映画 「アイデンティティ 特別版」「失業エボリューション」「まじろぎの棲家」「カレーライスの女たち」「こわれたまご」「マイ・シム・イン・パリ」「川口で生きろよ!」「胎児が密猟する時」「犯された白衣」「赤軍-PFLP 世界戦争宣言」「天使の恍惚」

シネアストの眼 (アテネ・フランセ文化センター)

 PLANET Studyo+1のサイト等で、CSの番組用に松江哲明が「カレーライスの女たち」を、村上賢司が「川口に生きる!』(当初告知されたタイトルは「阿賀に生きる」のパロディかと思わせた)を撮ると聞いたのは2003年だったか。興味を持ったが、自分はシネトライブを含めて観る機会がなかったので、今回の上映で、ようやく観ることができた。

34)「アイデンティティ 特別版」〔一般公開題:セキ☆ララ〕 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★★

2004年 日本 カラー スタンダード 83分 
監督/松江哲明  出演/相川ひろみ 杏奈

  既にDVDリリース版を観ているので、観る必要はないかと思いきや、再編集を施して30分程(実際には116分から83分へ)短縮していると聞けば、観ないわけにはいかない。
 解説文には『AVとして販売されたバージョンとは異なる特別版での上映。英語字幕付』とあり、海外の映画祭等を視野に入れた劇場公開版と考えて良さそうだが、観る前に勝手に危惧していたのは、一般版ということになればAV固有のシーン、つまりはカラミが切られるであろうが、その切られる分量がどうなるかということだった。30分以上のカットということは、カラミを全て切ってしまったのではないかという不安があり、しかしそうなると当然男優達の存在そのものが無意味になるので、それはできないだろうし、それでは「アイデンティティ」という作品のアイデンティティは喪失し、単純に在日3世のドキュメンタリーを撮りたいがためにAVの枠組みを利用しただけになってしまう。しかし、AV版の「アイデンティティ」はそんな単純な作品ではなく、AVパートも商品として成り立つ出来になっていることに失礼ながら驚いたものだ。と言うのも、おざなりなカラミを言い訳程度に入れている作品だってあるわけで、自分だってそういった作品を観る時は、本来のAVとしての価値を無視して『作品』として観てしまい、時にはその中にインサートされるカラミのシーンを疎ましく感じることすらあるのだから、タチの悪い客に違いないが、「アイデンティティ」に関しては、カラミが疎ましく感じたり冗長に感じることはなかった。二部構成の本作では夫々3回程のカラミが用意されているが、1回目のカラミを目にした時は、本編同様、短いショットで繋がれていく上、体位がジャンプカット的にポンと変わってしまうので、以降に続くカラミもこのような扱いなのだろうかと思いきや、順を追うにつれて濃厚さを増し、計算されたものであることがわかり、又、AVとしての機能性は十分果たしているように感じた。
 AVと本編(という分け方は不可だと思うが便宜上行う)のバランスが絶妙の均衡で保たれている点が良く、観ていて、ああAVパートが始まってしまったと思わせず、一つの流れとして違和感なく観ることができた。例が古いが佐藤純弥の「人間の証明」で、ファッションショーのシークエンスを角川春樹が、ニホン人は本場のファッションショーなど見たことないから、たっぷり見せろと言った為に、今見直しても映画全体のバランスが崩れる程、異様に長いものになってしまっているのと大違いで、本作ではカラミのシーンも飽きさせない。それは当然、その部分を仕方なく入れている者と、そうでない者との大きな違いなのだろうが、その姿勢の違いが作品の完成度に天と地と程の違いをもたらす。
