映画 「戦国自衛隊1549」

molmot2005-06-21

98)戦国自衛隊1549 (Tジョイ大泉) ☆☆★★★

2005年 日本 「戦国自衛隊1549」製作委員会 カラー ヴィスタ 119分 
監督/手塚昌明     脚本/竹内清人 松浦靖     出演/江口洋介 鈴木京香 鹿賀丈史 北村一輝  綾瀬はるか

 「戦国自衛隊」という作品は、映画はヒットもしたし、個人的にも好みのイベント映画ではあるのだが、作品としては角川春樹イズムに満ちたハッタリと、大作感、サニーの真剣さを除けば雑な作品で、完成度が高いとか秀作といったものではない。だから、再映画化し易い作品と言えるかもしれない。
 実際、80年代後半だったか、長谷川和彦の監督で「戦国自衛隊2」というのが企画されたことがあったと、その助監督に就く筈だった三池崇史が語っていたことがあった。その後も何度か企画があがっていたことからも、荒唐無稽な魅力に満ちた作品として古びなかったということなのだろう。
 26年ぶりに再映画化された本作も、当初は「戦国自衛隊2」として企画されていたらしい。サニー等が歴史を変えてしまったので、修復の為に自衛隊員らがタイムスリップするという内容だったらしいが、オリジナル版のラストがあれなので、この設定は苦しい。サニーは喜んで出るだろうが。現実的に可能なのは、唯一の生き残りのムッシュが、戦国ロック帝国を築いてしまっていたとか。で、勝ち抜き歌合戦で勝敗決めるとか。新東宝的と言うか、狸御殿的な作りでどうか。
 それは兎も角として、福井晴敏半村良の原作は読み返さなかったとか偉そうに言ってるが、映画で観る限り、どう考えても半村良は原案ではなく原作だ。
 福井晴敏によるハナシは悪くない。オリジナル版を意識しつつ、全く新たな世界観ではあるが、ある種続編的要素も入れていて、オリジナル版を観ている観客も、そうでない観客をも取り込めている。開巻で何のタメもなくリズムの悪い短いショットの繋ぎで、タイムスリップしてしまった隊員が武士に弓で殺られるまでをやっているのを目にした時は、どうする気なのかと思ったが、彼らを救出する為にタイムスリップするという展開になって納得した。オリジナル版が再利用しにくハナシなので新たに、同じ状況を拡大映画化した上で、本作オリジナル要素である救出という設定を入れるのは巧い。確かにこの作品は、幾らでも面白くできうる要素に満ちている。福井晴敏の原作を読んでいないので、映画版との比較はできないのが残念だが。しかし、映画を観て、アカラサマに感じるのは、監督と脚本の不味さだ。
 監督の手塚昌明は、市川崑の助監督を長らく務め、近年のゴジラを3本監督している。ーと来れば、手塚昌明をどう思っていようがいまいが、絶対に彼の作品は嫌でも目にすることになってしまう。実際、監督デヴュー作である「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」から始まり「ゴジラ×メカゴジラ」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」、そして市川崑が総監督を務めたTVシリーズ「逃亡」の1本までも観ているのだから、手塚昌明の作品は全て観ている。その上で言うと演出力不足を感じることが多い。助監督を長らく務めていたから、最近のそれなりの規模の作品でも素人同然の監督を起用して基本的な演出すら覚束ない作品が多い中、手塚昌明は当然ながら基本的な演出の外しはない。しかし、それは下手な助監督上がりに多い画が繋がっているだけの部類で、作品としては水準を大きく下回るものばかりだった。しかし、ゴジラの場合は中々本編監督の評価を下しにくい部分もあるわけで、本作は手塚昌明にとって、大河原孝夫で言うところの「誘拐」に当たる作品となり、今後の監督として腕を試される重要な作品となる筈だった。
 にも係わらずゴジラ同様の出来なのは、所詮手塚昌明はやはりこの程度だったということであり、今後手塚昌明に期待できるとは思えない。
 前述したが、福井晴敏のプロットは悪くない。それが何故こうなってしまったか考えると、何故ロクに脚本を書いたことのない素人が、それなりの予算規模のエンターテインメント大作にいきなり起用されているのかという疑問に繋がってくる。何でも最初は字コンテみたいな脚本で、流石にスポンサー筋から問題視されて別の脚本家が入ったらしいが、福井晴敏の原作こそが重要で、それを脚本化するのにプロは不要な口を出すからいらないということなのか。原作の脚本は全く別物なのだし、映画として成立させる脚色作業というのは、もっとも重要なのにこういった良い加減なことをするから悲惨なことになるのだ。そういう意味では「交渉人 真下正義」で十川誠志を起用したのは平成ガメラシリーズに伊藤和典を起用したのと同様聡明な判断だ。
 脚本段階で既に問題が発生しているのに手塚昌明がそれを現場レヴェルで救済できるわけもなく、むしろより悪くしている。ゴジラの頃から横移動や横パンが多いが、重要な芝居もそこで処理してしまったり、人物をかなりいい加減な配置で後ろに置いてたりして、いきなり後ろから重要な科白を吐くから芝居場が流れてしまったり(本作における天守閣で監禁されている鈴木京香のシーンに顕著だ)、この作品には人物の葛藤と決断だらけの筈だが、それが全く出せていない。救出隊員や鹿賀丈史以下の人物達が全く描かれないのも空虚感を煽る。
 所詮アホなハナシなのだし、角川映画なのだから、もっとイベント映画としてハッタリと過剰さが必要だったのではないか。北村一輝伊武雅刀だけが角川映画的演技のありかたを熟知して演っていたのは良かった。オリジナル版で良かったのは、サニーが笑える程真剣な顔してやっていることだ。あの真剣な表情でタイムスリップにリアリティを持たせ、ヘリに捕まる姿に迫力を持たせた。そういう意味で本作では手塚昌明も含めて江口洋介鹿賀丈史も半笑いなのである。
 クライマックスの城崩壊にしても、ミニチュアの天守閣とCGで崩壊が描かれるが、この手のCG的炎の多用でバレバレで良いという風潮は気になる。
 ケツの敬礼の撮り方の下手糞さを含めて、いくらイベント映画でもあんまりだ。唯一鈴木京香綾瀬はるかは魅力的だったが、彼女たちの見せ場が必要だった筈だ。殊に綾瀬はるかは往年の角川娘ならもっと見せ場が作られていたのにと思うと、角川歴彦がクレジットすらされない角川映画もどきには今後期待できるかどうか。
 プロットは面白いのだから、幾らでも膨らませられるものが、無理やりこじんまりされた感があり残念だ。