映画 「立派な詐欺師」「虎は新鮮な肉を好む」「韓朝中在日ドキュメント セキ☆ララ」「童貞。をプロデュース」

NFC所蔵外国映画選集 フランス古典映画への誘い (東京国立近代美術館フィルムセンター

 共に未見の2本を観るべくフィルムセンターへ。殊にゴダールの「立派な詐欺師」は観る機会が少ないこともあって、一時間以上前に到着しておいて正解。満席となっていた。
 ジジイが、若い奴が来るから混んでよと独りで愚痴っていたが、暇で60歳以上は300円で観れるからって来る老人が多いのが混む原因の第一だしな。FCの姉ちゃんに、入場前の並ばせ方について文句言ってるジジイが居たので何を言っているのかと耳を傾けると、『スルスル行けますよ。ササーと並んでくださいって言うんだよ!』などと言っていたが、擬音を使えば混雑が解消するわけでは全くない。
 日常生活で老人を疎ましく思うことは皆無に近いが、フィルムセンターで疎ましく感じることが多いのは、やたらと喧嘩してるジイさんとか居るせいか。『なめんな、この若造』と若い奴に掴みかかって行くジャージ姿のエンペラー吉田みたいなジイさんを以前目撃した時は唖然とした。
 そーいえば、昨日の「銀幕会議」での印象も覚めやらぬ内に、やはり来ていた中原昌也ゴダールを「アワ・ミュージック」以前は『「ゴダールの訣別」でゴダールと訣別』とか、まだ分かり易い秀作「はなればなれ」を観に行って寝たとか書いていたものの、トリオの面々と友人のお父さんの手前誉めてるだけかと思っていたが、マメに足を運ぶ姿は流石。

140)「立派な詐欺師」〔LE GRAND ESCROC〕 (東京国立近代美術館フィルムセンター) ☆☆☆★★

1964年 フランス モノクロ スタンダード 22分 
監督/ジャン=リュック・ゴダール    脚本/ジャン=リュック・ゴダール     出演/ジーン・セバーグ シャルル・デネル ラズロ・サボー

141)「虎は新鮮な肉を好む」〔LE TIGRE AIME LA CHAIR FRAÎCHE〕 (東京国立近代美術館フィルムセンター) ☆☆☆★★

1965年 フランス モノクロ スタンダード 22分 
監督/クロード・シャブロル    脚本/クロード・シャブロル ジャン・アラン     出演/ロジェ・アナン ダニエラ・ビアンキ マリオ・ダヴィド ロジェ・デュマ マリア・モーバン

142)「韓朝中在日ドキュメント セキ☆ララ」〔原題:Identity〕 (シネマアートン下北沢) ☆☆☆★★★

2005年 日本 ハマジム カラー スタンダード 83分 
演出/松江哲明    構成/松江哲明     出演/花岡じった 相川ひろみ 杏奈

 こんな日だから、空いているに決まっていると思っていたが、結局9割がた埋まる盛況で、なんだ混みやがってと嬉しい誤算だった。やはり口コミで広がっているようだ。
 松江哲明の作品はいつも再見に耐える。「あんにょんキムチ」も「カレーライスの女たち」も「セキ☆ララ」も「童貞。をプロデュース」も夫々間隔は異なれども三度観ているが、飽きることがない。
 ただ、「セキ☆ララ」に関しては、「Identity」として発売されたDVDを購入していることだし、その後の「Identity 特別版」として上映された「セキ☆ララ」と同じバージョンも観ているのだから、態々足を運ぶ必要はなかった。敢えてその理由として挙げれば、薦めた友人の付き添いと、「セキ☆ララ」へと変わったタイトルを眺めに行くぐらいの消極的姿勢だった。
 ところが、開巻からまたも乗せられてしまい、画面に引き込まれて観終わってしまった。特にタイトル以外は「Identity 特別版」と違いはない筈だが、作品の持つ力なのだろう、脇目もふらず眺め続けて、改めて秀作だと思えた。それに以前は、バージョン違いを確かめようと言う意識が強く、前日に再びDVD版の「Identity」を観てから翌日に「Identity 特別版」を観て差異を確かめるという品のないことをしていたのだが、今回は「韓朝中在日ドキュメント セキ☆ララ」という作品単品として観ることができたので、作品固有の魅力をより感じた。
 松江哲明の作品を続けて観ていると、構成・編集の巧みさを感じずにはいられない。巧過ぎて嫌味な感じや作為臭がしたのではないかと観終わってしばらくしてから思いつき、再見してみるのだが、そんなことはなく、これみよがしにならないのが凄い。小手先で誤魔化そうという意識がないから強靭な表現として画面に定着している。
 本作でも同ポジでバシバシ間が詰められていく。それによってテンポは早まって行くが、緩急をよく弁えている監督だけに、間も生かされている。
 AVという仕事によって拘束された時間を作品化し、その中で自らの出自やアイデンティティを語るという枷が不自由の中の自由として成功している。カラミの撮影を第一の目的としているからこそ、そこに向かうまでや行為が終わった後のリラックスした瞬間に漏れる言葉は、格式ばって同様の質問をしたところで返ってこない答えのように思う。
 ところで、以前「Identity 特別版」を観たときは、カラミの短縮がどのように行われているかをオリジナルと比較しながら観ていたので、随分切ったとか、あそこ切っているとか思いながら観ていたが、今回単品で接してみると、作品のバランスに合った良い配分で入っていた。またカラミが始まったなどと全く思わせないものだった。
 質の高いロードムービーであり、三人の魅力的な人間が登場する秀作だった。
   