 AVの編集は流れの重要性を言われることが多く、ようはカットが変わると体位が変わったりするのは、自己投影する視聴者の高揚感を削ぐ為禁じ手と言われるが、本作では回を重ねるにつれて、じっくりと丹念にカラミを見せ、観ている側が本編で描かれる人物達の言動に感情移入していく速度と軌を同じくしてカラミはより細かく見せていく。それらも含めて「アイデンティティ」という作品は圧倒的な凄さに満ちているが、では、今回上映されたヴァージョンでどうなっているかと言うと、自分が観た範囲での変更点を挙げると、基本的にはカラミの箇所を中心に短縮されている。今回のヴァージョンはAVではないから、性交という行為を滑らかに滑走して自然に捉えていく。明らかにAV版よりも性交描写は淡白になっている筈なのに、それによって作品のバランスが崩れたり、不足感や違和感を感じさせないのが凄い。
 具体的にカット箇所を言えば、1部では1,2回目のカラミが大幅に短縮され、3回目(尾道での山奥でのカーセックス)が完全にカットされている。又、本編中では、海岸で相川ひろみが「ありがとうございました」とカメラに向かって言うところは特別版でもあるが、AV版ではその後にテロップで「ありがとうと言われても‥」という作者の困惑が表示される。作者のつぶやきという意味では、ラストの相川と別れた後のエスカレーターの下がっていくショット(松江の振る手がフレームインするのが感動的だ)でフェードし、AV版ではその後、相川に今回の旅を詩にするよう依頼するも不出来だったというようなことがテロップで表示される。これらがカットされたことにより、この作品は微妙な変化を起こしている。これは上映後に監督自身にも伺ったことだが、基本的に一人で観るAVという枠組みと、大勢で一度に観る映画という枠組みを意識した改変で、AV版では作者自身のややシニカルな視点が入り込むことで、観ている個人がそこに同化することができるが、映画としては、やや蛇足感がある。余分な感情を排することで、83分に凝縮された無駄の無い作品に仕上がっている。
 第一部では、相川ひろみという在日三世のAV女優と共に彼女の生まれ育った京都、鶴橋、尾道を訪ねるわけだが、まず京都駅でエスカレーターを下りながら彼女に語らせる間、カメラは広大な京都駅構内を背景に捉えつつ降下していく。このショット一つとっても「GAMERA1999」で庵野秀明摩砂雪が、懸命に相変わらず奇抜なアングルから撮りまくって京都駅を見せようとしていたが全て凡庸なショットでしかなかったのと対照的魅力がある。鶴橋商店街にしても同様で、直ぐにその場の空気を吸い取り、然るべき箇所に人物を立たせ、然るべき箇所にカメラを持って立ち、然るべき画が映し出されていた。鶴橋商店街をどう撮るかというのは幾つも考えられる筈だが、絶対にココであるという確信を持って、あの素晴らしいショットとして観ることができるのだと思う。
 忘れることができないのは、夜道を走る車の中から正面を捉えたショットで、曲1曲分ひたすらFIXで撮っているだけだが、全く退屈しない。「百年の絶唱」「くりぃむレモン」でも同様のシーンが突出していたが、何でもないない車から捉えた風景の移動が感動的なのは何故か。 短縮化に当たって切られるのではないかと恐れていたが、流石にこの素晴らしいショットは当然ながら残されていた。
 海岸で佇む相川に、松江が「今何考えてた?」と問いかける。唐突な印象をもたらすこの言葉から相川は、直ぐに忙しくなると語り、テロップで、彼女が実家を出ることが示される。そこから、AV出演と彼女の家族という、どこかで聞かなければならない問いが、全く不自然さなく語られる。ある意味ベタな質問であるわけで、これを無神経な箇所に適当に配置されていたら、作品がぶち壊しになるところだが、開巻で見せた海岸を巧みに時制をズラして周到に配置することで、彼女と家族、そしてAV出演という関係性が殊更印象強くなった。
