映画 「ローレライ」

molmot2005-03-07

32)「ローレライ」 (Tジョイ大泉) ☆☆☆★

2005年 日本 フジテレビジョン東宝関西テレビ放送キングレコード カラー シネスコ 128分 
監督/樋口真嗣   脚本/鈴木智   出演/役所広司 妻夫木聡 柳葉敏郎 香椎由宇 石黒賢


 「ガメラ 大怪獣空中決戦」から丁度10年、樋口真嗣が遂に劇映画を監督した、というわけでは全く無い。確かに今回の「ローレライ」は、バジェットの大きな作品という意味でなら、樋口にとって初と言えるかも知れないが、劇映画の監督は、ヒグチしんじ名義で手掛けた「ミニモニ。じゃ ムービー お菓子な大冒険! 」がデビューである。とは言え、それを初監督と称することにも違和感を感じるのは、既にアニメ監督、特技監督としての存在が大きいからだろう。そもそも「トップをねらえ!」の当初の監督予定だったヒトなのだから、キャリアは長い。実写の経験値の不足を不安視する声もあるが、「おたくのビデオ」の実写パートの一部を監督しているし、「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを君に」内の実写パートは、クレジットが特技監督となっているので分かり辛いが、樋口が演出している。
 樋口真嗣の名前を意識したのはかなり遅く、「ガメラ 大怪獣空中決戦」を観てからだ。樋口真嗣こそは、円谷英二に次ぐ特技監督だと確信し、以降「ガメラ2 レギオン襲来」「ガメラ3 邪神覚醒」と素晴らしい特撮を堪能する至福の一時期をリアルタイムで接しえた。殊に「ガメラ3」は怪獣映画史上に残る凄まじい特撮で、一つの極点を示した。だから、樋口真嗣の次なる活動を期待したが、参加していた押井守の「GRM」が製作中止になったり、スタジオジブリ製作の庵野秀明が監督する戦艦大和の映画も企画が中止となり、目にすることが出来たのは「さくや 妖怪伝」や「ピストルオペラ」の特技監督としての仕事ぐらいのもので、「ガメラ3」に続く仕事としてはかなりショボイ。実際は既にこの頃より「ローレライ」の企画はスタートしており、金子修介ゴジラを撮る際、樋口に声を掛けたが、本作の映画化が実現しそうなので断ったものの中断となり、凹んだ樋口は仕方なく「ミニモニ。じゃ ムービー お菓子な大冒険! 」を撮ったとかいう真意のほどは定かではない噂を聞いたことがある。
 東宝撮影所に樋口真嗣が迎え入れられたのは嬉しいが、それにしても、東宝キングレコード・フジテレビをバックにつけたのは凄い。キングレコードのみでは配給に問題が出たであろうし、東宝の特撮映画という扱いでは上限が知れている。実際フジテレビが参入したのは、いちばん最後のようであるが、フジテレビ、即ち亀山千広によって脚本、キャスティングの方向性が決定づけられ、その結果、今のところ興行収益40億確実とまで言われる大ヒット作にすることができたのだろう。そういう意味で、樋口真嗣は非常に恵まれた環境を得ることができたわけである。「ガメラ3」の頃、ガメラシリーズが作品の質は高いと評価されながら、興行成績に反映されないことや、自身が係わっていたエヴァの大ヒット、又巨額の製作費を掛けて企画がスタートした「GRM」の中止などから、当たる映画を作らなければならない、デート映画として観てもらえるような作品を作らなければばならないと語っていた。「ガメラ3」が当初「ガメラ1999」と仮題がついていたのは、所謂前述のデートムービーとして一見さんでも観て貰える作品にしなければならないと考える樋口や南里幸と、金子修介伊藤和典の思惑のズレの象徴的タイトルでもあるわけだが、まあ結果的に「ガメラ3」と題された作品で、樋口の言うようなことをやるのは至難のワザだ。その部分での意見の分裂が、あの作品の破綻を招いたわけだが。
 ある種の贅沢病と言うか、若い頃より、身近に能力の高い者が多く、又、それらの作品に係わってきた樋口だからこそなのかも知れないが、通俗性、一般受けへの欲求がかなりあったようだ。ガメラですら子供よりも大人、それも極めて一部の好事家に溺愛されすぎた嫌いがある。だから、樋口が「踊る大捜査線 THE MOVIE」を絶賛したり本広の演出を賞賛したことに酷く驚いたが、通俗性への欲求が「ローレライ」の成り立ちに大きく影響していることがわかる。しかし、それは大いにケッコーなことではある。しかし、「踊る大捜査線」はレヴェルの低い子供向けのエンターテインメントであり、確かに観ている最中は楽しく観ていられるが、初歩的なエンターテインメントにしておくには、キャラクターの立ちかたからして惜しい作品だと思う。それはさておき、妙な踊るへの過大評価が「ローレライ」に悪影響を及ぼさぬか心配だった。

