映画 「かもめ食堂」「ヨコハマメリー」

molmot2006-05-17

96)「かもめ食堂」(シネアミューズ) ☆☆☆

2005年 日本 カラー ビスタ 102分 
監督/荻上直子    脚本/荻上直子    出演/小林聡美 片桐はいり もたいまさこ ヤルッコ・ニエミ タリア・マルクス マルック・ペルトラ 
 
 シネスィッチ銀座で公開されるのは知っていたが、既に予告篇も何度も観ていたものの、あんなに客が来るとは思わなかった。直ぐに渋谷、新宿、池袋でも拡大公開されたが、荻上直子の作品がこんなにヒットするとはわからないものである。
 実際観てみると、確かに銀座をフラフラしてるオバハンとかが好きそーな作りで、フィンランドで小奇麗な食堂を開くハナシで主演が案外主婦層の絶大な支持があるという小林聡美ということもあり、ヒットする要素はあったわけである。
 荻上直子的には次回作のためには良かったと思うし、本作も気持ちの良い作品に仕上がっているので、ノンビリ楽しむ分には申し分ない。
 エピソードの配列がもう一つだとか、コーヒーメーカーをめぐる伏線の張り方がぶっきら棒だとか、笑わせる為にインサートする映像が間延びし過ぎだとか、文句を言えばキリがないが、フィンランドの風景と小林聡美片桐はいりもたいまさこといった芸達者に助けられた作品になっている。出てくる食べ物がおいしそうで食欲を刺激してくれる。
 

97)「ヨコハマメリー」(テアトル新宿) ☆☆☆☆

2005年 日本 カラー スタンダード 92分 
監督/中村高寛    構成/中村高寛    出演/永登元次郎 五大路子 杉山義法 清水節子 広岡敬一

 テアトル新宿で激混みという経験は随分していない。千円で観ることができるから殆ど水曜を狙って行くことが多いのだが、トークショーでもない限り大丈夫かと思うぐらい閑散としている印象が強い。しかし、「ヨコハマメリー」はケッコーな混み具合だそうで、確かに都内でも池袋東急で全日上映しているところを見ると、朝夜のみのテアトル新宿は混んでいるだろうということで、二時間前にチケットを購入しておいたのだが、既に20番代で驚いた。結果、上映前にはロビーにそれなりにヒトが溢れる状況となり、口コミで広がっているんだな、と。客層もテアトルではまず見掛けない層が動員されているようで好ましい。
 で、チラシの棚を何気に眺めていたら、自分の直ぐ前に屈み込んだヒトが居た。視覚に入ってくる人間なんてのは、こちらでもある程度行動パターンを予想しているわけで、予想外の行動を取られた場合、自己防衛の為の行動に移ることになる。で、その前に屈んでいたヒトは立ち上がるかと思いきや、身を急激に横に捻り、半身を起こし気味に中腰で『「セキ☆ララ」チラシがこんなところに!』とか言っている。妙な動きに何かされるんじゃないかと一瞬怯んだが、その声を聞いて、姿を見つめると直ぐに誰か分かった。童貞K氏だった。早速ツレのヒトに、あそこに「童貞。をプロデュース」主演の童貞K氏が居るよと伝えると、ツレのヒトは、『童貞なのに娼婦の映画観るの?』と差別的暴言を吐き、そーいや風俗は不純だ何だと言っていたな、などと本人の与り知らぬ所で勝手に話し合っていたが、映像作品に出演して自分を晒すとは、こーゆー弊害を生むが、それは、ま、仕方ないことだ。
 というようなことはどうでも良く、「ヨコハマメリー」には圧倒された。素晴らしい傑作だった。脇目もふらず、ひたすら画面に見入っていた。前号の「映画芸術」に紹介されていたのを目にして、初めてこの作品の存在を知り、これは観たいと思ったが、こんなにいいとは思っていなかった。
 自分は関西に長らく住んでいたので、ハマのメリーさんについては、名前を聞いたことがあるぐらいでしかない。コチラの方々には有名なようで、学生の頃よく見たとか聞かせてくれるヒトも居る。大阪に居ると、天王寺公園に出没する鶴瓶によく似たオカマの方とか阿部野橋駅に居つく長すぎる髪のババアとか、近鉄南大阪線に乗り込んでくる肌の真っ白な少女のようなババア他強烈なキャラクターの印象が強すぎる上、どうにも薄汚れた印象しかなく、メリーさんのような崇高さはない。
 開巻近くの永登元次郎の1991年のライブにメリーさんが花を贈り客席から高らかな拍手が沸く映像を見ただけで既に涙腺が危なかったが、と言って、この作品は不要にメリーさんを美化したり、みんな暖かく見守っていたとか、聖なる娼婦像に落とし込んだりはしていない。強烈な差別意識が同居していたことも描いていることに好感を持った。
 この作品の素晴らしさは、場とそこに住む人を丁寧に積み重ねていくことで、その場に存在したメリーさんを、立体的に浮き上がらせたところで、その場を知らない自分にも、メリーさんを知らない自分にも、その存在が強烈に印象ずけられた。
 根岸家(「天国と地獄」のあのシークエンスは実在の店だったんだと初めて知った)の間取りをしつこく聞くシークエンスなど、観ている最中はそんなに重要かと思ったが、そこにかつてあった建物を証言によって再現していくことで観客も共にその時代を想像し、そこにメリーさんが立つ姿を生々しく想像することが可能となる。
 それにしても証言する人々が素晴らしい。単にメリーさんを語るだけでなく、夫々の人生が滲んで見えてくる。まあ、職業柄強烈なキャラクターが多いというのはあるのだが、年老いても夫々艶がある。元愚連隊のオッサンはいかにもそんな格好のまま年を経ているし、いかにも昔ながらの置屋の風情を残した喋りのバアサンの言葉の心地良さや、クリーニング屋、美容院のオバハンの言葉。悪く言う気はないが、こういった人々と並んでしまうと、役者である五大路子の言葉が演じがかった軽々しいものに感じてしまうのは仕方がないのかもしれない。
 喫茶店でメリーさんと同じカップでは困るという客の声、美容院の客のメリーさんを拒絶する声、これを単純に酷いとは言えない。スクリーンや間近を通過するだけでなく、そういった場に居合わせたら、果たして自分は拒絶しないと言えるかどうか。
 そしてこの作品の主役である永登元次郎。彼の歌声がメリーさんと重なり、そして終盤の映画史に残る奇跡的な美しいショットを見せる。以下ネタバレを含むが、終盤のパンによって捉えられたあの人を目にした瞬間、滂沱の涙だったが、伊勢崎町に縁があるわけでも、メリーさんを見たことがなくとも、1時間半に渡って様々な人々の言葉とそれを切り取った映像によって再構築された、伊勢崎町とメリーさんに観客は限りなく接近することが可能となり、あの人の姿を捉えたパンによって、ひたすら涙を拭うことになってしまった。