映画 「ポセイドン」「間宮兄弟」

molmot2006-06-15

138)「ポセイドン」〔POSEIDON〕 (新宿ミラノ座) ☆☆☆★★

2006年 アメリカ WB カラー シネスコ 98分 
監督/ウォルフガング・ペーターゼン    脚本/マーク・プロトセビッチ    出演/ジョシュ・ルーカス カート・ラッセル リチャード・ドレイファス エミー・ロッサム ジャシンダ・バレット


 何度か前にも書いたが、オールタイムベスト1本を挙げろと言われたならば、迷うことなく「タワーリング・インフェルノ」を挙げるぐらいなので、パニック映画には目がなく、少々問題があるようなパニック映画でも、かなり寛容に楽しんでしまう。「ポセイドン・アドベンチャー」は、「タワーリング・インフェルノ」と製作順は逆になるとは言え大好きで、パニック映画の中でも「タワーリング・インフェルノ」に次ぐ傑作だと思う。昨年久々にLDで再見したが、色褪せることなく興奮させられた。
 「ポセイドン・アドベンチャー」リメイクの報は、喜ぶわけでも怒るわけでもなく、遂にリメイクの波はそこまで押し寄せてきたと思ったぐらいで、特にそれ以上の思いは無かったものの、リメイク版の予告などが流れ出すとやはり興奮してきてしまうのは、元来のパニック映画愛好と、パニック映画全盛時に間に合わなかった世代故に、劇場でリメイクとは言え特別な思い入れがある作品(「スーパーマン・リターンズ」でも同様の思いを抱くのだが)、幼少時に日曜洋画劇場などで接した作品へのノスタルジー的思いが混然となって、それを劇場で観ることが出来るという妙な感動があって、そういった目で観てしまうので、何故か予告の段階で涙腺が危なくなったりする。
 だからと言って、この評判のかなり悪い「ポセイドン」を無理矢理持ち上げる筋合いはなく、オリジナル版への神聖視がより強い作品だけに、不味ければ許し難い思いに駆られるのは必至なのだが、まあ、映画を観るのにそんな気合を入れるわけはなく、シネコンで観ようと思っていたのだがデジタル上映と聞いて敬遠することにし、偶々夕方にポンと時間が空いたので、新宿の金券ショップを覗くとミラノ座で980円だったので、デカイスクリーンで観るべき作品なので丁度良いと。客席は例によって4割程しか埋まっていなかったが、前列気味の前後左右誰も居ない気楽な席でノンビリ観ていたが、あまりに評判が悪いので流石に不安があったが、普通に楽しめた。一夕のエンターテインメントとしては文句ない。
 ウォルフガング・ペーターゼンは好きな監督の一人なので、近年は悪く言われることも多いが、職人として最低限の質はいつも守っているので信頼している。「トロイ」だってかなりのモノだったが、賛同者は少ないのが残念だ。
 驚くのが本作の尺が98分しかないことで、オリジナル版が102分だったのにそれより短い。2時間半に平気で到達する近年のハリウッド映画では異例だが、ペーターゼンは割合そう無駄に長くならないことが多く、そこも信頼している点の一つだが「エアフォース・ワン」も2時間で無駄なく収めていたので感心した記憶がある。
 例によって前情報なく観たので、どれぐらいオリジナル要素を活かし、どれぐらい新たな要素が入っているのか全く知らなかったが、開巻の海上からのフルCG丸分かりの船舶を空撮気味にグルグル回り込んで、船外を走っているジョシュ・ルーカスが目に入ってくるというオリジナル版へのオマージュを捧げつつ現在の技術ならではの壮大なオープングだが、船のデザインが好みではないこともあって、今更この程度ではという、1997年のアレ以降の作品としての存在価値を出せるのかという思いを抱きつつ観ていた。
 登場する人物はオリジナルとは異なるが、ハナシの流れは当然ながら同じで、大晦日のパーティー中に転覆するわけだが、そこまでの人物描写でまず引っ掛かる。オリジナル版だって、転覆までは僅かでそうそう深く描いているわけではない。しかし、1カットで各人物の性格を巧みに見せて印象づけたものだ。それが本作では、殆どどういうキャラクターかが掴めない内に転覆する。船長も印象が薄く、司令室も転覆時に映るだけで、オリジナル同様子供が登場するのに利用させていないのは惜しい。しかし、船の転覆ものは昔ながらの舵を切るものでないと感じがでないですな。
 前述した『1997年のアレ』こと「タイタニック」は、自分は佳作程度の認識で、「ポセイドン・アドベンチャー」よりも遥かにつまらないと言うしかないものだったが、沈没描写は流石に見応えがあった。では「ポセイドン」は「タイタニック」以降の作品としてどう見せるのか。結果としてはオリジナル版を現代技術で押し上げた程度の拡大再生産的描写だが、それでも見応えはあるし、パニック映画していて興奮した。
 転覆後の展開もお馴染みのものだが、気に入らなかったのは、オリジナルの伝説的なクリスマスツリーの件がアッサリ階段で昇って行ってしまったのが残念で、ここまでオリジナル要素も入っているならやって欲しかった。最初に子供が昇るのを見詰める人々の視線と終盤の救出時の上を見詰める視線と重なるのが、オリジナル版の最も素晴らしい箇所だっただけに。
 以降は、延々と逆さになった船の中を進んでいくが、ここからは非常に楽しめる。何か奇抜なことを新たに入れようとせずにパニック映画の定石、オリジナル版も意識した行く手の困難さを次々と見せて行き、観ていてパニック映画の醍醐味を味わえて、とても楽しかった。何故か横暴な振る舞いを突如演じる男(例によってラテン系)はあっけなく死ぬし、元消防士や設計士がいたり、消化ホースを使っての渡りなど、「タワーリング・インフェルノ」的要素も入ってきたので、すっかり嬉しくなった。
 ただし、やはり各キャラクター描写が至って薄く、どういう性格でどういう行動を取るのかが掴めない。リチャード・ドレイファスが給仕を蹴り落す描写など、パニック映画では珍しい描写ではないにしても、中心となる人物、それもヒトの良さそうなジイさんという設定な割りにキツイことをするので驚いたが、以降蹴り落としについては誰も何も触れないので違和感を覚えた。「タワーリング・インフェルノ」で馬鹿息子のリチャード・チェンバレン(最近カミングアウトしたらしいですな)がゴンドラで他人を蹴り落としまくっていたら自分もゴンドラごと落下して、ざまあみろと爽快感を覚えたものだが(以降リチャード・チェンバレンが他の役で出ていても一切信用しないようになった)、せめてちょっと後悔や反省の言葉ぐらい言っても良いではないか。最近は他人を蹴落としても良いとか給仕は蹴落として良いとかあるのか。
 御馴染み潜水にみんなで挑戦シーンも悪くなかった。しかし、オリジナルのそれまで足手まといだったバアさんが突如アタシは潜水が得意なの、と言い出して率先して飛び込むので観ている方も驚くといった印象深さはなく、適当に何人かが死んでいくという程度。
 作品としては、キャメロンが189分かかったものを、ペーターゼンは丁度その半分の98分で見せるという選択は正しい。無駄なく終盤まで一気に進み、キャラクターの弱さに引っ掛かりつつも「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクと大きく構えず、大作の予算を使ったB級映画と思って観ていれば、「ポセイドン」は久々に、不要な要素が纏わりついていないオーソドックスなパニック映画として楽しめた。
 