143)「童貞。をプロデュース」(シネマアートン下北沢) ☆☆☆★★

2006年 日本 カラー スタンダード 分
構成・編集/松江哲明    出演/加賀賢三 カンパニー松尾


 こちらも三度目の再見となった「童貞。をプロデュース」だが、やはり面白い。
 加賀賢三による自画撮りが大部分を占めることによって異物感が入り込み、観客は加賀賢三の視点に立ち、一体化させられる。かつて童貞だった観客は、極端な童貞保持者・加賀賢三の側に立ち、我が事のように童貞崩壊を楽しみ、悲鳴を上げ、そしてカンパニー松尾の言葉に泣きそうになりながら、幸福な気分で終盤の彼女の登場を迎える。
 自室の鏡にヘルメットにカメラを装填した姿を映す加賀の滑稽な姿と、続く道路を画面いっぱいに映したまま、自転車に乗り疾走する映像を観て、即座に平野勝之の自転車と、「ラブ&ポップ」でのセルフカム撮影(同様にヘルメットにカメラを装填していた)を想起するが、自転車の疾走からバッティングセンターでの矢継ぎ早なモンタージュ、息を切らして片隅に目を見開いたまま、ドイツの表現主義全盛期の映画の人物みたいな表情で座り込む加賀の姿など、ある種の狂気性が画面を支配し、だからAV現場での童貞崩壊映像という非日常的な、或る意味観客がドン引きしてもおかしくないような映像が展開されても、違和感なく受け入れることができる。
 加賀賢三という得難いキャラクターによって成立している一種のスター映画と言っても良いが、表情のつけ方が予想外で面白い。そんな所で歯を剥き出した顔になるかとか、悶絶している表情の予測不可能ぶりとか。しかし、彼でなければ、こんな陽性な作品にはならず、真から悲惨な烏賊臭い童貞話を聞かされていたのではないかと思う。
 それにしても再見の度に松江哲明の作品コントロールの巧みさを感じずにはいられない。後半まで松江哲明は登場せずに加賀賢三の自画撮りで進んでいく為、一見したところ完全にカメラを投げてしまって編集力のみで見せているようにも思いかねないが、カメラの後ろに松江哲明が居たとしてもおかしくないし、どういった画を撮るか厳密か大雑把かは置くとしても指示が出ているのか、などと考え込んでしまい、実際自分は面白さに関しては三度観ても変わらないのだが、作品の構造が気になってしまい、その結果三度も再見してしまった。
 サディスティックな松江哲明を見たいという思いは、「あんにょんキムチ」の妹とのやり取りで形成逆転する様や、「赤裸々ドキュメント」(三池崇史このコラムは「赤裸々ドキュメント」を観たからなのか偶然の一致なのか)終盤のドンデン返しを観た時にも感じたが、堀内ヒロシ監督が日記で「赤裸々ドキュメント」を評した一文にあるような事例も含めて他者との距離感の中で、敢えてサディスティックに責め続ける様が映像化されれば、単純な鬼畜や表層的責めとは異なるモノを観ることができるのではないかという期待があり、その点で「童貞。をプロデュース」は正に観たかったサディスティックな松江哲明の姿を観ることができる。観客に嫌悪感や被写体への蔑視を感じさせずに尚且つ被写体を追い込んでいき、観客にサディスティックな悦楽をもたらす悪魔的手法は、今後女性を被写体としても可能なのか。又、自身がハメ撮りを行うことで「セキ☆ララ」などからは異なる関係性が必然的に持たれるであろうが、その中でそういった形で追い込んだ作品など、観て見たいと思うし、そういう意味でも「童貞。をプロデュース」は画期的な過渡期の一本になったのではないかという気がする。個人的には「日本春歌考」や「現代性犯罪暗黒編 ある通り魔の告白」「現代性犯罪絶叫篇 理由なき暴行」と並ぶ童貞オトコノコ映画の秀作だと思う。と書いて気付いたが性犯罪映画とばかり並べて良かったのかどうか。まあ、この作品も色んな意味で犯罪的か。