映画(TV/VIDEO/LD/DVD) 「処刑の島」

molmot2005-02-05

1)「処刑の島」(チャンネルNECO) ☆☆☆★★

1966年 日本 日生劇場プロダクション カラー シネスコ 87分 
監督/篠田正浩    脚本/石原慎太郎    出演/新田昌 岩下志麻 三国連太郎 佐藤慶 殿山泰司


 篠田正浩の作品は7本程しか観ていないので何も言えないが、現在のところ面白かった試しはない。
 大島渚吉田喜重と比べて、経済的、作品の製作本数的にも最も恵まれた存在だと思うし、興行的にも当たりが最も多い。
 しかし、その分映画作家としての読み直しが最もされていないヒトであることも事実で、大島や吉田の作品は長編劇映画なら全作ビデオなりDVDなりで入手できるのに、篠田の作品はビデオ、DVD、特集上映含めて、観る機会のない作品が多い。松竹時代の作品でも観られない作品の方が多い。具体的作品については以前記したが、例え個人的に嫌いな監督であろうと作品が観られなければ話にならない。
 4月に幻だった「処刑の島」のDVDが発売されるということで、楽しみにしていたが、一足早くチャンネルNECOでのOAとなった。
 この作品に関する予備知識と言えば、キネ旬から出ている「世界の映画作家シリーズ10 篠田正浩/吉田喜重」での篠田の自作解説で僅かに伺えたぐらいだ。
 武田泰淳の原作「流人島にて」を石原慎太郎が企画・脚色している。「異聞猿飛佐助」を撮り終え、松竹と組合の板ばさみに遭った篠田は退社し、石原に日生で映画製作を行うので監督を依頼される。即ち本作が記念すべき篠田のフリー第一作となるわけで、大島のフリー第一作「飼育」や吉田のそれに当たる「水で書かれた物語」の完成度を考えると、本作にも期待しないわけにはいかない。又、注目すべき点としてプロデューサーの中島正幸を介した大島渚篠田正浩の共闘が興味深い。前述の「世界の映画作家シリーズ10 篠田正浩/吉田喜重」の中で篠田は『一つのプロダクションじゃ養えないから、大島渚と話して、おれとあんたと二つのプロダクション*1で、これから有能なスタッフを育てながら仕事をしようと、やったわけです。だから「処刑の島」が終ると、このメンバーは大島組になだれ込んでいって、「白昼の通り魔」という傑作を創造社ががつくることになるわけで、そのあと今度はぼくのところへ来て「あかね雲」を作るという、一種の兄弟の誓いをしたわけです。』と語っている。勿論全スタッフがそのまま移行しているわけではなく、美術の戸田重昌や録音の西崎英雄がそれに当たるわけだが、出演者でも篠田作品にはこの”兄弟の誓い”の時期を除いて縁のない大島一家が出演している。創造社所属なのは小松方正のみだが、それに近い佐藤慶殿山泰司が出演しているのがそれに当たると言えるだろう。
 

 肝心の作品についてだが、フリー第一作としての期待は裏切られず、面白かった。これまで観てきた篠田の作品中最も良い。
 観ればすぐに天皇と彼の戦争責任を追及した作品であることはわかるが、「カリスマ」や「日本暴行暗黒史 異常者の血」に天皇制への明解な言及を感じることはできても、これは天皇を巡る映画だ!と叫んだ途端、画面に映っているものが見えなくなり、画面に何が映ろうがテーマを読み取ることにしか目が行かなくなるので、そんなことはどうでも良い。
 自分はほとんど後期の篠田の作品しか観ていないので、開巻の崖から人が放り出され、落下して行く途中でストップモーションとなりタイトルが出るショットが、同じく篠田の「悪霊島」のタイトルバックと全く同じであることに驚いた。続く島へ向かう船での主人公と島民との会話といい、愈々「悪霊島」と同じシークエンスで、篠田が何故横溝ブームの末期の1981年に角川映画で「悪霊島」という宮川一夫の撮影以外は全くの凡作を監督したのかがわかった気がした。彼はハナから殺人事件や謎解きなどに興味はなく、興行的には惨憺たるものだったという「処刑の島」のリメイクとして「悪霊島」を引き受けたのではないか。
 三国連太郎の二本の松葉杖を付いて軍服で草原を闊歩する奇妙さと威圧感、杖を振り下ろし、少年達を殴る顔のドス黒さが素晴らしい。
 三国への復讐を果たすべく、新田昌がドスを鞄に忍ばせ本島に上陸し、小島の人目を避けた箇所にひっそり住む三国に会うべく小島へ向かい、三国と対面する。
 個人的には、こーゆー何も無いハナシは吉田喜重あたりに撮ってもらった方が遥かに美しい作品になったのではないかと思え、篠田と石原の俗っぽさが邪魔になってはいるように思えるし、(以下ネタバレになるので改行)

 
ラストで新田がアナーキストの父を持ち、三国に一家を斬殺されたことを告げて過去を捲し立てる件が、いかにも作家石原が書いた脚本らしく、映画的処理というものを何も考えていないのが難点。それでも救われているのは、美術の戸田重昌による素晴らしい作りこみが効果を上げているからだ。
 とは言え、小島に日本の縮図を置き、天皇的権力者にドス片手に対面を挑み、過去を迫る構図は、松竹から離れ、自由な作品を作り上げることができるようになった篠田の大きな意思表示が伺え、画面の隅々にまで緊張感が漲っていて良い。そこには戸田重昌の手による、その後の大島作品で繰り返し使用される日の丸が、いつのまにか画面の片隅に入り込んでいるという効果をも誘発している点で感動的だ。
 この作品については、「悪霊島」共々再見した上で各シークエンスの奇妙さを考えたい。

*1:筆者注:創造社と表現社