映画 「ある子供」「ホテル・ルワンダ」「好きだ、」

molmot2006-03-15

47)「ある子供」[L'Enfant/The Child](シネマ・アンジェリカ) ☆☆☆★

2005年 ベルギー フランス カラー ヨーロッパビスタ  95分
監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ    脚本/ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ    出演/ジェレミー・レニエ デボラ・フランソワ ジェレミー・スガール オリヴィエ・グルメ ファブリツィオ・ロンジョーネ

 「ロゼッタ」にしろ、ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌとの相性はそう良くなく、魅力はわかるにしろ、絶賛とまではいかない。
 ハンディで撮影することが対象を魅力的に捉える、という一つの方法論を実践するヒトは数多いが、ジャン=ピエール・ダルデンヌリュック・ダルデンヌのハンディは作為臭がせず、これ見よがしになっていないのが良い。
 相変わらず、女の子の不機嫌な顔が素晴らしく、全編に渡って約8割がブスっとした顔をしているが、それが魅力的だ。
 ロクデナシの男との間に子供ができてしまうも、男は働かず窃盗を繰り返して小金を稼ぐ。
 二人にとって、子供も結婚もゴッコ遊びの延長でしかないと、公園で延々とふざけあったり、車中で男にチョッカイ出す女を捉えることで端的に示している。
 しかし、一つの出来事によって少女は強い母となる。男は何も考えていない。その場その場の思いつきで行動している。だから、前に少し聞いた話を思い出して、子供を『売る』。女への愛情は示しつつも、自身の子供へはそう愛情を注ぐことなく、女が目を離したスキに『売る』という行為に出る男は何を考えていたのか。ダルデンヌだけに理由づけ、動機の説明的描写はない。思いつき的に電話して売って金をもらう、それだけだ。現在進行形の描写の積み重ねの重厚さが、作品を力強いものにしている。
 引ったくり、逃走、追跡、逃走、隠、といった描写も素晴らしい。
 ラストの唐突に訪れる抱擁も素晴らしいが、ここまで来ると唐突過ぎて、小品の佳作ではあるものの、もう少し僅かに、余剰的箇所があれば作品がもっとふくよかになったのではないかと思う。

48)「ホテル・ルワンダ」[HOTEL RWANDA](シアターN渋谷) ☆☆☆★★★

2004年 南アフリカ イギリス イタリア カラー シネスコ  122分
監督/テリー・ジョージ    脚本/ケア・ピアソン テリー・ジョージ
    出演/ドン・チードル ソフィー・オコネドー ホアキン・フェニックス デスモンド・デュベ デイヴィット・オハラ

 作品の前提となる箇所について歴史認識が全くない自分が観ることにいささか後ろめたさはあるものの、だからと言って関東大震災朝鮮人虐殺はなかったなどと無知を装った悪質な言動を吐くような下品な真似はしたくない。
 一見したところ、非常にわかりやすい作りで、問題の根源部分については判断できないものの、僅か10数年前に起こっていた史実の一部分を垣間見せてくれた。前半を観ながら危惧していたのは、例えば「ヒトラー 最期の12日間」みたいに、ヒットしたり、大衆性を得ている作品の場合、往々にして作品としては凡庸だったりすることが多い。とは言え、前半だけ観ただけでも既に「ヒトラー 最期の12日間」とは比較にならない程の的確な演出で見せていっていたので安心はしていたが、一瞬たりとも弛緩させずに全編見せきっており佳作だと思った。
 「ホテル・ルワンダ」と言っているくらいだから当然なのだが、ホテル内に集中した見せ方をしたのが成功で、外の虐殺の比重を重くしすぎると手に負えなくなる恐れがある。テリー・ジョージの他の作品を観ていないので決定的なことは言えないが、大状況を捌くのがそれほど巧いヒトとは思いにくい。ホテルというシチュエーションを主舞台にしたのが決定的だと思う。
 観客もホテル内に避難した一員となって、民族間で起こる虐殺に震える。

49)「好きだ、」(アミューズCQN) ☆☆

2005年 日本 カラー ビスタ  104分
監督/石川寛    脚本/石川寛    出演/宮崎あおい 西島秀俊 永作博美 瑛太 小山田サユリ

 「tokyo.sora」は録画したDVDを持っているくせに怠慢こいて観ていないので、石川寛の作品を観るのは初めてである。
 趣旨は嫌いじゃない。本来支持したい作りの作品だ。アンダー気味のスーパー16あたりで撮った映像の透明感や、日常の淡々とした描写、宮崎あおい西島秀俊永作博美小山田サユリと好きな役者も出ている。本来ならば少々出来が悪くても擁護したいと思いたくなる作品だ。
 でも、そんな気には全くなれない。何故なら一瞬たりとも映画が画面から立ち上がってこないから。自分にとっては映画もどきであって、決定的に映画ではない。DVDで家で観たら、ひょっとしたら良いのではないかと思う。TVで映画を観ると、表面的な映画らしさを映画館で観るよりも求めるから。
 30秒、1分毎に画面に商品ロゴが出てくるのではないかと恐ろしくなってしまう、典型的CM監督の作る映画だった。初期2作はまだしも「茶の味」で悪い方面に進んだ石井克人や、「SURVIVE STYLE 5+」がより顕著だった、CMの方法論で2時間の映画にしようとされても、ショートフィルムなら兎も角、長編映画としては絶対に成立しない。根本的に、画の割り方や編集のリズムが30秒、1分単位なので、映画としての流れやリズムは皆無で、パーツ、パーツとして観て行けばそれなりに魅力はあるにしても、それが大きな流れには、全くならない。
 作品の作りとして、ギターのイントロが何度も使用されているが、「赤裸々ドキュメント」の前半後半のインストゥルメンタルの使い方とそこにインサートされる画を思わず観ていて思い出したが、どちらが映画であるかは言うまでもない(AVに対して映画扱いしてしまうのは逆に失礼なのだが、先天的に何を撮ってもテレビになってしまうヒトもいれば、映画になってしまうヒトもCMになってしまうヒトもいるということだ)。
 静謐と言っても、例えば小津の作品は表層上はそう取られるとしても、実際は過剰で騒々しいし、人物の内面の葛藤は激しい。本作では画も十分饒舌なのに、それに画で伝えきっていることを、ボソリとわかりきった科白にして言うものだから、観ていて神経がイライラする。宮崎あおいを使っていてこの程度では困る。とりあえず、宮崎あおいが出てくれば彼女の力で映画にしてはくれるが、作品の作りが全く離反しているので、映画のようなものにしかなっていない。唯一の収穫は永作博美で、彼女の素晴らしい表情を画面に定着させることができていたのは良かった。
 嫌いだ、この映画。