 素晴らしいのは、嫌味や過剰にならない程度の笑いが全編に渡って配されていることで、キムチを巡る作者のセルフパロディ的やりとりや、相川の年齢サバ読みなど、観ていて非常に心地良い楽しさがある。
 村上賢司撮影による8mmも今、観ていたことを一気に大過去へ押しやる効果を持ち、感傷的気分にさせられる。何より辛く感じさせるのは、相川ひろみを今後AVで見かけることがあるにしても、本作の様な心地良さに包まれた使われ方はせず、企画女優として刹那的な使われ方をされるだろうと想像がつくからだが、しかしそれが現実でもある。
 第二部は中国人留学生杏奈が被写体となるが、開巻の面接の様子を見ているだけで、一部の様な凄さは求められまいと思ったが、それは大間違いで、二部の主役は在日二世AV男優の花岡じったで、彼が天衣無縫な杏奈と、仕事として拘束された限られた時間の中で垣間見せる人間としての姿が捉えられていて素晴らしかった。その中に在日二世としての彼の存在、「在日って中途半端な人が多いんだよ」と語る彼の日本人観といったものが、撮影に向かう車中の会話、カラミを撮り終わった後のリラックスした雰囲気で、そして彼の実家の自室で語られていく。
 勿論第一部同様、AVの枠組みにカコツケタ、AV男優が主役の作品に摩り替えたりはしていない。商品として十分成立するカラミが、プロである花岡じったを得ることにより、第一部よりも更に激しく展開している。短縮はこちらも同様にカラミが主で、僅かに中華街を歩いている箇所での蛇足的会話が切られているだけのように思え、今回の版と印象が異なることはない。
 又、何より魅力的なのは、やはり杏奈で、相川ひろみにしてもそうだが、松江哲明の手に掛かると、実際よりも遥かに可愛く撮れているように思える。チャイナ服を試着したり、中華料理店で注文したりする彼女が常に愛らしい。
 花岡じったの部屋でのシークエンスを観ていて、松江哲明の空間把握能力の素早さを確信したが、前述の鶴橋にしても、基本的にゴチャゴチャした街で、どう空間を切り取ることも出来、だからこそTVで紹介される時は、まるで撮影場所が指定されているのかの如き同じ位置から撮られてしまう。その点、この作品では素晴らしい場を選びとり、絶大な効果を上げており、それはここで撮るという松江の判断の正確さを示している。花岡の部屋にしても、直ぐに壁に貼られてあるポスターを捉える。それがマイケル・ジャクソンだったり、置いてある本が微妙な異物感を醸し出して笑ってしまうのだが、そういった点を手早く取り込み、会話の糸口とし、被写体の人物像を補完させる手法は堂に入ったもので、嫌味や悪意を感じさせないのが良い。
 初めて知り合いの部屋に入った際、そのヒトの本棚を見れば性格がわかるなどと言うから見たら「あさりちゃん」と「わしズム」が手前に並んでいて混乱した記憶が自分にもあるが、往々にしてそういった異物感を味わうことを熟知した上で、むしろそれを楽しんで撮っているのだと思う。
 花岡の自室でカラミを撮り終わり、和気藹々としたムードの中で、民族について語られる軽々とした言葉に重い真実が込められている。
 因みに杏奈は、撮影数日後に日本人と結婚したそうで、その語の彼女の姿というのも見てみたい。
 この作品はAVという実際にカラミが撮影の行程で必ず必要とされるカセがあるからこそ、相川ひろみや花岡じったの夫々の在日二世、三世としての人生が凄まじいリアル感を持って近くまで迫ってきたのだと思う。だからAVである必要がないというのは、この作品の存在を根底から否定するものだし、短縮によってAVとしての商品価値は下がっているが、被写体と観客の距離の密接感は、短縮されたカラミによっても十分に結ばれている。 
  

