映画 「ゴジラ FINAL WARS」

molmot2004-12-07

1)「ゴジラ FINAL WARS」〔GODZILLA FINAL WARS〕 (Tジョイ大泉) ☆★★★

2004年 日本 カラー シネマスコープ 東宝 125分 
監督/北村龍平  脚本/三村渉 桐山勲  出演/松岡昌宏 菊川怜 宝田明 ケイン・コスギ 水野真紀

 結局「ゴジラ2000ミレニアム」に始まるミレニアムシリーズも「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」「ゴジラ×メカゴジラ」「ゴジラ モスラ メカゴジラ 東京SOS」、そして本作まで全て劇場でつきあってしまった。
 そもそも「ゴジラ2000ミレニアムからして不味かった。最終作が売りだった「ゴジラvsデストロイア」から僅か4年、しかもその間にハリウッド版「GODZILLA」を挟んでおきながら敢えて復活させる、更に言えば怪獣映画の一つの極点を見せた「ガメラ3 邪神覚醒」と同年公開でもあった「ゴジラ2000ミレニアム」は、越えなければならないものがとてつもなく大きかった筈だ。少なくとも製作体制を含めた大幅な見直しがあって然るべきだった。ところが、プロデューサーはそれを知ってか知らずか、脚本・柏原寛司三村渉、監督・大河原孝夫という平成ゴジラシリーズのスタッフがそのまま引継ぎ、唯一の変化が末期平成ゴジラシリーズで独断的光線特撮に腐心していた川北絋一から鈴木健二に特殊技術(ミレニアムシリーズから特技監督のクレジットはなくなり特殊技術というクレジットとなった)が変わったというだけのもので、とても心機一転新たなゴジラを創造しようという布陣には思えなかった。せいぜい正月番組の穴埋めに製作されていたモスラシリーズの動員が落ちているので、ゴジラならばまた20億近い興行収益を上げるだろうという東宝の意地汚い計算が働いただけに思えた。実際「ゴジラ2000」は制作費も下がっているのかスカスカの駄作で、アナログ執着特技監督川北絋一が退いた御蔭で、デジタル合成がある程度使えるようになってはいたが、例のクラゲ怪獣という観客を絶望的気分に突き落とす新怪獣を出してりして、末期の平成ゴジラシリーズ以上に辛い作品だった。興行的にも前シリーズとは比べ物にならない落ち具合だったという。
 それでも東宝は以降毎年ゴジラを作り続けた。続く「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」では監督にモスラシリーズや市川崑の助監督をしていた手塚昌明を起用した。この作品はマニア受けが良く、ガメラと並んだなどと言われていたが、私見では「ゴジラ2000ミレニアム」より僅かにマシとは言え、全く感心しなかった。この程度で過剰に褒めるからマニアにしか支持されなくなるのではないかと思えた。
この作品も興行的には更に落ち、シリーズ中断が噂された。一方で、次回作の監督に意外な人物の名前が取り沙汰されるようになった。金子修介である。バラン、バラゴン、アンギラスの登場する作品とも噂されたが、興行に鑑みて、東宝は金子にモスラキングギドラを使用するよう命じる。こうしてできたのが「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」だが、これが素晴らしい秀作で、リアルタイムで観るゴジラ映画でこれだけ上出来の作品を観た事はなかった。特撮も神谷誠をはじめガメラスタッフが参加していることもあって、ガメラのクオリティがゴジラで実現した。個人的には金子ゴジラは有終の美を飾っていると思え、これでシリーズは打ち止めにすべきと思えた。
