反論なんて知らない

 http://d.hatena.ne.jp/molmot/20051225/p1
 にまつわるハナシである。
 12/25の欄に次のようなコメントを頂いた。

# C 『気色の悪い人にはチラシをあげないんです(笑)』 (2005/12/26 05:54)

公開しているメアドには、次のようなメールが届いていた。

molmot様
あなたの書く文章(とも呼べませんが)は映画への冒涜です。
もう映画について書くのをやめてください。
やめてください。失礼です。失敬です。
チラシがもらえないのも無理ありません。
あはは。
cocue
(26 Dec 2005 05:43:37)

 メールはブログへの転載を許可してほしいとメールしたのだが、返事がなかったので、黙認いただいていると好意的に解釈して載せることにする。
 偶然にも12/26の早朝に10分差で書かれているのだが、同じ様な文面なので、同一視しかけたが、どうなのかはわからない。又、メールでいただいた方は、何に対して『失礼』だとか『失敬』だとか言っておられるのか書かれていないので皆目検討がつかない。仕方ないので、何に怒ってるんですかと返信したが、未だ返事がないので、それを推定してみたい。
 まず、コメントでいただいた方から。
 『あげない』と書かれていることから、コメントを頂いたCという方は、あげる側に居る方と考えるのが自然で、即ち上映に携わっている方と考えて良いのではないか。
 チラシに関しては、普通に読めばわかる通り、チラシが貰えなかったとゴネているものではない。ハナシのマクラとしてのエピソードであり、普段ならもしそーゆーことがあっても、特に言う必要もないのだが、以降の上映中のケアの悪さに対して、なるほどだからチラシを渡すのもいい加減なのねと納得した為、敢えて書いたのである。メールで頂いた方もチラシ云々と書かれていて、どうにもハナシの本質を下卑た箇所に落とし込もうとする意図がミエミエなのだが、読めばわかる通り、事の本質は『スクリーン全体に光が差し込』んだり、観客のマナーについてである。
 ま、自分は、チラシを全てバインダーに綴じたりする趣味はなく、ざっとチラシを取って、必要なものは置いておくという程度なのだが、映画館通いをしているとチラシの情報の重要性というのを感じることがある。「カミュなんて知らない」の上映イベントがあると知ったのも映画館で偶々手に取ったチラシからだ。そしてそういったチラシの配布を学生宣伝部が行っていることも以前から「カミュなんて知らない 学生宣伝ブログ」を読んでいたので知っている。今回、自分がチラシをもらおうとしたのは、上映の前後にプレスシートやパンフの代わりにチラシを見たかったというだけのハナシである。自分も連れのヒトも貰えなかったのだから仕方ないが、それでもまあ、不慣れなヒトが入場時に渡し損ねたと思おうと思っていたら、ところがどうやら上映関係者らしいCというヒトのコメントに『気色の悪い人にはチラシをあげない』と書かれていたので、そーゆー観客の判別基準があったのだと驚いた。自分が『気色の悪い人』かそうでないかは、客観的判断に任せたいが、せいぜい自分で思い当たるのは、自分はこの時レザーコートを着ていて、連れのヒトもレザースカート、レザーコートだったので、二人とも貰えなかったところを見ると、これがCさんらには『気色の悪い』ものと映ったのだろう。これは自分の不徳の致すところであり、以後十分気をつけたいが、今回の上映イベントのみが、『あげない』となっているのなら幸いだが、ココを読むと、配給のワコー/グアパ・グアポが背景につきながら学生宣伝部というのがあるらしいので、ひょっとすれば配給会社が、そのような指示を出しているのではないかとすら想像してしまい、公開時に劇場に向かわれる方々にも注意を喚起した方が良いのではないかとすら思ってしまう。それにしてもCさんらが『気色の悪』くないと判断した方が、上映中にペンライトを何度も明滅させてチラシを見るという凄い行動を取っていたが、自分からすれば、そんな行動こそが『気色の悪い人』なのだが。Cさんが上映関係者なのだとしたら、態々こんなところに書き込む熱心さを、何故そういった観客のマナーを注意する方向に向かわなかったのか疑問である。
 次にメールでいただいたcocueさんである。
 この方の場合は、どの項目について語っておられるのかから特定しなければならない。普通書くけどな。ひょっとすれば、当ブログ全体を言っておられるのかも知れないが、それなら見解の相違とゆーことで、申し訳ないと言うしかない。或いはひょっとすれば「愛のコリーダ」の単行本を購入したことについて怒っておられるのかもしれないが。まあ、順当に考えて「カミュなんて知らない」についてだろう。ところが、これが上映会の不備についてなのか、作品についてなのか、どちらについて怒っておられるのかがわからない。作品についてなら、貴重なご意見ありがとうございました。できうればもう少し具体的に書いていただくと後々の参考にさせていただけるのですが。と返しておしまいである。しかし、もし、万が一、上映会について書いておられて、上映の関係者だとしたら、こちらも困ってしまう。『失礼です。失敬です。』と書いておられるが、良いものは良い、悪いものは悪いとしか書けないので、自ずと当事者からすれば『失礼』で『失敬』なものと思うかもしれないが、口が悪いのは生まれつきだし、田山力哉が大好きだったので、どーしても文体は『失礼』で『失敬』なものになってしまう。そういった自分の判断基準の中で、上映中のスクリーンにドアの開閉で何度も光がスクリーン全体に照射されたり、周りでペンライトを何度も明滅させたり、地声で喋ったり、携帯の液晶がそこかしこで光っている状態を、どう頑張っても良いものとは断じて言えない。
 まあ、チラシ云々と書いてあるから、思わずCさん同様上映関係者ではないかと想像してしまったが、そんなことはありえないに決まっている。何せ、本当に関係者なら『映画への冒涜』という決定的な言葉を吐ける筈がないからだ。『上映中のスクリーンにドアの開閉で何度も光がスクリーン全体に照射された』りすることこそが『映画への冒涜』なのであって、そういった不備を指摘することが『映画への冒涜』というなら、筋違いも甚だしい。「風と共に去りぬ」でも「ニューシネマパラダイス」でも何でも良いが、上映の不備や上映会場の不備を指摘して、それが『映画への冒涜』になると言われてしまえば、自分は映画館へはもう行けない。監督が犯罪者なら映画も同罪という理不尽な理屈と同じで、上映会の不手際を作品に直結させてしまうことこそが『映画への冒涜』だ。
 と、メールにどーゆー立場のヒトかが書いていなかったので、色々想像してみたが、この中にどれか当たりはあるだろうか?ま、最後の上映関係者ってのはないだろう。と言うのも関係者なら、『失礼』だとか『失敬』だとか言う前に、上映時の指摘した問題点について何らかの反論なりがある筈で、それを無視するわけなどありえない。無視すれば、そういった状態を全く問題視していないということになってしまう。
 最後に言うまでもないことだが、上記の問題と「カミュなんて知らない」という作品自体は全く別問題である。作品については以前書いた通りで、自分としては傑作とも佳作とも思わなかったが、プロの手腕を堪能できる作品で、観て損のない作品である。是非観て頂きたい。自分も公開が始まれば、例によってパンフを買いに行かねばならないが、『売ってあげない』とか言われないかとドキドキしながら映画館へ向かうだろう。