35)「失業エボリューション」 (アテネ・フランセ文化センター) ★★

2004年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/鎌田ダイシ 


36)「まじろぎの棲家」 (アテネ・フランセ文化センター) ★★★

2004年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/山田雅史 

37)「カレーライスの女たち」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★★

2003年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/松江哲明

38)「こわれたまご」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★

2003年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/松岡奈緒

39)「マイ・シム・イン・パリ」 (アテネ・フランセ文化センター) ★

2004年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/木下香

40)「川口で生きろよ!」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★

2003年 日本 カラー スタンダード 30分 
監督/村上賢司

『時効なし。』出版記念 若松孝二ワンマンショー(1) (新文芸坐

 今週来週と2回に渡ってオールナイトが行われるが、「金瓶梅」以外は全て観ているので新味はないが、環境が良く、大スクリーンの新文芸坐で観ることができるのは気持ち良い。

若松孝二×足立正生トークショー

 さほど目新しいことは語られず、足立の新作「十三月」の製作事務所が大久保にでき、明日事務所開きだと語っていたことぐらいか。で、例によって2億1千万の製作費など捻出できるかと若松が突っ込むという展開。
 「17歳の風景」に続く若松の新作については、現在ハナシが来ているものとして、船戸与一原作で、荒井晴彦脚本という企画がある模様。しかし若松は資金に危惧があるらしく、荒井に脚本料を渡した上で、製作準備金を寄越せば直ぐに始めるのだが、と話していた。何にしても「餌食」以来となる荒井晴彦脚本で若松映画というのは是非見たい。足立が冗談めかして帰国していちばん驚いたのは若松がメジャー監督で、荒井が脚本家の大家になっていたことだと語っていたのが面白かった。

41)「胎児が密猟する時」 (新文芸坐) ☆☆☆★★

1966年 日本 若松プロ モノクロ シネマスコープ 72分 
監督/若松孝二   脚本/大谷義明(足立正生)   出演/志摩みはる 山谷初男

 何度も観ているが、今回がいちばん面白く感じた。以前シネ・ヌーヴォで観た時はビデオ上映だったのでスタンダード画面でしかなかったが、初めてシネマスコープで観て、やはり迫力が違い、多くの凡作をも撮っている若松作品の中でも緊迫感が一瞬たりとも弛緩しない点で圧倒的に素晴らしい。
 丸木戸定男シリーズ第一作となる本作での山谷初男の奇形性の素晴らしさ、室内のみを舞台にして、そこが世界の全てと観客にまで思い込ませる空間造形の素晴らしさ、素晴らしい佳作だ。

42)「犯された白衣」 (新文芸坐) ☆☆★★

1967年 日本 若松プロ パートカラー シネマスコープ 57分 
監督/若松孝二   脚本/若松孝二足立正生 若松孝二 唐十郎 山下治 )   出演/唐十郎 小柳冷子 林美樹 木戸協萬子 三枝巻子

 再見でもやはり、根本的な部位での魅力は感じるにしても映画的魅力にか欠ける。メモ程度の脚本を基に即興で作り上げていったとのことだが、それが悪いとは言わないにしても、手法を作品に昇華できていないのは間違いない。
 ラストの機動隊の突入が、柴田剛の「おそいひと」のラストより劣る。

43)「赤軍-PFLP 世界戦争宣言」 (新文芸坐) ☆☆

1967年 日本 若松プロ カラー スタンタード 71分 
編集/赤軍共産主義者同盟赤軍派) PFLP(パレスチナ解放人民戦線)   日本語音声/戸浦六宏 中島葵 重信房子 岩淵進 松田政男 足立正生

 2000年の足立正生全作上映の際に初めて観たが、久々の再見。印象は変わらない。開巻の「インターナショナル」をバックに流しながら戸浦六宏の素晴らしいナレーションで煽りつつ、ハイジャックした飛行機を爆破していくシーンが素晴らしい。又、重信房子の顔アップでアジる姿が美しい。

44)「天使の恍惚」 (新文芸坐) ☆☆☆

1972年 日本 若松プロ パートカラー スタンダード 90分 
監督/若松孝二   脚本/出口出足立正生 )    出演/吉沢健 本田竜彦 大泉友雄 三枝博之 小山田昭一 横山リエ

 この作品も評価は変わらず。知名度の割には極めて凡作。「テロルの季節」や「性賊 SEX JACK」のモチーフをより過激にやっているのに空転しているのは、若松が余りに実際の赤軍に接近しすぎてバランスを崩したのか。とは言え、最大の魅力溢れるのは、終盤の新宿で火炎瓶を投げまくる美しいショットの数々だ。