えば『CUT』も『SWITCH』も特集によれば買っていたので、今でも立ち読みはするのだが、とんと買わなくなってしまった。『SWITCH』を最後に買ったのは「特集・パーソナル・ビジュアル・アーカイブ」という6年ほど前の映像個人所蔵をめぐるものだったかと思うが、その後は食指が動かなかった。というのも驚きがなくなったからだ。今、これをメインの特集で組むか?と思うような大胆さや、よくこんなマニアックな特集を、と感嘆させてくれたりすることが少なくなってしまった。
それだけに、『SWITCH』の前号巻末で次号特集「闘う、大島渚」と書いてあるのを見つけた時は、久々に期待した。いくら紀伊國屋からDVD-BOXのリリースが始まり、昨年のPFFでも特別上映され、著作集が編まれるなど再評価の機運が高まっていると言っても、研究本(今年は四方田犬彦の『大島渚と日本人』が単行本化される)や『ユリイカ』あたりで特集は組めても、一般の雑誌では今はもう難しいだろうと思っていたからだ。
一読しての感想は、大島渚入門書としては良いのではないだろうか。インタビューなどはこれまでにも語られてきたエピソードが多いだけに新たな発見は少なかったが、昨年のぴあフィルムフェスティバルで行われた大島渚講座を収録したことは評価されるべきだろう。殊に黒沢清による『日本春歌考』と『絞死刑』を中心にした講義は、これまで画一的に観られていた作品に新たな視点を与え、若い観客層に大島を再発見させる契機になったと思うだけに、活字化を願っていた者としては嬉しい。実際、現在フィルムセンターで行われている特集「映画監督 大島渚」には若い観客層がこれまでに比べれば多く目にするし、個人的にも偏愛しているものの、顧みられる機会の少ない『日本春歌考』へ注目が集まったことは良かった。
それから冨永昌敬監督による全作解説も良い。内容の充実だけを言うなら、佐藤忠男や松田政男を筆頭とする先人の評論家が書いたものの方が良い。しかし、ここで重要なのは、冨永昌敬がリアルタイムで観ることができた新作は『御法度』であるという事実だ。70年代中盤以降に生まれた者の大半は、生まれていたとは言え、『戦場のメリークリスマス』も『マックス、モン・アムール』も公開時に劇場で観ていない。ようやく間に合った新作が『御法度』なのだ。そういった世代が大島を語り始めたことで、大島は再び先頭を切って走る映画作家となる。冨永監督の「リアルタイムで見た唯一の大島映画である『御法度』が、氏のフィルモグラフィのなかで一番好きだ。」と記すところに完全に同意する。
それにしても、この表紙は衝撃的だ。しかし、良い顔をしている。大島には今も昔も二つの表情しか無い。ムッとしたように食いしばったような口をしているか、大笑しているか。大島はもうほとんど喋ってくれることはないが、大島が同時代に生きていて存在しているということが嬉しい。そしてこういった表紙を飾ってくれることが嬉しい。しかも本誌の後半には偶然というか、『おとうと』公開記念に山田洋次と笑福亭鶴瓶の対談も掲載されている。松竹大船同期の二人が同じ誌面に対照的に登場するのを眺めるのは、何とも不思議な気分になった。
SWITCH vol.28 No.2(スイッチ2010年2月号)特集:闘う、大島渚
- 出版社/メーカー: スイッチパブリッシング
- 発売日: 2010/01/20
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特集 闘う、大島渚
独占撮り下ろしフォトストーリー 写真=ホンマタカシ
エッセイ 今私たちがオーシマ映画を求めるのはなぜか
インタビュー「それぞれの大島」
坂本龍一/崔洋一/松田龍平/田口トモロヲ/成田裕介/阪本順治/塚本晋也大島渚講座 「ぴあフィルムフェスティバル」黒沢清/若松孝二/是枝裕和
特別収録 対談 黒澤明×大島渚 「日本映画には動的訓練が必要である」
■個人的に偏愛する大島映画の一景
■大島渚初監督短篇『明日の太陽』