 ところが世間の評価とはわからないもので、東宝社内では金子ゴジラの評判は至って悪く、翌年は再び手塚昌明で「ゴジラ×メカゴジラ」を製作する。「ゴジラ対メカゴジラ」「ゴジラvsメカゴジラ」にしてもシリーズ末期の苦肉の策としてメカゴジラを生み出し、或いはリメイクしているが、ミレニアムシリーズ4作目にしてメカゴジラが動員されるとは、先行きの危うさを覚えさせた。実際前述の2作のメカゴジラが登場する作品は、共にシリーズ中断作として予定されていた。「ゴジラ×メカゴジラ」は子供の扱いも含めた脚本の不味さ、初めて特技監督をする菊地雄一の特撮の不味さ等、観ていて非常に苦痛な作品で、こんなものでも絶賛し、金子ゴジラを罵倒する熱心な方がそれなりの数はいるようで、価値観のあまりの違いに考えさせられた。
 そして昨年末に公開され、自分は今年の頭に新宿コマ東宝で観た「ゴジラ モスラ メカゴジラ 東京SOS」は、金子と手塚の2監督ローテーションで製作してはどうかという、こちらの希望など叶うわけもなく、興行は落ち続けているというのに何が評価されているのか三度登板となった手塚昌明と、東宝は肝心の特撮の質というものをどう考えているのかと疑わずにはいられない毎回特技監督が変わるという悪弊が今回も踏襲され、それがよりにもよって1984年版「ゴジラ」の特技助監督を担当し、以降の特撮映画には関係していない浅田英一を起用するという傍若無人ぶりで、浅田もデジタルは知らないからアナログで行くと発言し、暗然たる気分にさせられた。ところが、この作品が悪くなかった。いや悪いのだが金子ゴジラを除くと、最もマシな部類に思われた。と言うのも、本編でドラマを描けていないと言われるなら、ハナから描かないという凄い結論を出してしまった作品で、一応人物は登場するが、夫々ドラマを背負わないように設定され、90分程の尺で怪獣がテキトーに出て暴れる様を描くことに主眼を置いた珍しい作品と言えた。ここまで突き放した作品を作ってしまって大丈夫なんだろうかと、正月明けの日曜日の昼間だと言うのに観客僅か4人、しかも全員大人という状況の中で思わずにはいられなかった。
 
 「ゴジラ FINAL WARS」を持ってゴジラシリーズを打ち切るというのは実に歓迎すべき事柄で、本当に最低10年は製作されなければ良いと思う。どうせ2,3年で誰も頼んでいないのに復活させるのがパターンなので信用していないが、ゴジラというキャラクターのためにも10年は眠らせることが必要だと思う。
 最終作であり、ゴジラ生誕50周年記念作でもある本作の監督は当初、手塚昌明山崎貴北村龍平等が候補に上がり、製作の富山は手塚を推したが、東宝上層部から北村龍平を推す声が強く北村に決まった。
北村龍平の作品は、「VERSUS」「the messenger −弔いは夜の果てで−」「あずみ」「ALIVE」しか観ていないが、「あずみ」以外は極めて凡作で、「あずみ」にしたところで大した作品ではないし、不味い箇所は山のようにあるが、2時間半飽きずに観ることはできた。行定勲同様、自身の色が強い小規模作品よりも、それなりの予算のかかった原作モノなどの方が出来が良いという種類のヒトに思えた。それだけにゴジラを撮るというのは案外悪くないかもしれない、という期待を抱かなかったと言えば嘘になる。
 開巻から、いきなりゴジラと「海底軍艦」の轟天号が接近戦を繰り広げ、その艦長が平成ゴジラシリーズ末期から何故か常連となり、前作では総理大臣だった中尾彬が演じているという段階で笑ってしまうのだが、特撮にしても悪くない出来で、これは期待して良いのではと思わせた。もはやゴジラが現れることでサスペンスを作り上げることや、昭和29年を引き合いに出した世界観設定の解説は聞き飽きていたので、良いオープニングだと思えた。続くカイル・クーパーによるシリーズのカットをコラージュしたOPが全く手抜きの魅力に欠けるもので、嫌な失速感を覚えたが、その予感は的中した。この作品はゴジラ並びに東宝怪獣映画のキャラクターを手中にした北村龍平による北村龍平のための自己満足自主映画大作で、ミレニアムシリーズは金子ゴジラ以外は最悪だったが、それらとは違った次元で最悪な作品が「ゴジラ FINAL WARS」である。
