映画 「ゴムデッポウ」

molmot2005-12-27

伊丹十三 幻の監督デビュー作 『ゴムデッポウ』特別上映」 (草月ホール) 

 幻の映画は無限にある。死ぬまでにいつか観たい映画、これを観るまでは死ねない映画。そういった幻の映画は単なる過去への郷愁的意味合いの旧作ではなく、新作である。観ることができないのだから新作だ。つまり、自分にとって「ゴムデッポウ」は伊丹十三の「マルタイの女」以来8年ぶりの新作である。
 これまでにも何度か書いてきたが、「ゴムデッポウ」は本当にいつか観たい作品だった。初めてこの作品の存在を知ったのは12歳の頃、「淀川長治自伝」の下巻を読んでいたら、「お葬式」に触れた箇所があり、その中で伊丹について「ゴムデッポウ」の頃から観ているが‥といった記述があり、そこでタイトルを覚えたと思われる。
 「マルタイの女」で伊丹映画が10作に達した時、伊丹映画がDVD化された時、「伊丹十三の本」が出版された時等々、夫々の節目毎に「ゴムデッポウ」が上映されたり、或いはDVDの特典に、本の付録DVDになるのではないかと期待してきた。
 伊丹十三は1997年12月20日、麻布台の自身の事務所が入っているマンションの屋上から投身自殺したと言われている。大作キックとか諸々言うヒトもいるが、自殺なのかそうでないのかは永久にわからない。
 伊丹の死後、伊丹映画は急速に忘れ去られていく。フジテレビが独占放映権を得ていたが、死後はそれまでの頻繁な放映から一転、殆ど放送されなくなったことも理由の一つだろう。自分も11歳頃だったか「マルサの女」をその枠で見て何て面白いんだと興奮したクチなので、テレビという広い入口に伊丹映画がなくなったことで、伊丹映画の観客の継承が断絶しかかっているとも言えた。又、伊丹プロダクションを仕切っていたプロデューサーの細越省吾が伊丹の自殺以前に死去していたことも関係があるのだろう、伊丹の死後、当時既に隆盛に向かっていたDVDへの対応が著しく遅れた。実際DVD発売されたのは昨年になってからという遅さで、伊丹が生存していれば5年前にはとっくに発売されていただろう。そして、伊丹DVDが予想に反してあまり売れていないと聞くと、8年の歳月の長さを感じずにはいられない。
 伊丹自身が、あまり過去を振り返ることを好まなかったのも、そういった原因の一つになっているかもしれない。過去のハナシより新作のハナシを、という姿勢のヒトだったと伝えられているが、せめて映画に関してだけでも纏まったインタビューがあれば、と思い返すことが多い。現役で新作を連発している最中且つ、後期の伊丹映画は批評家から徹底的に嫌われていたので、そういった発想を持つヒトは居なかったのかも知れない。
 だから、「ゴムデッポウ」の上映など、伊丹が生きていれば、とても許しはしなかったのではないかと思うことがある。何せ、「大病人日記」内のインタビューで、今自分が「お葬式」や「タンポポ」を撮れば、半分以上のシーンを捨ててしまうと発言しているぐらいで、そんな習作且つ、前妻川喜多和子との共同脚本で彼女が助監督に就いた作品など、宮本の手前出してくるわけがないと言える。実際自分は、伊丹の死後も「ゴムデッポウ」を出さないのは、宮本信子川喜多和子との関係もあって出さないのではないかと邪推したことすらあった。
 2003年の「考える人 特集 エッセイスト伊丹十三がのこしたもの」は、ようやく伊丹十三の再評価、それもエッセイストとしての再評価が始まったという意味で画期的だった。その後、新潮文庫でのエッセイの再刊、そして今年出た「伊丹十三の本」と、順調にコトは推移している。しかし、それにしても時期外れの年末に、唐突に「ゴムデッポウ」を観る機会が訪れようとは思ってもいなかっただけに、驚き、興奮した。
 会場の草月ホールは、1964年に「砂の女」と「ゴムデッポウ」が上映されており、41年振りに同じ場所で再映されることになる。
 会場のスクリーンには開演までの間、何と伊丹が出演した、例の一六タルトのCMが6篇程流されており、夫々2回繰り返し観ることができた。伊丹のCMと言えば、自分の世代ではマヨネーズ(ある時期の監督には黒沢清が当たっている)と、ツムラぐらいしか覚えていないのだが、松山の方言で全篇伊丹が喋ることで伝説的だった一六タルトを観ることができて、感動的だった。パターンとしては、伊丹の湯河原の家のそこかしこで様々なシチュエーションで撮られているものが殆どだが、ゴルフ篇や洗濯している主婦篇、花嫁篇など、ちょっとした笑えるものもあり、『伊丹十三とCM』という視点はやはり大変重要だと言える。そういった点にも光を当てたのが、「考える人 特集 エッセイスト伊丹十三がのこしたもの」が殆ど初めてなのだから、伊丹の再評価は本当に遅い。
 開演すると、初めに宮本信子の舞台挨拶があった。『みなさん、「ゴムデッポウ」が見つかりました』で始まる感動的な言葉だった。宮本によると、「伊丹十三の本」出版に際し、湯河原の家を2日間に渡って撮影に行った際、普段は開けない戸棚を開けてみるとフィルムが3本あり、そのうちの一本が「ゴムデッポウ」だったという(個人的にはあとの2本が気になるが。「11PM」用に撮ったというショートフィルムではないのか)。『あらー、どうしてここにあるの』と思ったそうである。『だって伊丹は何にも言ってくれなかった』から、宮本はそれまで「ゴムデッポウ」のフィルムがどこにあるのか全く知らなかったようだ。湯河原の家に在れば、宮本なら気付くだろうと思っていたが、伊丹の死後もあまり整理はしていないようだ。その後、発見された「ゴムデッポウ」はIMAGICAに持ち込まれ、伊丹映画を担当していたスタッフにより、フィルムクリーニングを行った上で試写を行ったと言う。長年棚に放置される形で置かれていたので、フィルム自体の損傷は少なかったようだが、音声トラックにはやはり一部問題が発生しているとのことだ。IMAGICAでも、一度は上映できるだろうと言われ、宮本は祈るような気持ちでテレシネを行ったと言う。
 宮本信子を初めて眼前で見たが、「ミンボーの女」以降の臭い芝居には辟易し、「ラジオの時間」のカメオ出演の掃除のオバハン役ですら後姿のロングだけなのに既に臭い芝居でウンザリさせられたが、舞台上での話し振りを見ていると、やはり良い女優だと思った。結局彼女を巧く生かせたのは、伊丹十三だけだったのが残念だが、せめて周防正行三谷幸喜ぐらいは、伊丹以上の宮本信子の使い方を見せて欲しい。大体、既成の女優にはない魅力があったのは確かで、そうでなければ、マルサシリーズにおける、例のオカッパ、ソバカスという大胆なメイクができる女優というのはいない。

