映画 「絞死刑」

molmot2004-12-11

逝ける映画人を偲んで2002-2003 (フィルムセンター)
1)「絞死刑」 (フィルムセンター) ☆☆☆☆

1968年 日本 モノクロ ビスタ 創造社=ATG 118分 
監督/大島渚  脚本/大島渚 田村孟 佐々木守 深尾道典  出演/尹隆道 佐藤慶 渡辺文雄 小山明子 戸浦六宏 石堂淑朗 足立正生 松田政男
絞死刑 [DVD]

 東京駅から走り、上映ギリギリにフィルムセンターに到着する。
 今回を逃したら観る機会の少ない映画では全くない。それどころか、ビデオもDVDも所有している。もっとも購入したDVDは兎も角、ビデオは大学3回時に日本映画史を教えていた助教授の部屋から無断拝借したもので、DVDもあることだし、返却したいとも思うが。まあ、あの時は「絞死刑」と市川崑の「映画女優」が無造作に置かれていることに腹を立て、ここではないどこかへ、即ち自分の部屋に置いてあげる方がこのビデオも幸せだろうと、悪びれもせずに助教授が目の前に居るのに堂々とカバンに入れたという思い出もあるが、16歳の時に初めて観た大島渚の作品且つ、長編劇映画は全て観てもやはり最高傑作と思える作品だけに、映画にまつわる窃盗ぐらい何でもないと思わせる力を持った作品だ。
 2.3年に1度は観るようにしているが、フィルムで観るのは実は初めてで、2000年にシネヌーヴォで行われた足立正生全作上映オールナイトで「絞死刑」も上映されたが、ビデオ上映だったので、中盤のロケに出たところまで観て寝た。
 改めて観直し、ほとんどの科白も次に来るカットも覚えてるのに、やはり興奮する程面白く、又新たな発見もあった。
 「帰ってきたヨッパライ」が非常に顕著だが、大島渚の作品は繰り返しの魅力に満ちている。「愛と希望の街」でも主人公は鳩を繰り返し売り、「青春残酷物語」でも金を奪う為、繰り返し中年男性を誘う。「日本の夜と霧」でも、「日本春歌考」でも、「少年」でも人生なり、行為なりが繰り返されることが大きな魅力になっている。
 本作は、死刑が失敗したのでもう一度繰り返そうとする物語だが、主人公である死刑囚のショットの多くが編集でWらせてある。つまり、立つという行動がアングルを変えてもう一度座っているところから立たせる。通常の編集ならば引きと寄りで立つという動作を撮ったならば、立つ途中でカットを切り替え、アクションをWらせて違和感なく繋げるわけだが、本作での徹底した繋がらない編集は、死刑を繰り返すことの滑稽さ、死刑囚にとっての死刑という圧し掛かる重さに対する時間の流れの遅さを現している。これまでも、このWりは気付いていたが、そこにどういう意図があり、どのような効果を上げているかはわからなかった。
 小松川事件として知られる在日朝鮮人による殺人事件を基にしているだけに、実際の死刑囚の生家がある場所でゲリラ撮影していることの是非や被害者側への配慮や、弱者の視点を持たない大島が勝手に死刑囚を賛美しているだけだ、と言った批判が現在になればなるほど高まりそうな作品だが、観ればそのような批判には該当しない圧倒的力に溢れた傑作であることがわかる。
 決して難解な作品ではなく、シチュエーションコメディとして秀作だと思う。それにしても今更ながら何度観ても「THE END OF EVANGELION  Air/まごころを、君に」のラストシークエンスが科白も含めて本作と「日本春歌考」の丸パクリなのには苦笑してしまう。

因みに観終わって1階に降りてくると入口扉で、警備員と映画獣がモメていた。通りすがりに判断した限り、チラシを取りに入ってきた映画獣に上映終了後なので警備員が出るように求めたところ、聞き入れないので警備員は奥の警備員に「侵入罪だ。110番して!」と叫び、映画獣に向かって「今警察呼んだからな」「勝手にしろ」「勝手にしろじゃないだろう。これは立派な侵入罪だ」などとやり取り。監視君含めてフィルムセンターらしいやりとりで、映画獣は社会性ないからトラブルも起きやすいが、しかし未だ自分も含めて客は残ってるのに警備員のあの強硬な態度がまた。流石国立だ。殊にたった今「絞死刑」で足立正生らが滑稽に演じた国家権力の末端者達の愚鈍さと同じ光景が繰り広げられているのだから笑ってしまう。所詮映画を拝見させていただく場なので、サービスを求めてはいけないということか。