139)「間宮兄弟」 (ユナイテッドシネマとしまえん) ☆☆☆★★

2006年 日本 『間宮兄弟』製作委員会 カラー ビスタ 119分 
監督/森田芳光    脚本/森田芳光    出演/佐々木蔵之介 塚地武雅 常盤貴子 沢尻エリカ 北川景子 高嶋政宏

 森田芳光が心地良い佳作を作った。
 リアルタイムで森田芳光の作品を観始めたのは「(ハル)」からで、以降の作品には波があり、果たしてこの監督はどうなってしまうのかと思った。「失楽園」は割合良かったが、「39 刑法第三十九条」は世評の高さと逆に良いと思えず、むしろ「黒い家」が秀作だと思った。その上で、森田芳光は自身の好き勝手にやるよりも「失楽園」なり「黒い家」の様に、原作があった上である程度枠組みが決まった中での方が良い作品を作れるのではないかと漠然と思った。「39 刑法第三十九条」の自由の中にある不自由さを感じたからだ。しかし、続く「模倣犯」は映画史的汚点と言うべきゴミ映画で、観ていて流石に腹が立った。余りにも腹が立ちすぎて続く「阿修羅のごとく」は見逃したままなのだが、気を取り直して観た前作の「海猫」がこれまた酷い愚作で、森田芳光は終わったのかと思った。
 しかし、自己分析に長けたヒトなので、カンが良いと言うか、何度目かの袋小路に入ってしまったことを誰よりも理解していたのだろう。メジャーで作を重ねることを止めて、単館系の企画に乗って「間宮兄弟」を撮るというのは、自分は原作を読んでいないせいもあって、製作を聞いてアザトサしか感じなかったが、まあ軽い小さな作品をやるのも良いんだろう程度にしか思っていなかった。最近の森田の不調は、チームワークの良かった森田組がバラしてあるからではないかとまで思っていたので、殊に撮影が低調だっただけに高瀬比呂志の本作での復帰は期待できると思っていた。
 結果、森田芳光の作品では「黒い家」以来の秀作となった。
 パンフレットを見ると、森田は『若い人の映画は若い人に任せる(中略)でも、若い人の作品を観ると、こういう映画撮りたいな、というのがたくさんある』と語っているが、逆に言えば、若い人の映画は若い人に任せると思っていたが、観たら下手なので自分がやってやると言っていると考えても良く、事実本作はプロの手腕にかかると、この題材であってもここまで巧みに纏めあがるかと感心するぐらい巧くできている。
 森田芳光が憎たらしいのは、マーケティングを熟知している点で、本作に関しても単館だからというような発言をよくしていたが、メジャーと単館によって器用に使い分ける演出技量は、近年メジャーではメジャーであることを意識し過ぎているのか、わけのわからない愚作を連発するようになってしまったが、単館で大多数の観客を意識することなく伸び伸び作った感がある。
 「隠された記憶」同様本棚が楽しい映画でもあるが、生活の心地良いニオイが全篇に渡って感じられ幸福な気分になる。間宮兄弟のキャラクターが強烈なので、あざとくなったりクドくなったりする危険性が極めて高いが、常に適度な所まででスッと画面を終わらせているのが凄い。又、この兄弟を過剰に神聖視したり蔑視したりせずに、こんな生き方あっても良いじゃない的にサラサラと描いてあるので、気持ちよく画面に見入っていられる。
 沢尻エリカ北川景子が相当可愛いし、常盤貴子も良い。映画には不向きな作品しかなかった高嶋政宏が初めて映画で活かされたのも驚きで、映画産業が良好で、大森一樹森田芳光が質を落さなければ、80年代後半から90年代前半で高嶋政宏東宝で父親以上にミュージカルや軽妙なサラリーマン喜劇で目立っていた筈なのだが、そういう時代ではなかったことが映画で高嶋政宏が活かされなかった原因だと思うが、遅まきながら小品であっても高嶋政宏が映画で初めて成功していることを喜びたい。
 愛すべき佳作だった。