映画 「北の零年」

58)「北の零年」 (Tジョイ大泉) ☆☆★★

2004年 日本 東映 「北の零年」製作委員会 カラー シネスコ 168分 
監督/行定勲   脚本/那須真知子    出演/吉永小百合 渡辺謙 豊川悦司 柳葉敏郎 石田ゆり子

 昨年末に大阪の金券ショップで激安前売りがあったので購入しておいたが、行定勲なので観たかったのだが、3時間近い上映時間が祟ってタイミングを逸し、観るのがこの時期になってしまった。
 兎に角、行定勲がこういった大作を手掛けるのはケッコーなことで、この手の作品は降旗康男木村大作が凡庸な出来の作品にしたりするので、行定に機会が回ってきたのは良い事だ。
 東映という会社は方針が滅茶苦茶な会社で、ここ数年の迷走ぶりは目に余る。例えば−「千年の恋 ひかる源氏物語」という、まあある種社運をかけた正月映画の大作に、何故か東映とは関係の無いTV畑の堀川とんこうを起用し、撮影の鈴木達夫始め投影京都スタッフと対立する事態を招いた。「RED SHADOW 赤影」にしても同様だし、一方で「69 sixty nine」や「死に花」の李相日や犬童一心の抜擢もまた大胆ではあったが内容が伴わず、プロデューサーの不在を思わせた。
 行定勲の作品は劇場初公開作である「ひまわり」を偶々劇場で観て以来、何故か新作がかかる度に観に行くようになった。うまいわけではない。岩井俊二が行定を評して、自分は深夜ドラマで散々練習を積んでから映画に行ったので、作品コントロールができたが、行定は映画で練習していかなければならない。恐らくとんでもない恥をかくことが多いだろうが、臆せずに来た仕事を受けろ、といったようなことを語っていたが、確かに初期の作品は雰囲気は悪くないにしても、物足りなさが多かった。転機となったのは「GO」からだが、以降のメジャー系と単館系作品を量産し続ける行定の姿勢は好ましい。もっとも、「世界の中心で、愛をさけぶ」があまりにも大ヒットしすぎたのが、本人の意思とは関係なく監督生命を脅かす存在になりかねない諸刃の刃的存在に思え、柴崎コウのショートフィルムがあるとは言え、「北の零年」「春の雪」とメジャー作品が続いているのは良いとは思うが、「贅沢な骨」や「きょうのできごと」系列の作品の精度を高めて欲しいという思いもある。
 当初、この作品の撮影は故・篠田昇が担当する予定で、照明も同じくコンビの中村裕樹が担当し、岩井作品や「世界の中心で、愛をさけぶ」のスタッフが東映の大作を撮り、そして吉永小百合を撮る、ということがとても面白く感じた。
 映画界は、高倉健チャン・イーモウの新作に主演するのでようやく変化を感じられるが)や、吉永小百合の生かし方が、よもや本人も含めてわかっていないのではないか。吉永小百合は、ここ20年ばかりの出演作を観ても、ロクなものがない。市川崑とのコンビが終焉し、「女ざかり」の様な意欲作に出演しても、全盛期の撮影所時代の方法論と異なることに拒否反応を示し、以降は東映の凡作に出演し続ける。「時雨の記」のみ評価されているが、個人的にはさほど良い作品とも思えなかった。しかし、澤井信一郎木村大作、渡哲也とコンビで後何本がやれば質的には悪くない作品が出たのではないかと思う。東映と2年に1本は主演映画を撮る契約があるのかどうかは知らないが、だからと言って「千年の恋 ひかる源氏物語」などに出始めたらオシマイで、絶対的に素晴らしい女優だったのだから、良い脚本と監督を探せば意欲的な作品ができるのに、とも思えた。
 そういう意味で、まるで期待させない魅力に欠けるタイトルの「北の零年」という作品も、脚本が那須真知子であっても、監督が行定勲で、撮影が篠田昇と聞けば、それは観たくなる。
 昨年の篠田昇の死去は言わずもがな、「北の零年」からの降板を意味し、実際テスト撮影までは手掛けていたらしいが、北信康と交代となった。偏見的に言うと、そこがこの作品の傷口を広げた原因となったように思う。北信康は、近年の森田芳光作品で知られているが、シネスコで北海道を撮る難しさに太刀打ちできず、実際撮影が酷い。観ていて、なんでこのサイズなのか、どうしてもっと引かないという箇所が随所にあり、シネスコで寄りを撮る難しさに無自覚に寄っていて下品な顔アップが多かった。篠田昇は、シネスコで自然を捉え、そして下品にならない寄りを撮れる稀有なカメラマンだった。まあ北信康は「LOVE LETTER」のチーフ撮影助手なので、そのあたりは大丈夫ではないかと思ったのだが。「世界の中心で、愛をさけぶ」にしても、ハナシのクダラナサを、演出と撮影、照明で救出していたが、殊に篠田の撮影に負う部分は大きく、それだけに篠田の映像が存在しない「北の零年」は、ハナシと行定の演出に負うものが大きくなってくるのだが、ハナシも酷ければ、演出も行定とは思えないほど酷い。
 「デビルマン」と言い、何故那須真知子がこうも東映を背負って立つ大作を任されるのか。大体オリジナル脚本の本作は、那須真知子以前の問題として、東映社内でいじくり倒されたハナシになっていて、原作なしでやるのはいい事ではあるが、かと言って脚本家以前の場所でハナシを触りすぎているのだが、それにしてもヒドイ。
 そもそも、このハナシを吉永小百合渡辺謙が夫婦という設定でやること自体が無茶で、違和感はどうしようもなかった。
 恐らく「風と共に去りぬ」みたいなものにしたかったのだろうが、それは無理としても、せめて「コールドマウンテン」ぐらいのものにはしてほしかったが、そうなるとヒロインの造形が重要になってくるが、今年還暦を迎える吉永小百合に、ヴィヴィアン・リーニコール・キッドマンの如き動きを求めるのは無茶で、香川照之が何故こんなオバハンを襲おうとするのか。では娘である石原さとみにアクティブな要素を持っていくことで、或る程度そういった描写ができるのではないかと思えるが、そういったことも全くない。