映画 「ミュンヘン」

molmot2006-01-25

14)「ミュンヘン」〔MUNICH〕(ヤクルトホール) ☆☆☆★★★

2005年 アメリカ  ドリームワークス ユニヴァーサル カラー シネスコ 164分
監督/スティーヴン・スピルバーグ    脚本/トニー・クシュナー エリック・ロス    出演/エリック・バナ ダニエル・クレイグ キアラン・ハインズ マチュ−・カソヴィッツ ハンス・ジシュラー

 スピルバーグというヒトは不思議なヒトで、最盛期というのが見当たらない。「フック」あたりの頃はもう駄目かと思い、続く「ジュラシック・パーク」は面白かったものの、サスペンス演出に衰えはなくとも、不要なドラマ要素が中途半端に入り込み邪魔だった。それが次回作の「シンドラーのリスト」で凄まじい傑作を生み出し、復活したと喜んだのも束の間、「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」は本当にスピルバーグが演出したのかと思うような凡作で、大体娯楽映画と賞狙いの作品を交互に出す器用さが不快だと思ったら、完成度が肝心と思われる「アミスタッド」が凡作で、そら見たことかと、やはりスピルバーグはもう駄目なのかと思っていたら「プライベート・ライアン」という両要素を満たした凄い傑作を作ってしまう。「A.I.」は個人的にはもう一つだったが、何度も繰り返して観た上でないとはっきりしたことは言い難い、今でも引っ掛かっている作品だ。「マイノリティ・リポート」は好きで、ヒッチコックの「海外特派員」の流れを汲む巻き込まれサスペンスを派手なSFの世界観で描いた秀作だった。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」「ターミナル」は軽い作りの作品ではあるが、それなら100分程度で見せきるべきと思ったし、演出技量の巧さはわかるにしても、それ以上の価値は見出しがたかった。そして「宇宙戦争」というシンプルな傑作を放つ。観客のことなど考えず、自分の好きな原作でサスペンス演出を存分に見せつけ、徹底した虐殺描写に満ちたプライヴェートムービーと言うべき作品で、「ジュラシック・パーク」の欠点である中途半端なドラマ要素も廃して「激突!」に近い映画の根源的面白さを見せた傑作だった。
 そして、「シンドラーのリスト」「アミスタッド」「プライベート・ライアン」の系譜に数えられるであろう、スピルバーグの世界の歴史シリーズと揶揄したくなる気持ちも僅かに持ちつつ接した新作「ミュンヘン」は、やはり秀作と呼ぶべき優れた作品だった。
 予備知識を一切持たずに観たので、この作品がどういう視点で描かれているか、全く知らなかったものの、スピルバーグパレスチナ礼賛映画を作るわけがないので、その場合は演出術のみを楽しむことに専念しようと思っていたのだが、開巻のオリンピック村襲撃シーンを「黒い九月」視点で描く描写がまず素晴らしい。夜の闇に乗じて門を選手と思い込んだ他国の選手に手伝ってもらいながら乗り越え、建物伝いに移動していく様子をロングで捉えたショットから襲撃ー、そして以降はライブフィルム、ニュースを交えて、事件の結末までをテレビを介して描きながら、視聴者として位置していた主人公のエリック・バナの描写に入っていく。
 珍しいと言うべきか、スピルバーグが臨月の妻とのセックスを描写しているので意外だったが、本作ではセックスが重要な主題として掲げられている。
 バナはイスラエル政府が隠密に用意した暗殺団の一部のリーダーとして任命されるが、「プライベート・ライアン」で愛国心ゆえに任務を遂行するのではなく、家に帰る為に任務に就いたように、バナは妻、やがて生まれてくる子供の為に金を稼ぐという要素を強く持ちながら任務に就く。勿論その底辺にはイスラエルを思う気持ちや復讐心もあるのだが、そこに自身を投げ打ち個的闘いを進める最終的な動機には家族の存在がある。その点が非常に引っ掛かってきて、安易にイスラエル視点だからと腹を立てながら観る必要はないのだと思いなおした。
 以降は、スパイ映画、暗殺映画の要素が入ってくるので、近年の「マイノリティ・リポート」や「宇宙戦争」に顕著なヒッチコックの後継者としてのスピルバーグの絶妙な演出術を堪能することになる。既に出尽くした感のある特定のジャンルにそのまま奉仕するのではなく、SFなりの別要素を底辺に敷くことで、作品の印象を変えてしまう手法は、本作では史実を基にした1972年の再現に費やされる。ヒッチコックに関しては今回は「サボタージュ」のシークエンスをそのままやっているので嬉しくなるが、銃撃、爆弾による報復テロの緊張感は凄まじい。しかし、スピルバーグはそれらの描写を連続性のある軽妙なリズムに乗せることを拒否し、作品の緩急を意識的に深くつけている。その辺りが尺が延びている遠因にもなっているのだろうが、時として無意識にエンターテインメントの極みを見せてしまうスピルバーグは、当然ながら暗殺シーンの巧みさが「シンドラーのリスト」のユダヤ人虐殺シーンが興奮する程痛快無比なエンターテインメント化しているように、「プライベート・ライアン」の開巻30分の血が飛び肉が裂け散る描写が、悲壮感より先に嬉しさが込み上げる面白さに満ちているように、「ミュンヘン」の銃撃で頬に貫通した貫通痕から血が噴き出る描写や、高らかな銃声が鳴り響くことが当然予想されながら、それでも心底銃声音に驚かされたり、爆発に席を立ちそうなぐらい驚かされるといった、楽しくて仕方ない描写に満ちていることを意図した上で、それが単なる描写の為の描写に終わらないよう、緩急の深みをつけることで、各描写の凄まじさの余韻を観客に与える。だから観客は、どんどん報復テロをやれとは思えない。むしろ、各作戦の杜撰さ、無意味さを回を追うごとに感じずにはいられない。
 初戦の銃撃にしたところで、バナは拳銃を取り出すのすらモタつくし、二人の内どちらが撃つかすら揉める。全くリーダー然としない頼りない暗殺者で、何とも人間臭い。爆弾も不発だったり、予定より爆発規模が小さかったり、大きかったり、何とも頼りない。標的以外は巻き込まない予定すらも覚束なくなる。「仁義なき戦い」のズッコケ芝居的緊張と緩和に満ちている。
 パレスチナ側を悪し様に描いていないことも良く、暗殺の標的となる人物は皆、平凡な市井の人間だったり妻子のある高官だったりする。バナ同様観客も、リストにあった人物を消すという情報のみで報復テロを肯定する立場で画面を見続けなければイケナイので、そのことの無意味性、虚無感に襲われる。正に報復テロの無意味性に満ちており、イスラエル批判にもなっていることには驚いた。
 
 終盤を割ってしまうが、バナの妻とのセックスを交えた描写は、バナが以降の任務を拒否したことの根源的理由に繋がり、スピルバーグだけにややぎこちなくはあるが、政=性の同一性をスピルバーグがやったという点で興味深かった。
 ラストの911への返歌は、同じショットでも凡庸な「ギャング・オブ・ニューヨーク」より遥かに良かった。
 この作品に関しては、諸手を挙げて傑作と言える程、この作品を捉え切れていない。パレスチナについても、日本赤軍方面から少し知っている程度のもので、この作品に係わる知識は殆ど有していないことや、映画として果たして164分の尺が必要だったか、又は構造として、2時間少々のスパイ活劇の枠組みで描いた場合と、本作のような作りにした場合とで、果たしてどちらに有効性があったかなど、一度観ただけでは、はっきり言えない。再見する予定なのでその上で再考してみたい。