 別にゴジラ宝田明への畏怖の念がないとか、怪獣映画らしい怪獣映画でなければだめだとか言う気は更々なく、実際自分が平成シリーズで突出して好きなのは「ゴジラvsキングギドラ」で、拙い箇所は散見できるがあれぐらい破天荒な奔放さで作らないとゴジラは面白くならない。北村龍平に期待したのは破天荒な少々破れ目があろうともアクション映画として勢いのある作品を作ってくれれば、という思いだった。しかし完成したのは、悪ふざけと確信犯でバカ映画として作り上げたゴミのような作品で、ゴジラシリーズをどうこう言う以前に映画として魅力に欠ける。
 本作がこのような暴走転覆を起こした原因は北村龍平にあるのではなく、プロデューサーにある。北村龍平の作品を観ていれば、彼が何を得意とし、何を不得意としているか容易に分かる筈だ。分かっていればまず、いつもの北村組のスタッフの流入を阻止しなければならなかった筈だ。これは北村龍平に限ったことではないが、現在の日本映画の問題点として、監督の人間関係における自閉傾向が強すぎる。自主映画から共に協力関係にあったスタッフをメジャーで撮る機会があってもそのまま起用する傾向が強い。確かに今でもあることだが、ベテランの映画屋の中に放り込んで監督の言う事など全て無視されて、全くその監督の色のない凡作が出来上がることもある。身内スタッフで固めればその監督が本来持っている資質は出やすい。しかし、「CASSHERN」や「バトルロワイアルⅡ」「あずみ」等、脚本に大きな穴のある作品が堂々と公開されるような事態をも引き起こしている。「ゴジラ FINAL WARS」にも全く同じことが言え、あの何かと自社キャラクターの仕様に五月蝿い東宝が何故ここまで自由奔放に作らせてしまったのか甚だ疑問で、それでうまく行っていれば良いのだが特撮は兎も角、本編がやりたい放題で、これをゴジラ生誕50周年記念作と謳う東宝は、いつからこんな物分りの良い会社になったのか。それなら金子修介がバラン、バラゴン、アンギラスを使いたいと言った時に何故聞き入れてやらなかったのか。
 言うべき箇所が多過ぎて事細かに言う気になれないが、まず不要且つ不愉快なのが、北村映画お馴染みのオーストラリア仕込みの北村ギャグの数々で、全く面白くない上に、どうだ面白いだろうという北村の顔がちらついてきて不快感を覚えていたら、北村がDJ役で出てきて、くだらない上に本編とは何の関係もないいシーンを延々やっていて、こんなものを残す余裕あるなら、肝心のX星人なり、編集で切られたと思しい放置された科白や伏線の数々を回収すれば良いものを。
 ケイン・コスギの芝居があんまりすぎるとか、相変わらず童貞中学生臭いケンカ番長な世界観とか、出てくる男が全員北村ニズムに即した行動を取るので観ていて疲れるとか、無駄にカット数だけやたら多いが、その実肝心なショットは全て捉えられていないとか、ミニラなど出すなとか、所詮北村龍平にとっては、たかが怪獣映画のゴジラに過ぎず、別にミレニアムシリーズは金子ゴジラ以外はどうでも良い作品ばかりなので、こんな映画にされても文句は言えないが、第1作の「ゴジラ」や、田中友幸本多猪四郎円谷英二に捧ぐなどという巻頭の文字を思い返すと流石に腹が立つ。ゴジラの50年が、こんなゴミで締め括られるのはある種、自明の理なのかも知れないが、あんまりだ。
 カーチェイスなど、アクション満載ではあるのだが、北村龍平はそんなにアクションが旨い監督なのだろうか。これは「VERSUS」や「あずみ」を観た時にも思ったが、そんなにアクションが巧いのだろうか。カットを割りまくってアクション繋ぎでテンポを作るやりかたをしているが、1カット1カットの中で具体的なアクションが描けているかといえばどうだろうか。アクションは具体的アクションのカットを積み重ねていくことで、観客に痛みが伝わると思うが、北村がやっているのは表層的エセアクションでしかない。とは言え、これまでのこのシリーズのアクションとも呼べないものに比べると雲泥の差だが。
