映画 「身も心も」「シン・シティ」

molmot2005-10-21

200)「身も心も」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★

1997年 日本 東映ビデオ=東北新社 カラー ビスタ 126分
監督/荒井晴彦     脚本/荒井晴彦     出演/柄本明 永島暎子 奥田瑛二 かたせ梨乃

 公開時にテアトル梅田で観たのが1997年秋だから、もう丸8年前になる。平日の昼間、ガラガラのテアトルで観た。メモっていたノートが直ぐ出てこないのでアレだが、観終わって非常に困惑した覚えがある。大人の映画を観た、などと言う表現は大嫌いなのだが、この作品に関してはそう思った。ま、10代後半で観るには敷居が高かったかもしれない。全共闘も男と女の関係も遥かに無知な頃だったから。17歳の時にジジババに囲まれて神戸abシネマで観た「午後の遺言状」がつまらなかったのとは異なる世代差の問題な気がした。だから年食ってから再見したいと思った。ようは今はわからないが妙に引っかかる作品ではあった。
 ビデオ化はされているので、その気になれば観れたわけだが食指が伸びなかった。
 8年ぶりの再見で少しは作品に近づけるかと思ったが、結論として言えば、ちょっと近づいた。劇的に傑作じゃないか!というような変化はなかった。初見時よりは面白く観ることができた、というレヴェルか。
 印象深い箇所は変わらない。開巻の3部屋を使った横移動の素晴らしさ。奥田瑛二は後半まで出てこないし、かたせ梨乃の中盤まで出てこないが、開巻の心地良い横移動で示されるリズムで、二人のやりとりが染み込んでくる。
 タクシーでラジオから流れてくる「SEXY」を口ずさむ永島暎子(この手の唄が入ってくる演出は苦手なので、実際この曲自体嫌いなのだが、それでもここは素晴らしい)、自転車で疾走する柄本明。かたせ、永島、柄本で食卓を囲んで食べる饂飩、濃密ながらやりすぎにも醜くもならず、心地良い距離感で見せるベッドシーン。そしてこれは凄いと息を呑む、シーソーに乗る柄本と奥田を捉えたロングと横位置からのロング(BSの切り返しは天と横に空間が空きすぎていてやはり再見しても違和感があった。ま、かなり狙ってやったみたいだが)と、ラストの柄本が仕事場への道を歩いてくるショットの切り返しで、娘がアパートの二階の部屋の前に座っていて直ぐに柄本を見つけて立ち上がり柄本に喋りかける。この時のロングが凄い。ロングの為の距離が的確で、観ていて惚れ惚れする。
 初見時、この4人の関係がよくわからなかった。別に複雑な関係があるわけではないのだが、荒井的なゴチャゴチャ具合がよりゴチャゴチャしていて、ではと誰かに投影しようにも誰にも投影できずに置いていかれたような感があった。
 その点、年の功と言うか何でも経験しておくもので、今回はかなり生々しく迫ってきた。ある種のドッペンゲンガー的関係の男女二組はいつでも交換可能な状態であり、その交換が次々と行われるのが面白いんだろうな、と思いながら観ていた。
 前半の柄本と永島が過ごす日常が心地良い。全共闘を回想や安易な再現映像を使わなくても会話と演出で十分再現できることが今回の発見だった。
 細部が色々わかるようになったのが嬉しい。と言うか「争議あり」を読んでいると、この作品の原作なようなもので、正に完全なる荒井晴彦プライヴェートムービーだと良い意味で思う。
 柄本がシナリオライターだったり、奥田の外観は荒井そのままだったり、妻子とは別居だったり、マザコンだったり、昔、性生活の知恵を母親に取り上げられた際のやりとりだったり、そして学生運動の引きずり。
 微細なことだが、バーに張ってある「女学生ゲリラ」や「赤軍 PFLP 世界戦争宣言」のポスターも初見時は気付きもしなかった。ラストの緩やかな「インターナショナル」にも反応しなかった。インターを意識したのはいつからだったか。それまでにも「Helpless」とか幾つかの作品でも聴いていた筈だが意味も分からなかったし、良い曲とも思わなかった。しかし、前述の「赤軍 PFLP 世界戦争宣言」を初めて観た時に、高らかにインターを流しながらPFLPがハイジャックした飛行機を爆破する映像に高揚した(ま、見事にプロパガンダ映像に感化されたわけだが、それは映像と音響の高揚感だけで、続く日本側の赤ヘルが気味悪いとしか思わない赤軍派結成集会の写真や、重信房子が銀行ギャングも闘争の云々と意味のわからいことをグダグダ言い始めてすっかり冷めた)。だから逆にインターを使うというのは、余りにも意味を持ち過ぎてあざと過ぎる気がするようになった(面白いが臭い気もする「バウンス koGALS」のカラオケでのインターとか)。その意味で、この作品での柔らかなインターは心地良く、いやらしくなくて良かった。
 また10年後とか観直せば異なる印象を持つのではないかと思う。 

