映画

1)「キューティーハニー 」〔CUTIE HONEY〕(渋谷公会堂) ☆☆★ 

2004年 日本 トワーニ カラー  ビスタ 93分
監督/庵野秀明  出演/佐藤江梨子 市川実日子 村上淳 及川光博
キューティーハニー [DVD] 
 渋谷公会堂で行われた試写会は、倖田來未が主題歌を唄い、庵野秀明永井豪佐藤江梨子村上淳新谷真弓手塚とおる篠井英介等の舞台挨拶があったが、庵野の観客サービスに徹して作った発言や、サトエリが感極まってウソ泣きするという段階で、既にこの作品の出来は見えていたのかもしれない。
 
 北野武にしてもそうだが、好きだった監督の能力が枯渇していくのをリアルタイムで目の当たりにするのは辛いことだ。庵野秀明は「DAICONⅢ・OPアニメ」「DAICONⅣ・OPアニメ」「DAICON帰ってきたウルトラマン」、「トップをねらえ」「ふしぎの海のナディア」「新世紀エヴァンゲリオン」「ラブ&ポップ」に到るまでの作品は大変好きだ。ところが「彼氏彼女の事情」が実験的側面が全面に押し出され暴走した挙句に降板した辺りから、不安が襲い始めた。その不安は「式日」で一気に拡大し、拭えなくなった。その後の松たか子のPV「コイシイヒト」、「24人の加藤あい」のCM、ショートフィルム「流星課長」で不安は確信へと変わり、才能の枯渇した嘗ての才人というレッテルを貼らざるを得なくなった。
 庵野秀明が「キューティーハニー」を実写化しようとしているという情報は、2001年春頃から聞いていた。その後、企画が進んでいないとか、新たに連合赤軍の物語をやろうとしているという噂を耳にしていたが、昨年になってようやく撮影開始に到った。半年ほどであっという間に撮影に漕ぎ着けた「ラブ&ポップ」や、徳間康快の絶大なる後ろ盾に支えられてエセ芸術映画「式日」を撮った頃に比べると、徳間社長亡き後、「キューティーハニー」程度の規模の作品でも、庵野秀明をして難しい状況にまで日本映画の基礎体力が落ち込んでいるということか。
 
 正直言って、この作品に関しては、不安と期待が入り混じっていた。不安は当然、このところの庵野秀明の低調さと、本作の実験として製作したという「流星課長」のあまりの不味さに原因があるのだが、一方で「DAICON帰ってきたウルトラマン」やエヴァにおける特撮マニアとしての庵野秀明に是非特撮映画を撮ってもらいたいという悲願並びに彼の特撮への造詣とセンスが遂に実写で発揮できるのではないかという期待が捨てきれなかったのも確かだ。
 しかし、結果としては駄作だった。この空転ぶり、空虚感は只事ではない。庵野秀明の監督生命に係わる失敗作である。低レヴェルで争うようだが、未だ志と、イベント映画として成立している点や悪口を延々と言いつづける元気が出る点からして「CASSHERN」の方が僅かにマシか。
 