248)「ゴムデッポウ」(草月ホール) ☆☆☆★★

1963年 日本 伊丹プロ モノクロ スタンダード 約30分
監督/伊丹一三伊丹十三)    脚本/伊丹一三伊丹十三) 川喜多和子    出演/市村明 伊丹一三 鷹理恵子 原田清梧 笹本善彦

 あらゆる意味で、後の伊丹映画とは一線を画しつつも、予見させもする、魅力溢れる小品の佳作だった。個人的には「マルサの女」「お葬式」「タンポポ」に次いで好きな作品だ。
 まず、伊丹十三が自身で監督しつつ出演をしている唯一の作品である。伊丹の監督主演映画としては、実は特報の存在があり、「あげまん」「ミンボーの女」「大病人」「スーパーの女」「マルタイの女」には伊丹が主演しており、ショートフィルムの趣がある。殊に「大病人」の特報2パターンは秀逸で、映画本編より遥かに面白い。パターン1は、伊丹がヒッチコック調の喋りで試験管片手に病室で語るもので、パターン2は、伊丹がベッドで死生観を語りその上には天使が居るという、今観れば何とも言えないものがあるが、公開時には面白がって観た。又「マルタイの女」では、伊丹の運転する車に火炎瓶が投げ込まれ、伊丹が火達磨になるという派手なもので、本編のクライマックスのリハーサルのつもりがあったのだろうが、全く同じ事を本編でもやられてしまうと、白けてしまったが。
 伊丹は「お葬式」以降の作品において一切自作には出演せず、又元俳優と自称することもあって寂しい思いをさせられたが、「お葬式」では、松田優作が断り結果的に江戸屋猫八が演じた葬儀屋をやろうとしたらしい。従って、「お葬式」までは未だ主演とまでは言わないまでも、自作に役者で出るという意識は持っていたと考えることができる。「ゴムデッポウ」においては、クレジットこそ二番手だが、実質主役のようなもので、監督主演作としての伊丹映画という非常に興味深い視点で観ることができる。
 又、伊丹映画唯一のモノクロ作品である。勿論、「お葬式」の浅井慎平撮影による16mmのエクレールで撮影した設定のパート(「お葬式日記」によると実際はその前のビデオパートの撮影で機材トラブルがあった為、16mmパートも事故があってはいけないからと35mmで撮影した由)や「タンポポ」の開巻、「あげまん」の「黒い十人の女」をも思わせる津川雅彦のイメージシーン等でモノクロが使用されているが、全篇モノクロというのは「ゴムデッポウ」が唯一であり、或いはスタンダードサイズの伊丹映画の系譜として観ても興味深い。スタンダード時代とビスタに移行してからの伊丹映画は画面構成に変化がある。伊丹は元来スタンダードが好みのようで、ビスタの横長がいかに中途半端で邪魔かを「マルサの女日記」でも記しているが、事実「ミンボーの女」以降のビスタ伊丹時代に入ると、画面の両サイドにも何らかの情報を入れ込むという画作りがなされ、スタンダード時代にも多かったとは言え、それほど五月蝿く感じなかったドアップが増え、それも劇画調へと加速度的に進んだ為、映画館で観ていると異様に感じることも少なくなかった。「大病人」など、ガラガラの梅田劇場で観ていたら、流石に千近いキャパの大スクリーンで連太郎のドアップを延々見せられて疲弊した。ビスタという意味では「タンポポ」もそうなのだが、「タンポポ」と「ミンボーの女」以降の作品と比べるだけでも大きな変化があり、「マルサの女2」以降の著しい質の低下と、ドギツク、クドイ映画になっていく過程へのヒントがあるように思う。
 本編にハナシを戻すと、大きなストーリーがあるわけではない。有閑な若者の日常をスケッチしたもので、その中心にゴムデッポウ遊びがある。1962年に撮影されたこの作品は、当然ヌーヴェルバーグの影響を見て取ることは簡単だが、若者の空虚感や寂寥感をもサラリと描いているのが、たまらなく魅力的だ。
 会場で、公開時のプレスシートと言うかチラシというか、見開き2ページの復刻版(本作主演の市村明氏所有のものの由)を貰ったが、作者の言葉が書いてある。短いものなので、全文移してみると、

 ■作者のことば■ 伊丹一三
 若者たちを描きたいと思い始めたのは、随分むかしの話です。若者たちの倦怠、ささやかな生き甲斐、萎縮した夢、かなり上質のヒューモア、妄想、ー私は常にそれらに心を惹かれてきました。
 若者たちの生活は、むしろ空虚であり、たいした内容を持たず、小さな快楽と、深刻な悩みを伴い、あてどなく、索漠としている故にこそ、彼らはいっそう生活の各瞬間を充実感でみたさずにいられないように思われます。
 そうした若者たちの日常生活の、散漫なたたずまいそのものを、映画の中へ移植してみたい、というのがこの映画の発想です。
 そうした、こうした、一貫した目的意識を持たぬ若者たちの、生活や意識を表現するのに適した時間構造を持つ映画というのはどういうものか、また、映画の作中人物は、日常性を契機に、ドラマより優位に立つべきではないのか、というのが私たちの課題であったあったといえましょう。

 と言うもので、ここに本作の全てが語られ尽くしている。尚、「考える人 2006年冬号」には「ゴムデッポウ」について1963年にATGのパンフに書かれた伊丹のエッセイと、主演の市村明が当時を回想したロングインタビューが載っているので、「ゴムデッポウ」を知る上で欠かせない一級の資料と言える。伊丹はそのエッセイで『「ゴムデッポウ」に関しては、わたしはこれが失敗作だということを知っているので』という書き出しから始まっているが、これは謙遜で、素晴らしい佳作だった。
 タイトルクレジットの美しさにまず魅せられる。