 具体的なことは知らないが、恐らく例によって三村渉の脚本を北村の御用脚本家・桐山勲が大幅に改稿して、練られていない硬質な科白、自主映画的な言葉と言葉が反射しないものに差し替え、それをアクションならまだしも人物が会話すると途端に学芸会になってしまう北村映画の特性は残念ながら全て生かされており、これだけ撮る機会に恵まれていながら、それが改善されないのは、北村自身は自分の演出の不得意部という意識がないのだろうか。
 特撮に関しては、本来、北村の意向を最大限生かせる特技監督は、格闘技好き且つゴジラ史上円谷英二に次ぐ特撮を見せた神谷誠が最も適任なのだが、能力よりも人間関係が優先され、再び浅田英一の起用となった。
 かなりの不安があったが予算が増えただけに悪くない質になっており、銀残しや、シークエンス毎に異なるカラコレをしているのは良い。所詮着ぐるみだけに、モスラなど非常に良い質感になっていた。歩行速度が急激に速くなったゴジラも悪くない。「GODZILLA」の唯一の魅力が、あの素早いゴジラの動きだったので、それがようやく取り入れられたのは良かった。移動や有名な建築物を壊すというお約束を捨てて、ひたすら繰り出される怪獣達と戦っていくわけだが、やはり緩急というものがないとリズムが出ない。
 本作が凄いのは、所謂ゴジラ映画の分岐点となった「怪獣大戦争」を肯定し、チャンピオン祭りみたいなゴジラ映画にしていることで、個人的趣向は兎も角、こういう作品があっても良いとは思った。平成シリーズの様に、明確に「怪獣大戦争」以降を否定していた路線だったのに結果的に同じ袋小路に迷い込んでしまったり、手塚昌明のように60年代前半の怪獣映画のフォーマットに拘り続け、その結果、劣悪コピーのような作品にしかならなかったことを考えると、「ゴジラ FINAL WARS」の在り方というのは一概に否定できるものではないのかもしれない。少なくともアプローチとしてはアリだ。そう考えるとミレニアムシリーズはシリーズとしての統一感がなく、本作のような作品もシリーズ中盤に存在していれば、それなりの存在感があったかもしれない。
 せっかくヘドラが出てきたのに秒殺だったとか、キングシーサーなんてよく出したなとか、ガイガンが良かったとか「怪獣総進撃」状態なので、どうこう言いつつ楽しんではいた。ただ、ミニラは全く不要で、ラストの展開には呆れた。
 ここまで北村龍平のやりたい放題にするのなら、ゆかりの出演者やオマージュ描写など全て止めて、完全に北村の作品にしてしまった方が、もう少しスッキリしたと思う。大体、宝田明に百発百中と言わせても、北村に愛着も何もないのは画面を観ていれば明解で、こういったものを適当に散りばめておけば、マニア層にもアピールしているだけにすぎない。
 全体としては、全てのシークエンスがブツ切りになっていて、テンポもリズムも生まれず、根本的な映画としての魅力に欠ける。
 一応ミレニアムシリーズの個人的順位をつけておくと、1.「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」2.「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」3.「ゴジラ FINAL WARS」4.「ゴジラ×メガギラスG消滅作戦」4.「ゴジラ×メカゴジラ」5.「ゴジラ2000ミレニアム」といったところか。1と2は完成度に天と地ほどの開きがある。
 金子を擁護し過ぎると言われることもあるが、「学校の怪談3」以降の金子の演出は「ガメラ3」共々かなり悪く、金子ゴジラも本編演出は相当悪い。しかし、金子が突出しているのは怪獣が出現した際の人間のリアクションを的確に表現する能力を有していることで、大きな振動に驚く人間、そして物が激しく落下し、壊れる様を丹念に捉える。「ガメラ 大怪獣空中決戦」で、博多にガメラが上陸した際、ラーメンが割れるカットの挿入が素晴らしい効果を上げていた。金子は卵や棚といったものが割れたり、倒れたりするショットを必ず挿入することで怪獣の恐怖感、大きさを表現しており、この何気ない繊細さに満ちた重要なショットを大河原孝夫手塚昌明北村龍平ができていたかということを考えても金子修介が突出している。