映画 「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」

molmot2004-10-10

1)「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」 (Tジョイ大泉) ☆★

2004年 日本 「NIN×NIN 忍者ハットリくん」製作委員会  カラー ビスタ 100分 
監督/鈴木雅之 出演/香取慎吾 田中麗奈 ゴリ 知念侑李

 「CASSHERN」「キューティーハニー」の悪口を言って悪かった。という映画である。前2作に比べて、ようやくファミリー向けの子供をターゲットにした作品として製作されているのは悪い事ではなく、実際10億を越す配収になっているらしい。
 「忍者ハットリくん」自体は、幼少時にTVアニメ版を始め、3歳の時に劇場で観た「のび太の海底鬼岩城」の併映作「忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻」は、以降再見していないが印象は強く、続く「忍者ハットリくんパーマン 超能力ウォーズ」「忍者ハットリくんパーマン 忍者怪獣ジッポウvsミラクル卵」も佳作だった。殊に「忍者怪獣ジッポウvsミラクル卵」での雪の新宿は「東京ゴッドファーザーズ」での東京像に重なる。とは言え20数年見返していないので、本当にそうなのか再見の必要があるが。
 原作も一通り読んでいるので、今何故「忍者ハットリくん」を実写化するのかという思いは付き纏う。とは言え初の映像化は実写化だったわけだが。
 言ってしまえば「月曜ドラマランド」「えなりかずきの一休さん」同様のモノを誤って劇場で一本立てで流しているとしか思えず、幼児向けの映画だからとこの程度で良いと思っているのだとしたら、脚本のマギーと監督の鈴木雅之は映画を舐めている。
 開巻の東京へ向かうハットリくんの描写において、神田川を潜水して進むショットと次の東京タワーの先端に立っているのを空撮のカメラが周回撮影するショットとの繋がりが悪く、開巻でこそ、この象徴的カットを用いるべきで、そこからケンイチに自己紹介的に回想に入るべきにも係わらず、それができていない段階で既に不快感があったのだが、原作に準じたケンイチとの出逢いを経るにも係わらず、やたらとアップを多用して弛緩しきった展開で進んでいくことの不快感と、マギーの責任に起因すると思われる伏線の張り方の極めて下手糞さが、ジュブナイルとしても最低のもので、殊に東京タワーが常時視界に入る舞台として設定しておきながら、それを開巻とエンドロールでのハットリくんがタワーの突端に立つという象徴的ショット以外は東京タワーという映画的建造物を生かし得なかった鈴木雅之は、マギーの御都合主義脚本に乗じて、ひたすら『ハッピーコーラ』を劇中に連呼させ、TV内のアナウンサーは二人ともカメラに向かいながら視線は外れているという不可解さを提出しておきながら、それらを放置するという偉業を成し遂げ、仲間ハズレにされているケンイチが仲間入りを果たしながら、友人たちとの親密な関係が画面に登場することはなく唯一ケンイチが行方不明になったと探すシークエンス一つのみで僅かに登場するのみで、では前半の描写は何だったのかと思う間もなく盲目のヒロインという、時代錯誤感溢れる田中麗奈が登場するも、ヒロインでありながら特別出演的扱いに何故かされており、主体的に係わってくることもなく、目が見えないのに犯人の黒影の精密な似顔絵を描くという離れ技を演じて映画の根幹を見事に破壊していることに呆れながら、盲目のヒロインというものは映画史においてお手本が腐るほど有るものをと思いつつ一例を挙げれば、伊藤大輔の「鞍馬天狗 黄金地獄」での盲目のヒロインが目の手術後、危機に陥った鞍馬天狗を助け出すために眼帯をかなぐり捨て、術後の回復期までに外して光が入ると二度と見えなくなるにも係わらず、僅かに見える光を頼りにダイナマイトの導火線を消すといった映画的興奮に満ちた描写が本作にあったかと問われれば皆無で、何故ヒロインが攫われてケンイチが取り返すべく奮闘する設定にしないのかと腹立たしく思いつつスクリーンを見つめていたら、そのクライマックスでの廃寺に監禁されたケンイチをハットリとケムマキが救出したにも係わらず、ケンイチは取って返し黒影に突っかかるという、ハットリとケムマキがこれまでやってきたことを水抱に帰させる御都合主義が展開され、それでオチがついてしまったのには呆気にとられてしまい、今年観た作品の中でも「赤線」に次ぐワースト作品だと言う他はなく、こんなゴミのような作品を幼少時に見せられる場内の大部分を占める子供達の不憫さを思うと犯罪的駄作としか言い様がない。