 レタリングの名手伊丹だけに当然なのだが、後の作品でも煩雑な文字が画面に入ってくることを許さず、タイトルデザインに凝るヒトだった。と言っても、タイトルはシンプルに出るだけで、奇をてらった出し方など一切しなかった。エッセイでも有楽町そごうの外壁の文字に怒っていたことを思い出す。
 続いて伊丹の実際の自宅でのゴムデッポウの撃ち合いに興じる様が描かれる。撃ち放たれたゴムがサイコロに当たり、下へ落ちていくグラフィカルな繋ぎの素晴らしさ、各々が撃つ際に極端にズームする素晴らしさ。伊丹はズーム嫌いだと思っていたが、ここではズームが有効的だった(因みに「お葬式」では吉川満子が棺に泣き伏せるシーンで、一度だけは許されるのだと言いながらズームしている)。
 伊丹映画は食と性によって貫かれている。5年前にまとめて観返して以来、「マルサの女」以外は再見していないので、今思いつくものだけを挙げると、「お葬式」開巻のアボガド、鰻、通夜の寿司、葬儀後の弁当、山林内の性交。「タンポポ」はラーメンから始まる食の狂想曲だ。そして黒田福美と役所の食によるセックス。「マルサの女」の母乳、ビール。船越栄一郎の嫁との濃厚な交わり。「マルサの女2」の蟹、ハムエッグ、女子高生との交わり。「あげまん」の宮本の作る弁当。そしてこの作品はセックスそのものがテーマだった。「ミンボーの女」の大地康雄の弁当。宝田明のズラ取れそうな不倫写真、クラブでの乳房鋏切り。防犯カメラにつけられるヴァイブレーター。「大病人」のケーキ、病室での性交。「静かな生活」でのホームパーティ、犯される佐伯日菜子。「スーパーの女」は「タンポポ」の続編的な食の連鎖劇であり、更に回転寿司も登場する。そしてあの醜悪な宮本と津川のベッドシーン。「マルタイの女」では中華料理‥等など伊丹映画では常に食と性が介在することで作品が成立している。
 では、「ゴムデッポウ」ではどうか。やはりしっかりあった。
 食ーパスタをめぐるシーンが顕著で、これは当然「タンポポ」の岡田茉莉子のシークエンスを想起させるが、「ヨーロッパ退屈日記」においても正しいパスタの作り方を教えてくれたが、本作での俯瞰で皿を捉えつつ食べながら回虫のハナシや牡蠣と糞尿のハナシといった、過剰なやりすぎ感が、やはり伊丹映画だ。
 性ー伊丹と鷹理恵子(このヒトは全く知らないが、調べてみると中川信夫の「悲しみはいつも母に」や、「嫉妬」という大映映画に出ているので、伊丹の大映在籍時の知り合いかもしれない)がベッドでキスをめぐる対話をするシーンに込められている。このキスをめぐるエピソードも後に伊丹のエッセイにあった内容なので、本作が後の伊丹のエッセイの原点的存在としても興味深い内容になっている。
 鷹理恵子は妙な魅力があり、伊丹とのキスをめぐる対話の後、リビングに寝ている友人達を起こしに行く際、カメラは彼女の後ろをハンディで追うのだが、暗い室内に入り、カメラはそこで止まり、彼女がロングでカーテンを開けるのがとても良い。
 本作について、ま、「考える人」の最新号が1962年をテーマにしているということもあって、1962年の風景がといったことが言われていたが、別に風景を見たいだけなら「ゴムデッポウ」を観る必要はない。伊丹は普遍的な若者の退屈で屈折した日常をスケッチしたのであり、1962年の東京がその背景として巧く機能している。小林信彦が60年代前半のこの時期を、60年安保が終わってオリンピック前の、のんびりした陽だまりのような時代と言っていた、実感のない自分でも確かにそんな時代だったろうなと思ったりする。