 
 原作を未だ読んでいないので比較ができないので、映画単体について書くが、2時間8分、全く退屈しなかった。確かに面白いと言える。しかし、この退屈しなさは、ショットのリズムで次のショットへと緩急良く繋いで引っ張っているだけで、「踊る大捜査線」同様、ハリウッド大作の劣化コピー的手法で紡いでいるに過ぎない。観ている間は退屈しないが、観終わると欠点が目立つ大味な大作めいた小品で、この手のイベント映画が好きなので、罵倒する気にはなれないが、樋口真嗣がこういう形で能力を摩滅させていくのかと思うと辛い。
 開巻よりローレライ出航に至るまでの、役所と堤のやりとりが、かなりアニメ的演出が施され、笑ってしまうほどなのだが、手元の寄りで画面外から複数の声がかぶったり、ロングショットでの手前のナメと言い、足元の地図を杖で指しながら作戦説明する様など、そこらのちょっとアニメ好き監督が取り入れるものとはエライ違いで、感心しつつ、この調子で全編やるのかと思いきや、ローレライに乗り込んでからは、艦内の狭さとシネスコなので、画が割れない御蔭で、開巻ほどの鼻につく見せ方はしていなかったので良かった。しかし、ローレライが出航すると同時に不味いものが目に付く。言わずもがなのローレライのCGである。まあ、予告篇などから予想はしていたのだが、確かに水モノをやる難しさはわかるにしても、このCGで良いのかと思う。
 大体何が嫌と言って、絶対ガメラも「八岐之大蛇の逆襲」も観ていない奴が、本作の特撮が駄目だとかいとも簡単に言ってのけていることで、樋口真嗣の作品なんだぞ、と声を大きくしたいところなのだが、残念ながらCGに関しては何故このレヴェルで許容したのか疑問だ。ミニチュアも併用しているが、ローレライの急速前進や潜行している画をCGのみに頼ったのは少々厳しい。
 本編についてだが、少女が乗っている設定自体受け付けないヒトは論外なので、まあキングレコード東宝でやってれば良かったものが、フジサンケイグループの作る戦争映画扱いされると勘違いした堅物の観客が来てしまったと諦めるしかない。少女によって潜水艦が起動する設定は良い。しかし、肝心のローレライシステムがどういう原理なのかわからないのは、この作品の根幹に係わるだけに決定的欠点と言える。潜水艦の運命が少女のシンクロ率が下がったり、拒否したり、あるいは決断を経て帝国海軍のために自身の能力を供与することで大きく変わるというのに、その過程の描写が悪く、まあ、あんまりやりすぎると、まんまアレになるので自制しているのだろうが、潜水艦の艦長を主とした男のドラマと、艦員の群像劇、そして少女、または少女と妻夫木の淡い関係、更には東京での堤と鶴見の駆け引きを入れ込むというのは、相当な脚本家の能力が必要とされるわけだが、果たして鈴木智の脚本はそれに応えていたか。勿論、完成台本を読んでいないので映画からの推測に過ぎないが、「金融腐食列島 呪縛」の群像劇の手腕を評価されとのことだが、あの作品自体、群像劇として優れてもいなかったし、原田眞人の演出に幾つか観るものがあったというだけで、作品の完成度は低い。だから、というわけではないが、本作の各エピソードはうまく機能していなかった。
