映画

1)「セックスドキュメント 金髪コールガール」(VIDEO) ★ 

1973年 日本 東映東京 カラー シネスコ 
監督/野田幸男  声の出演/山田康雄

 
 「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」を読んでいると、中島貞夫がヤクザ映画、時代劇に止まらず、ポルノ時代劇、ポルノドキュメンタリーまで手掛けていたことに驚いたが、その中の「セックスドキュメント」というシリーズは、東京、京都でそれぞれ製作したという。中島貞夫が参加したのは「セックスドキュメント 性倒錯の世界」「セックスドキュメント エロスの女王」の2作だが、生憎観る機会はない。しかし、この一連のシリーズの、「セックスドキュメント 金髪コールガール」と「セックスドキュメント モーテルの女王」はビデオ化されていたので早速借りた。
 「セックスドキュメント 金髪コールガール」は、当時赤坂でコールガールをしていた売春婦達を追った作品だが、アカラサマなヤラセで、失笑しながら観るだけの駄作だった。僅かに興味を持たせるのが、ナレーションを山田康雄が担当し、「セックス!セックス!!セックス!!」と連呼するという箇所と、レポーターのオヤジの余りのヨゴレっぷりに感服させられるということぐらいか。
 70年代のポルノ映画の性表現の限界を知る上では面白かった。「愛のコリーダ」日本公開版のズタズタにカットされ、トリミングされた版を以前観てはいたが、あれはハナから隠さずに撮って、税関で容赦なくズタズタにされたわけで、本作の様なヤラセドキュメンタリーの撮り方とは異なる。
 しかし、全く面白くない。現在からは僅かに当時の風俗的興味として観ることができるかという程度のもの。



2)「茶の味」(シネマライズ) ☆☆ 

2004年 日本 「茶の味」製作委員会 カラー ヨーロピアンビスタ 143分
監督/石井克人  出演/坂野真弥 佐藤貴広 浅野忠信 手塚理美


 
 石井克人の作品は「鮫肌男と桃尻女」「PARTY7」と劇場に足を運んでいるが、面白かったためしはない。しかし新作が公開されると、いそいそと出掛けてしまうのは、最初の印象が良かったせいだろう。即ち「鮫肌」だが、作品としては水準以下の作品ではあるが、こういった作品を望んでいた者としては、その心意気は十分感じた。しかし、続く「PARTY7」となるとオリジナル作品の上に、最も難易度の高い笑いを主としてやろうとした為か、完全に空転していた。
 しかし、石井克人が賢明なのは、興行的成功をバックに同じ様なものを連作するのではなく、以降3年間新作劇映画を発表しなかったことにある。勿論その間に「Grasshoppa!」等のショートフィルムや本職のCM、「キルビルVol.1」のアニメパート等を手掛けているが、それらの経験を生かした上で、これまでとは全く世界観の異なる新作を撮ったのは好ましい。
 タイトルに小津を思わせ、予告の淡々とした語り口に、これは傑作が誕生するのではないかという期待を思わせた。
 
 しかし、長蛇の列が出来ている満員のシネマライズで観た本作は、全くの駄作だった。今年観た日本映画の中でも「キューティーハニー」「アイデン&ティティ」と争う愚作だ。
 143分という長尺は全く無駄でしかなく、間延びした描写を散発的に描いているだけ。田舎の少し奇妙な家族の物語ではあるが、ハナシという程のものはない。それは良い。ならば、家族のキャラクターや、それぞれの小さなエピソードの積み重ねに力を入れるべきなのだが、それが空転している。
 確かにそれぞれのエピソードが語られるのだが、所詮CM監督と言うか、ショートフィルムの監督やなあと思わせるのが、各シ−クエンスだけで完結してしまっていて、それが作品の世界観に広がりを持たせたり、他のエピソードへの共鳴が全くない。例えば浅野が橋から、河原で素振りしている男に石を投げるエピソードは、シークエンスとして笑える。しかし、それだけだ。映画の中では、その後、素振りの男が駅前でハジメと父親に目撃され、更に土中に埋められているのを幸子に発見されるという風に表面的には繋がっていくのだが、それはあくまで繋がっているだけで、このエピソードがこの家族にそれぞれ目撃されることで、映画としての奥行きが出ているかというと全くそうは思えない。単にショートコントの材料にされただけだ。
 
 ハジメ土屋アンナへの想い、幸子の幻想、アニメーター復帰を目指す母親、元アニメーターの祖父といったキャラクターやエピソードの中には悪くなく―むしろかなり膨らませることのできる良いものがあるだけに、低レヴェルの笑いで埋め尽くされることには辟易した。
 
 石井克人の趣味的なものが良くでているのが、アニメーターの母親という設定で、アニメ監督として庵野秀明をも駆りだしているのだが、楽屋落ち的に庵野を引っ張り出しているのかと思いきや、4シーンに渡って、それなりの科白も与えて使っていたりすると、作品のバランスから見た場合、疑問に思う。まあ、科白といっても「アニメーションは動きですよ!」とかその程度なのだが、単純に劇中にアニメパートを入れたかったから、こーゆー設定にしたように思えてしまう。因みにアニメパートはマッドハウス製作で演出・作画は小池健。小池らしい動きが満載なので、その向きの方は、アニメパートと庵野の怪演を御覧になれば良いと思う。以前、この作品のプロットを知った時、友人のアニメーターの方に話したところ、そんな田舎で書いてどうやって制作担当とやり取りするのかと言われたが、本編を観てもその疑問は解けず、ワザワザ監督が田舎までやって来るというのも疑問だったが、劇中で母の描いたパートのラッシュシーンで流れる小池の画を観て、確かにこれだけ動かせれば田舎まで誘いに来るかとも思ったが、そんな不要な解釈をさせる程、アニメーターの母が描かれているわけではなく、バランスの悪さを感じるのみ。石井克人がオタク的要素を持っていそうで持っていないことはコスプレの男達のエピソードを観れば一目瞭然。
 
 土屋アンナを見るのみの映画だと思う。そして何度も言うのもアレだが似通った要素を持ちながら「下妻」とのあまりの差異ができてしまうことへの疑問を感じずにはいられない。
 因みに同伴して観ていた方は、あまりの酷さに呆れたのか、振り返りもせずに一人で帰ってしまったので、自分もより不愉快な気分で一人シネマライズを後にした。