映画

1)「世界の中心で、愛をさけぶ 」(Tジョイ大泉) ☆☆☆★★★ 

2004年 日本 東宝 カラー シネマスコープ 138分
監督/行定勲  出演/大沢たかお 柴咲コウ 長澤まさみ 森山未來
世界の中心で、愛をさけぶ スタンダード・エディション [DVD]
 片山恭一のベストセラーとなった原作は、全く読む気はなく、この作品への最大の興味は監督が行定勲であるということに尽きる。行定にとって「GO」以来のメジャー作品である。
 この作品の発端は2002年秋に東宝系で公開予定だった「サヨナライツカ」に遡る。行定勲以下、撮影の篠田昇を始め大沢たかおといった本作のスタッフ、キャストで進められていた。他にも、中山美穂、音楽に坂本龍一、衣装にワダエミという豪華な布陣でクランクイン直前まで進んでいた。しかし、原作者の辻仁成が脚色に不満で、主演である中山美穂に自身で直したと称させて修正脚本を持ち込ませる等、監督側と対立を引き起こし、行定は降板、映画は製作中止という事態となった。(同じスタッフで、そのまま浜崎あゆみのPV「Voyage」へ移行)せっかく行定が「GO」で脚光を浴びた直後だっただけに、順調に進むかに見えたメジャー進出の頓挫、殊に東宝という最大の会社でトラブルを起こしたとなると、以降東宝で仕事をする機会はなくなるであろうし、下手すれば監督生命に係わるのではないかと心配した。
 しかし、東宝は既に下降線を辿っている中山美穂ではなく、行定を取ったようだ。同じスタッフ、大沢たかおを起用した本作は、行定にとってリベンジであったようだ。
 又、興味深いのは行定の師匠格の岩井俊二への挑戦である。「サヨナライツカ」も中山美穂とそのプロットからして多分に行定が助監督を務めた岩井の「Love Letter」を思わせるものがあった。本作においては更に露骨に共通項が見出される。現在と過去の交錯、死、過去を知らない者が追想する、といった要素は正にそうだし、撮影が同じく篠田昇、照明が中村裕樹と来れば、似て当然である。行定もその点を苦慮した模様だが、完成した作品は、出色の職人技術によって彩られた佳作になっている。東宝のこの枠組みで流される作品としては異例の秀作で、他の作品も、これぐらいのレヴェルに達して欲しい。
 行定は「GO」にしてもそうだが、メジャー枠で、自身の作家性を押さえ、職人に徹した方が成功している。これは彼が作家ではなく優れた職人監督であることを示すもので、だからこそ、ノンジャンルで様々な作品に挑戦してほしいと思う。嘗て、岩井俊二が登場した時にも同じ様な期待をしたのだが、結局パーソナルな方向に進んだ。行定は森田芳光と比較されることが多い様だが、森田が嘗て市川崑に模せられたが、自分としては森田よりも行定の方が市川崑に近い存在に感じる。
 この作品は行定の職人技術と篠田の撮影によって8割方支えられている。何せ、ハナシは何もない。白血病という使い古した難病ネタだけのモノで、主人公の家族を始めとする他者との介在は御都合主義的に放置され、主人公が無菌室に無防備に侵入したり、空港に連れて行ったりするから死期を早めたのは確実で、こんなものを、そこらのテレビ出身か凡庸な監督が撮れば、単なる愚作にしかなっていない。しかし、行定と篠田に掛かれば、存分に見せる作品になっているのだからたいしたものだ。実際、三回程泣いた。
 圧倒的に素晴らしいのが回想シーンで、篠田の僅かにイエローが浮き立った配色の美しい映像共々、甘酸っぱい思春期のノスタルジーを定着させている。
 殊に長澤まさみが驚く程出色で、彼女の実力以上のものが引き出されていた。少し大人びた少女の視点と生足が美しい。
 しかし、構成には難点がある。原作を読んでいないので、どこから映画の脚色なのか、又、脚本も第一稿を坂元裕二が書き、監督が行定に決定した後に行定の助手である伊藤ちひろと行定が改稿しているので、どの段階での問題なのか、はっきり指摘できないが、まず視点の問題。
 本来この作品は女性の視点、即ち長澤と柴崎コウの視点で描くべきで、長澤と柴崎の視点の交錯にこそ映画的多重構造があるはずで、柴崎の幼少時の手紙を届けた記憶と事故、そして自身の結婚相手がその時手紙を届けていた相手であるという驚きが、この作品の根幹にならなければならない。しかし、大沢たかおをメインに描いた為に、何もしない凡庸な男が主人公であるという視点の混乱を招いている。これは、女性視点にすると「Love Letter」と酷似してしまうためだろうが。
 次に問題となるのが、大きなアイテムとなっているカセットウォークマンで、小道具として決して悪くないのだが、昨年の「青の炎」におけるボイスレコーダーにしてもそうだが、これに頼り切ってしまう傾向が多い。説明科白やナレーションを使えないからこんなものを使って言葉を補完しているのは全く非映画的で、映像で語るべきだ。
 実際そのせいで、既に十分映像が篠田の手によって饒舌に語られているのに、その上にカセットウォークマンで言葉を重ねているので、かなり科白が溢れた印象が強い。監督は脚本が完成した後は科白を削る作業を徹底して行うべきだ。
 撮影に関して、現在のシーンは総じて色をいじり過ぎで、空港のシークエンスの柴崎コウの顔色が悪い。女優はもっと美しく撮ってあげてほしい。無人島の廃墟ホテルのセットは悪くないが夕景がいかにも作り物めいて興醒め。
 ラストのオーストラリアは無理矢理な感が強く、昔ながらの日本映画の大作のラストは海外ロケで空撮だ終わるという悪しき慣習が根付いているのか。肝心のラストシークエンスで柴崎コウを描かないまま、平井賢の主題歌が流れるエンディングに至り興が冷めた。
 全体としては、行定や篠田の職人技術と長澤まさみを観る作品ではあるが、何もないハナシをここまで見せきる技術は真に感動的だ。