 駅のホームで目に入る、又は電車の車中から窓外に見える文字を全て声に出して読むという挿話、これもエッセイにあったネタだが、街がいかに品のない文字の暴力で支配され、文字の雑音が襲い掛かってくるかが端的に示されていて素晴らしかった。
 豪邸の前で市村明達が妄想するのは、4年後に伊丹も出演した「日本春歌考」を思わせる(因みに大島渚は「日本春歌考」に伊丹を起用したのを伊丹の魅力と共に川喜多和子が喜ぶだろうと思ったとしている。更に言えばこの作品には伊丹の強力なプッシュで生徒役として宮本信子が出演している)。
 街が魅力的に切り取られているのは、新宿の街頭や皇居前広場二重橋を背景に手前を全学連が安保粉砕を叫びながら横断していくショットの素晴らしさにも現れている。
 銀座チロル店内での伊丹が服を選んでいるシーンの良さ。伊丹のサングラス、ジャケット、シャツと良い実に良い。
 有閑人である伊丹と対照的に、チロルの店員である市村明の存在があるが、彼が終盤伊丹宅で語る仕事への不安は、この作品の楽天的な軽いスケッチの中に点々とした墨汁として広がっていく。これは正に伊丹自らが言うところの『若者たちの倦怠、ささやかな生き甲斐、萎縮した夢、かなり上質のヒューモア、妄想』の映像化として成功している。市村明は、「お葬式」での手伝いに来る金田明夫にキャラクターが被って思えた。
 ラストカットの3人がゴムデッポウを持ってカメラ側に撃つ際に、夫々バンなどと口で言いながらカメラが夫々をパンしながら追うという動作を3回繰り返すのが良い。
 この作品から21年後、続編が生まれる。「お葬式」である。「ゴムデッポウ」と「お葬式」は相関関係が深い。描写に主眼を置いた作りの作品ということのみならず、有閑人種が主人公だとか、日常のディテイルへの素晴らしい描写に満ち、アマチュア的な未完成さが逆に魅力となって作品を傑作にしてしまっていた。前述した様に、後の伊丹が今「お葬式」を見返すと流れが展開しないシーンが多すぎるので半分以上のシーンを捨ててしまうと語ったが、そうすると途端に「お葬式」は魅力を無くしたただのマニュアル映画になってしまう。 更に「お葬式」の続編が「大病人」で、若い頃、ゴムデッポウ遊びに興じていた男は、やがて俳優で成功し、妻の父親の葬儀を出す。そしてその後、その俳優は監督もするようになり年老いて、癌になって死んでいく。という伊丹十三私映画三部作として形成することが可能だが、「大病人」には「ゴムデッポウ」と「お葬式」にあったディテイルの厚みがなく、陰惨な失敗作に終わっていた。そして伊丹十三も「マルタイの女」という、全シーンに渡って柱と言うか、その後のシーン展開をテロップでサブタイトル的に示した上で余分な描写を飛ばして、見せ場のみで形成するというゾッとするような無残な作品を遺作にして世を去った。
 「ゴムデッポウ」は映画らしい映画の魅力に満ち溢れた素晴らしい佳作だった。伊丹映画を観て面白かったとコヤを出たのはいつ以来だろうか。「ミンボーの女」が未だ文句はありつつも爽快なエンターテインメントだったので楽しめたというぐらいか。以降の作品には悪い印象しかない。それでも次こそは次こそはという思いで新作に接していた。何せ山崎努が復帰すれば再び伊丹映画は傑作になるとまで思い込んで、だから「静かな生活」はひょっとすればと期待したのだ。
 面白い伊丹映画を観ることが出来た。この上映の機会を作られた方々に感謝したい。贅沢を言えば、是非DVD化を望みたい。ネガはフランス映画社が持っているのだろうか?

