映画 「シベリア超特急5」

molmot2005-02-13

21)「シベリア超特急5」 (新宿ピカデリー4) ☆★★★

2004年 日本 M&T PICTURES  カラー マルチスコープ 95分 
監督/MIKE MIZNO  脚本/MIKE MIZNO   出演/水野晴郎 西田和昭 ガッツ石松 淡島千景 中野良子 岡田眞澄


 今や、一大サーガを形成するシベ超シリーズも、実際にシリーズとして何本存在し、又それぞれの別ヴァージョンがどれ程存在するのか、全く掴めない。とりあえず自分が把握しているのを列挙していくと、作品としては「シベリア超特急」「シベリア超特急2」「シベリア超特急3」「シベリア超特急4 (舞台)」「シベリア超特急5」「シベリア超特急00・7 (舞台)」(日本映画専門チャンネル放送題「シベリア超特急7」)が劇場公開、或いはTV放送されており、既に完成している作品として「シベリア超特急6 1/2 背後に迫る殺人者」と番外編の「シベリア超特急 欲望列車」があり、今後の予定として、今年舞台で上演される「シベリア超特急8」、撮影に入る作品として「シベリア超特急9」「シベリア超特急10」があるという。舞台を4とか7とか言い出したから、シリーズ映画としては無茶苦茶な状態で、「シベリア超特急6 1/2 背後に迫る殺人者」では、やなぎさわやすひこが監督を務めたと言うが、恐らく水野の怪我で監督ができなくなった為の代行だろう。「シベリア超特急 欲望列車」はピンクとまではいかないまでもお色気Vシネマといった趣で、当初「シベリア超特急 痴漢電車」と題されていたものが、成人指定を受ける為改題されてものだ。こちらも監督は、なかたけいが務め、水野は出演と監修に留まっている。
 「シベリア超特急6 1/2」とか「シベリア超特急 欲望列車」と言われると、呆れるよりもそこまで作品世界が広げられることに感動するが、これらはまあ、今年中に見ることができるだろうから観た上でのハナシである。
 一応上記の現在観ることができるシベ超シリーズは全て観ているし、夫々の別ヴァージョンも幾つか観ている。作品として魅力溢れるのはやはり1作目の「シベリア超特急」で、これはもう水野自身絶対に越えられない凄まじい作品で、通産で10数回は観ていると思う。敢えてこの作品を越えるものを作るには、製作費を1作目の半分で作ることによって可能性が残されているのではないかと思う。
 「シベリア超特急2」は、ようは本シリーズの元ネタである「バルカン超特急」の前半部分、即ちホテル内のプロットを下敷きにしたもので、ただの安ホテルに往年の女優を集めた安物のミステリーだった。驚いたのが「シベリア超特急3」で、飛躍的に製作費が上がったと思われ、纏まりとしては最も良い作品で、シベ超としては完成度も高く=普通の出来の悪い映画になっていた。ある種、ここでシベ超は完結したと言うか、一つの目的を達したと言っても良く、次の舞台である「シベリア超特急4」で、シベ超の世界観を自ら壊しにかかる。つまりは意識的に観客側に寄り添った姿勢を示し始めたということで、「シベリア超特急5」はその方法論を映画でやったという確信犯的な作りになっている。「シベリア超特急2」「シベリア超特急3」には、監督補として吉原勲が付き、作品の破綻を防ぐことに務め、脚本にしても、2では北里宇一郎、3でも同じく北里宇一郎、上代務が水野の原案を基に脚本化した。ところが、今回の5では監督補も脚本も補助はなく、1作目以来となる、完全な水野の世界観によって成立している。だから、作品の完成度は非常に低く、破綻しまくっている。
 まず、開巻の試写室のシーンは、ぼんちゃん(西田和昭)が淀川長治の物真似をするという一点のみの為に用意されたようなもので、小森和子芥川龍之介(アカラサマに時代を間違えた登場)が出てきて失笑させられる。
 続いて例によって12分の長廻しをご自慢のシベリア駅のセットでやるわけだが、木村威夫が監修しているのか実際にデザインしたのか不明慮なクレジットではあるが、このセット、狭い上に安っぽく、全く良くない上に撮影が今回は喜久村徳章という黒沢清の「勝手にしやがれ!!」シリーズや「CURE」、塩田明彦の「害虫」「黄泉がえり」等を手掛けている方にも係わらず、この12分の長廻しはガタガタで、シベ超ならではの画になっている。
 肝心の列車については3以降、走って見えるようになってしまったので楽しくないが、今回は何故参加したのか、たぶん個人的に好きだからに違いない松本肇がフルCGシベ超を走らせているので、様々なシベ超を見ることができるが、やはり3の様に大井川鉄道を使って実写でやる方がリアリティはある。
 本編の大部分を列車内のみで展開させるのは1作目以来だが、やはりそれは苦しい。今回など、脚本上の工夫もなく、演出も水野の色が出すぎているし、1作目に近いくらい締まらない画が続いていていることもあり、退屈した。勿論、今回から過剰に観客受けを狙った毒殺ネタや、端々のセルフパロディで笑わせられるのだが、やはり作劇上成功していたかは兎も角、3の現代とシベ超を半々に描いたのは悪いことではなかったと思う。
 結局、観客サービスのために、辻褄の合わない行動ばかりになってしまっていて、ここまでやる必要があるのかとも思ったが、シリーズが作を重ねて、シベ超内で起こる殺人事件、というカセを守るためには、これぐらいのことをやるしかないのだろう。
 個人的には狙って作るバカ映画には魅力を感じず、結果的にバカ映画になっている作品は好きだ。だから本シリーズの1作目や「幻の湖」「デビルマン」「太陽を盗んだ男」あたりは、結果的に破綻したことが作品の魅力に繋がっている。「発狂する唇」みたいなミエミエな作品は大嫌いで、「ソドムの市」にしても狙っているシーンのみ浮いていて、それまでの素晴らしさには拮抗しきれていなかった。しかし、「シベリア超特急5」が凄いのは、そういった狙いまくっているシーンが幾つもありながら嫌味な感じがしない。例の万里の長城のシーンなど、やりすぎなのだが、まあいいかと思わせてくれる。
 中野良子ということもあろうが、女優が弱いとか、人物関係すら判然としないとか、純粋に出来は悪く、1作目以来の不出来さと言ってもよく、やはり作っているヒトが客に媚びたら面白くない。(続く)