 装飾過多な映画―「キューティーハニー」を観終っての率直な感想である。この作品が手本にしたという「チャーリーズ・エンジェル」、殊に2作目の「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」 と同様な失敗が見受けられる。枝葉の描写に比重がかかりすぎて肝心の本編が霞んでしまっている。又、その枝葉がキャラクター描写に当てられているわけではなく、寒いギャグ、映画の進行を著しく停滞させるその場の思いつきレヴェルの描写が全編を覆っている。本編と特撮、ハニメーション、アニメを均一化することで、逆に装飾によってしか構成されていない空疎な作品に映った。
 開巻はハニーが入浴しているシーンだが、この浴槽は「新世紀エヴァンゲリオン」でアスカが廃墟の中で浸かっていたものと同じであり、「式日」で藤谷文子が浸かる浴槽とも同様のものだ。「ラブ&ポップ」においても、主人公の裕美はラブホテルで風呂に入る。庵野は女性を風呂に入れるという行為を繰り返し描くが開巻にその記号を持ってきたことで、観客サービスに徹し、自身の作家性を押さえたという発言が嘘であることがわかる。実際この作品は、過去の庵野秀明の作品からの引用が目立つ。ハニメパートの板野サーカスに「DAICONⅣ・OPアニメ」を連想するのは当然として、ハニーが街(主として撮影されているのは新宿)を彷徨うのは「ラブ&ポップ」で裕美が彷徨うシークエンスと共通のOLを含めた手法で成立している。その場合、当然「ラブ&ポップ」同様クラシックが使われるべきなのだが、何の影響か倖田來未の安っぽい曲が使われたせいで凡庸なシーンになっていたが。では、クラシックは使わないのかというと、ブラッククローと対決するシーンで、「ラブ&ポップ」にも使われていた「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が使用されているが、これも「新世紀エヴァンゲリオン」でバッハを効果的に戦闘シーンに取り入れたことを比べると遥かに劣る。
 アヴァンタイトルの海ほたるを占拠したゴールドクローのシークエンスの弛緩したショットの連続を見せられた途端、これはいかんと思った。相変わらずカットを割りまくり、素早い切り返しを多用しているが、リズム感がなくテンポが出ない。以降同じ調子で進んでいくのだが、93分というプログラムピクチャーとして理想的な尺にも係わらず退屈した。庵野が編集に突出した能力を有していることは「ラブ&ポップ」迄の作品を観ればよくわかるが、「流星課長」の編集の間の悪さに驚いていたら、同伴者の摩砂雪までが同様で、「リニューアル・エヴァンゲリオン」でフルサイズOPというのを製作しているが、惨憺たるものだった。
 ハニメ、アニメ、特撮シーンに関してだが、ハニメーションなる恥ずかしい造語を最もその手の言葉を嫌ったであろう庵野が使っているとは信じたくないが、映像としては違和感はなく、あまり予算が豊潤に見えない本作で下手にCGに頼るよりも良かったのではないか。それだけに、もっと大胆に使っても良かったであろうし、アニメパートもOPを除けば殆どなく、1シークエンスを使ってしまっても良かったのではないか。特撮は、ミニチュアワークは東京タワー程度で、(特技監督は樋口の盟友神谷誠が担当)本来ならばもっと使ってほしかったのだが、これも予算の関係か余り特筆するほどのものではなく、又、シーンとしての印象が、全編が前述したような調子だから、頗る弱い。クライマックスの塔での戦いに向けて前半、中盤から引っ張っていく演出がなされていないからだ。
 最も印象に残るのは、ハニーが秋夏子の部屋で過ごすシークエンスで、庵野が監督している以上当然コミュニケーションの問題が浮き彫りにされる。他の監督であれば、サラリと流せる箇所なのだが、庵野だけに本編のバランスを崩す様な重さがあり、これは本人が避けようとしても出てしまうものなのだろう。それならば、コミュニケーションの問題を中心に持ってきて、ハニーの心の闇と秋夏子のそれとの対比が入れば、映画としての多重構造が生まれ、庵野らしい「キューティーハニー」になったのではないかと思わせる。しかし、「式日」や、エヴァの影響濃厚な「CASSHERN」の失敗を見ていると一概にそうとも言い切れない。1997年に「ラブ&ポップ」を撮る代わりに本作を撮っていれば、ひょっとしてそのバランスが巧く取れた作品を作る能力が残っていたかもしれないと思いはするが。
 
 出演者に関しては、吉田日出子が酷い役で使われていて何故往年のアングラ女王を辱めるのか疑問だったが、アニメ体形の佐藤江梨子は嵌っているし、当初構想されていた広末涼子より遥かに良いだろうが、ここまで精神薄弱児然とした芝居にする必要があったかどうか。村上淳は「RED SHADOW」に続いて気の毒な結果になっているが、市川実日子にしても科白がアニメ的言い回しなのでかなり無理をしているのが見て取れる。
 
(以下ネタバレ)
 ラストが対決ではなく、シスター・ジルに侵食されたハニーが、心象風景の中で宇津木博士との対話を経て自我を取り戻しジルを破るという展開は庵野らしいが、不特定多数の観客を狙うと言うなら最強の敵との対決という図式に持ち込むべきだったと思う。ハニーの心象風景に幼少時のハニーの映像が水の波紋と共にディゾルブするが、これも「THE END OF EVANGELION」、更に「ラブ&ポップ」に到っては、まんま同様のシークエンスがある。又、「CASSHERN」にも幼少時の映像がインサートされていた。登場人物がトラウマを抱えすぎてドラマが埋没した「CASSHERN」と、登場人物がトラウマを抱えているらしいことはわかるが表層的な映像に終始するために消化不良な「キューティーハニー」。ならば「忍者ハットリ君」や「デビルマン」「鉄人28号」はそのバランスをうまく取ってくれるのか。
 
 キュティーハニーのテーマ曲をバックに爽快なアクションエンターテインメントを期待したが、思わぬ空転をしていた残念な作品だった。
 因みに山賀博之が警官役で「ラブ&ポップ」の赤い帽子の男並の短さで出演しているが、彼が書いたという「キューティーハニー」第一稿というのを是非読んでみたい。個人的には既に疎遠となっているように見受けられる薩川昭夫が脚本を担当すべきであったと思う。
 5月29日全国公開。