角川春樹「用心棒」「椿三十郎」のリメーク権取得


 全くもって驚いた、と言うよりも呆れた。先日、現・角川映画のリメイク路線と、元祖角川映画であるところの角川春樹も「時をかける少女」をリメイクしていることを挙げて、リメイク風潮への疑問を記したが、まさか角川春樹がこんなものを仕掛けてくるとは思わなかった。相変わらず驚かせてくれる。
 自分は黒澤映画も角川映画も好きだが、だからと言って素直に喜ぶわけにはいかない。ま、既にハリウッドリメイクやらアニメやパチンコやらで、散々オリジナルを傷付けられているので、今更日本映画としてリメイクされたところで傷口が広がるぐらいにしかならない、などと未だ観ぬ作品に文句を言うのは最低であるが、越えるどころかオリジナルを傷付けるとしか思えないので、敢えて断言しておく。
 黒澤映画と角川映画というのは、共に映画でありながら、その距離は一貫して開いたままだった。「天と地と」を観た時、もしこの作品を黒澤明が撮っていたら‥と夢想したヒトは、自分以外にも居た筈だ。50億もの製作費を黒澤明に渡したら、どれだけ好きなことができただろう、とも思った。そういう思いが単なる妄想ではないと判ったのは、角川春樹逮捕後の「映画芸術 1994・冬号」で角川映画が特集された際に大林宣彦が寄稿した一文によってであった。掲載誌を持ってくるのが面倒なので記憶で書くが(大意は間違いない筈)、それによると「影武者」のワールドプレミア時に黒澤明は来客と握手を交わしていたと。大林も当然硬く握手してーで、角川春樹の番になると、黒澤はプイと横を向いてしまい、握手を拒否した。この時の角川の悔しそうな顔を、大林は忘れることができないと記していた。又、大林は角川春樹の夢の映画は、製作・角川春樹、監督・黒澤明であるとも。
 つまり、今回のリメイク権購入は、積年の角川春樹の夢の映画の実現であると言える。しかし、この事実を黒澤明が知ったら、どれだけ怒るだろうとも思う。黒澤が角川春樹を無視したのは、映画を本を売る為の商品としてしか考えていないことへの怒り(「影武者」公開年度は1980年なので、正に角川映画の全盛期であると同時に、作品の質は相当低かった時期でもある。「犬神家の一族」は例外だが、「人間の証明」などは、その悪い部分が拡大的に出てしまった典型的例で、イベント映画的楽しさは認めるにしてもあまりにも内容空疎だ)からだろうが、もし、どこかで二人が相容れる時期が来て、黒澤が存分に金をかけて好きなことをやり、そしてその作品を角川春樹が懸命に宣伝し、大ヒットしていればー黒澤も角川も、そして日本映画の流れも変わったかもしれない。
 それにしても何故、元祖・現角川映画(だけのハナシではにのだが)は、こうもリメイクが多いのか。大体「用心棒」や「椿三十郎」を、どうリメイクしたら面白くなるのか。誰が撮れるというのだ。福井晴敏が小説を書くと記事にはあるが、原作を執筆すると考えて良いのか、ノベライズか?しかし、角川春樹事務所とは馴染み深い福井晴敏の節操無い、新旧角川映画への係わりは何なのか。
 監督予想をしておくと、一時は黒澤の後継者になれると踏んだこともあった原田眞人を推したい。他では大林宣彦森田芳光、ベタに行定勲、あたりが無難な線か。ま、角川春樹が監督する可能性もデカイが、それだけは止めてもらいたい。驚愕の展開としては、北野武とか。
 結局は、クロパンが3億円で権利を売ってしまったのが悪いのだが、経営難の黒澤プロを思えば仕方ないことだ。黒澤の某遺作の禍根である。借金を返すのは、まあだだよ