『ゴムデッポウ』時代の伊丹十三について 対談/村松友視 新井信

 「考える人 特集 エッセイスト伊丹十三がのこしたもの」で、エッセイストとしての伊丹十三を垣間見せる多様な証言をしていた村松友視と新井信が、対談の形で伊丹十三を語るという嬉しい企画だったが、非常に面白かった。
 伊丹が案外だらしない部分もあり、締め切りに間に合わない場合はインタビューものなどの場合、村松が代筆したことも何度かあったという。伊丹の文体に合わせて書くのが苦労したと言っていたが、流石に単行本化の際には切られていただろうとのことだ。
 又、伊丹映画について、村松は後期に行くに従って序破急が決まりすぎていることの堅苦しさを覚えたと語り、一方新井は対照的に、ハスミ的な画面を語られることが苦手なので、後期の序破急に徹した作品を支持していた。実際村松は、伊丹に直接その旨を伝えたらしいが、伊丹はディテイルに依存するに足る役者が日本には居ないというような言葉で返したらしい。
 伊丹十三の映画技法の変化を誰か、生前に聞いていて欲しかったと思う。個人的には「マルサの女」の興行、批評の圧倒的成功が、以降の伊丹映画を迷走させたと思っている。事実「マルサの女2」から、くどく描写の連続になり、ひたすら観客への迎合を深めることになる。「あげまん」「ミンボーの女」までは、それでも未だエンターテインメントとして楽しめるものがあったが、以降は伊丹の想定する映画、エンターテインメントと。こちらの望むものが、あまりに大きくかけ離れた歪な作品が連打されるようになり、本来ならば再び初期作のようなディテイルの魅力で見せる筈だった「静かな生活」までが、そこかしこに、くどさが塗りたくられていた。
 伊丹十三を捉える意義の大きい対談だった。

 因みに、池内万作版「ゴムデッポウ」とも言えるのがコチラ伊丹万作を祖父に、伊丹十三を父に、などと格式ばって考える必要はなく、才ある若手俳優が自由気ままに作ったショートフィルムだ。