荒井晴彦×松岡錠司対談 (アテネ・フランセ文化センター)

 ガラガラで10数人しかいなかったが、来てるのが今岡信治とか坂本礼、荒井晴彦の娘とか、後は日本映画学校、日大、映画美学校の学生とか自主映画制作者しか居ない状況。学生の頃、よくこの手のイベントにマメに参加していたことを思い出す。途中退出しようとするが、あまりにヒトが少ないので立つと目立つから最後まで拝聴。極めて演者も客も覇気がなくダラダラと2時間過ぎてしまい、御蔭で今日が最後だった「サオヤの月」を見逃す。
 ま、行定勲の嘘つきとか、向井康介を買っているというハナシが面白かった。よく文中に出てくる娘が「身も心も」を観に来るというのは良いなとか思った。「争議なし」をよく読めば娘の名前も載っているので、そこから調べて公に載っている情報と、対談中のハナシとか総合して詳細情報出せるが、以前は「噂の真相」的に平気で書いていたが、最近そーゆーこと書くと、こんな所にまで文句来たり多少は広がったりするからやめとく。でも最近いつの間にか世襲制が導入されているらしい某業界で、深作健太(「身も心も」の助監督もしている)、新藤風、宮崎敬介、押井友絵、柄本かのこ的位置に行くのではないかと。

201)「シン・シティ」〔Sin City〕 (Tジョイ大泉) ☆☆☆★★

2005年 アメリカ カラー ビスタ 124分
監督/ロバート・ロドリゲス フランク・ミラー    脚本/ロバート・ロドリゲス フランク・ミラー    出演/ブルース・ウィリス ミッキー・ローク クライヴ・オーウェン ジェシカ・アルバ

 原作も読んでいないし、全く予備知識なく観たが、一夕のエンターテインメントとしては極上の面白さだった。
 最近のファミリー映画づいているロドリゲスには興味が無かったが、本作などロドリゲスが監督であることをすっかり忘れ、むしろ気付いてからも、原作者と共同監督なんて、「苺の破片」の中原俊高橋ツトムと同じでロクな傾向じゃないと思いながら観ていた。
 アメコミのコマ割りそのままに登場人物も皆背景よりも浮くようにグリーンバックで撮影している。動きも忠実にコミックに準にていて、見た目は面白いが、この手のものは持たないだろうと、原作に忠実にコマ割りに準じた市川崑の「火の鳥」や「ディック・トレイシー」の失敗を思い返し、やるならデヴィット・リンチみたいな方向に行った方が成立するのではと思っていたが、そのあたりはロドリゲスは抜かりなく例のファミリームービー3部作でデジタル技術を習得しているので、見事に成立させてしまった。
 「キル・ビル」以降という認識を強く持たせる作品だが(実際タランティーノも、1シーン特別監督として参加している)、タランティーノの雰囲気を真似るだけにならないのは、もう10年前からロドリゲスはそうだった。
 3つのエピソードがあり、それを多少時制をいじりながら展開していく。いずれもヴァイオレンス描写が半端ではなく、モノクロを主にして画面の一部がカラーになっていたりするが、だからここまで激しいヴァイオレンス描写を可能にしたと言える。久々にここまで首チョンパと血の噴き出る映画を観たが、下品にならず清々しく観ることが出来た。直ぐに、手や首が飛んでいくのが良い。
 正にシン・シティが主役の作品で、そこに住む人間達が夫々のエピソードで重なり合っていく。
 3つのエピソードはいずれも面白い。1話目のミッキー・ロークには瞠目した。元々好きな役者なのだが「レインメーカー」あたりまでのやる気なさそうな癖に演じると素晴らしい魅力を出してしまうしょがないヒトが長らく見かけなかったが、「マイ・ボディガード」から再び魅力が出てきて、この作品では復活どころか新たな領域に入った。本作がトラボルタ的復活の作品になるのは間違いない。
 個人的には、いささか秋本欽次的になるが、ねーちゃんが大量に出てくる2話目がいちばん気に入っている。殊に日本刀振り回すミホが良い。
 3話目は、やはり嗅覚良く参加するブルース・ウィリスが相変わらずこの手の内容だと良いし、ナンシーを演じたジェシカ・アルバが良い。
 復讐譚としてオーソドックスな作りを底辺に敷いているので、大量過ぎるモノローグも邪魔に感じないし、ヴァイオレンス描写の強力さも下品にならない。2,3度繰り返し観て楽しめる佳作だ。
 ただし、2時間4分という尺の中でエピソードの移行や緩急の流れが全くうまくいっていたとは言い難く、この内容なら90分から100分に収めた方が遥かに完成度は上がったと思う。(続く)