 東京に投下される第三の原爆の阻止というのが冒頭に明快に示され(まあ、既に3月10日の大空襲でほとんど焼き尽くしている東京に原爆を投下して効果の程は、というハナシも日本史的にあるのだが。放射能汚染と天皇を殺す意外の目的では意味の無い爆弾ではないかと)、任務を遂行すべく進んでいくわけだが、中盤でどんでん返しがある。ここで、演出家の力量が試されるわけだが、グタグタである。東京での堤の謀略、それを阻止しようとする鶴見という構図は、「日本のいちばん長い日」あたりの影響が濃厚だが、どんでん返しによるサスペンスも説得力もない。これは、海軍軍令部を集めた本来最も緊迫を要求されるシークエンスでの交わされる科白が、非常に幼稚且つ拙いことにも起因しており、よもや戦争映画の形骸化は戦後60年を経て明快で、「CASSHERN」や「バトル・ロワイアルⅡ」を観てもわかるように、アニメを中に挟んだコピーのコピーによる劣化が、愚劣な科白が平気で入りこんでいるのではないか。むしろ、伊藤和典薩川昭夫を脚本に起用した方が、このような事態を避けられたのではないか。
 盛り込むのは良いが、根幹の幾つかあったであろう描写が薄まってしまっているのは残念で、開巻に語られる寄せ集めのどうしようもない艦員達の群像劇という要素が極めて弱い。その分、下腹が出ているピエール瀧の好演があるにしても、群像がただの背景としてしか機能していない。
 この作品は役所広司妻夫木聡によって映画的であることを一面から支えているが、それにしたって、例の踊るのというか亀山人脈的な、柳葉敏郎石黒賢小野武彦等のTV的な顔がちらつくのは大きなマイナス要素であり、殊に柳葉のいつもの如く首から下はピクリとも動かさないままの、顔面筋肉で9割の芝居をしようとする鬱陶しさはには辛抱できない程で、石黒や小野の小芝居も不快だった。
 以下ネタバレを含むが、ラストはやはり、どちらかが特攻すべきで、チャチなCGで急浮上してぶっ放してB29を撃ち落す荒唐無稽さを演出で補完できていたとは言えないのがこの作品の辛いところで、観客に設定の荒唐無稽さとCGという二重の補完鑑賞を強いるには演出で引っ張るしかなく、その点が厳しかった。
 尚、海軍は坊主頭である必要はなかったというのは確かにその通りだが、もはや戦中の日本人の顔とはまるで異なるブクブクの顔をした連中しか出ていないのだがら、せめて外観イメージの強調という意味で坊主頭にすべきだし、伸ばすにしてもポマードなり髪型なりを時代に合わせてくれないと、何のために戦争映画をやっているのかと思う、所詮、CMスポンサーと次の仕事や掛け持ちでやってる仕事の問題で髪が切れないというだけのハナシである。
 エンドクレジットの特技監督の件に胸が熱くなるが、一方で、本編監督と特技監督樋口真嗣が兼ねたことで、作品の質は上がったと言えるだろうか。「ピンポン」や「リターナー」を観た際、殊に「リターナー」は特技監督が監督を兼ねることの有効性を感じたが、本作に関して言えば、特技監督神谷誠あたりに任せた方が良かったのではないか。突出した特撮ショットが見当たらず、質もそう高くない。これが樋口が特技監督のみだったら、さぞかし格好良いショットが見られたのではないかと想像してしまう。
 樋口真嗣だけに、過大な期待を抱きすぎる嫌いがあり、本作は本格的監督進出第一作目としては悪くなく、興行的な大成功が次開回作を確約してくれるであろうから、次こそを期待したい。