第11回日本映画シンポジウム「若松孝二」(明治学院大学白金校舎2号館2301教室)

molmot2006-06-25

若松孝二 反権力の肖像

若松孝二 反権力の肖像



明治学院大学文学部芸術学科主催 第11回日本映画シンポジウム「若松孝二

日時:6月25日(日)10時〜17時(予定)
明治学院大学白金校舎2号館2301教室

10時00分 挨拶 四方田犬彦明治学院大学
10時10分 若松孝二・作品ダイジェスト 平沢剛(明治学院大学
10時40分 「仕掛けられたスキャンダル−『壁の中の秘事』と第15回ベルリン国際映画祭」
     発表者:ローランド・ドメーニグ(ウィーン大学
     コメンテーター:渋谷哲也東京国際大学
11時20分 「子宮への回帰−60年代中期の若松プロ作品における政治とセクシュアリティ
     発表者:シャロン・ハヤシ(マッギル大学)
     コメンテーター:松本麻里(ジャンダー/セクシャリティ研究)
12時00分 休憩
13時00分 「若松映画におけるアクチュアリティと(ポスト)68年思想」
     発表者:古畑百合子(ブラウン大学
     コメンテーター:平井玄(音楽批評)
13時40分 若松孝二足立正生パレスチナ問題」
     発表者:四方田犬彦
     コメンテーター:安岡卓治
14時20分 「ラディカリズムの継続−1970年代後半から現在までの若松映画をめぐって」
     発表者:平沢剛
     コメンテーター:マイケル・アーノルド
15時00分 休憩
15時20分 沖島勲(映画監督)
15時50分 若松孝二、みずからを語る
16時40分 監督ラウンドテーブル
世話人 四方田犬彦|<


 四方田犬彦は苦手気味なのだが、食わず嫌いに近い状態だから偏食を無くす努力を日々していこうとは思っている。とは言え、何にしても若松孝二がこういった形で論じられるのは喜ばしいことなので、聴講に行く。
 作品ダイジェストの中盤が流れていた頃に到着したが、肝心の各氏の発表は全員聞けたので良いとしても、『若松孝二・作品ダイジェスト』にもかなり興味があったので全部観たかった。自分が観た半分程は、特にとんでもない未見作が入っては居なかったが、「理由なき暴行」はもうすぐ突如決定したDVDが発売されるせいもあってか、良い状態の画質だった。もう観れないとか言っていた、この作品への愛着深い宮台真司は喜んでいるに違いない。尚、今回何も言及は無かったが、先頃ここでも書いた「性輪廻 死にたい女」発売中止問題について先日紀伊国屋DVDの新しいリーフレットに断り書きが書いてあったのを見つけた。それによると、「性輪廻 死にたい女」のネガの状態が悪いのでDVD化を見送ったとのことだった。実際、今回ダイジェスト上映の中に「性輪廻 死にたい女」もあったのだが、かなり音が悪いものだった。「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」もテレシネしてんだから、どうせ元々ネガがないフィルムなんだし、ちょっとフィルム洗浄してカラコレしてDVDにしてくれれば良いのだが。「ヒア&ゼア こことよそ」が出ているんだから「赤P」がDVDになっていないのはおかしい。紀伊国屋が自慢の質を維持できていないというフィルム状態なら、よそで安価で出してくれと。
 発表の方は、各氏30分の持ち時間で喋り、後10分でコメンテーターが喋るという構成なので、テンポよく進む。
 聴講する前に思っていたのは、若松孝二を研究するにしても初めからある種の諦念がないとできないのではにかと。と言うのも、あまりにも観ることができない作品が多いからで、平沢剛はその諦念を破る為に幻だった若松作品の発掘、上映、DVD化に動き、諦念の幅を少しずつ縮めている。従って、発表者は個別の作品、または或る時期の幾つかの作品に絞ってハナシが進むと思っていた。
 最初のローランド・ドメーニグは、「映画芸術」の足立正生別冊にも登場したし、現代日本映画をピンクからの視点も入れながら論じているという程度の知識しかなかったが、「仕掛けられたスキャンダル−『壁の中の秘事』と第15回ベルリン国際映画祭」というテーマはとても興味深かった。若松のフィルモグラフィーの中で一つの起点となった「壁の中の秘事」とベルリン国際映画祭出品に至った理由と、ドイツ国内での反応についての研究で、これまで日本では、国辱映画騒動だとか、草壁久四郎と若松の対立だとか、そういった国内の視点からしか語られてこなかったが、この作品はベルリン国際映画祭でもスキャンダルを巻き起こし、しかもそれは映画祭側が意図的に仕組んだものだという視点で語られているから面白い。
 以下、要点を記すと、1965年にベルリン国際映画祭のシステムが大幅に変更になったという。それは、選考基準の変更、選択権限の強化、セクション分割などとなり、作品選定も批評家委員会、諮問委員会の両総会の合意で選択したそうだ。つまりは「壁の中の秘事」は、こうした映画祭側のシステム変更があったかあらこそ、出品することが可能になったと言える。
 日本からの出品取り止め要請が聞き入れなかったことに対して日本総領事は、国民感情を傷つけることのないよう、とか間違ったイメージを流布しないように、といったコメントを出したという。
 又、上映時には、ベルリンの観衆から、激しい口笛、皮肉めいた言葉、やめろ!とう罵声などが飛び交い、スキャンダルとなったというが、映画祭側は正にこういったリアクションを想定した上で、意図的なスキャンダルを起こす為に、「壁の中の秘事」は出品された可能性が高い。
 又、映画祭後の「壁の中の秘事」は、1966年にドイツで吹き替え版で上映されたという。しかし、この上映版には国内上映版と幾つかの相違が見られるという。アタマに、日本の生活事情を説明する一文が付いたりカラミのシーンにも変更が加えられているとのことだが、驚くべきは1964年の東映映画「二匹の牝犬」(渡辺祐介)から街頭シーンをインサートしているという傍若無人ぶりで、最近若松はこのドイツ語版を観たらしいが、突然杉浦直樹が出てきたりするので大層驚いたという。しかし、ドイツでは映画祭上映版より好評だったそうである。
 これまで知らなかった事実を次々と教えられ、興味深く聴くことができた。作品としては「壁の中の秘事」1本に絞って論じたのも良かった。それにしても映画祭内幕や、一般上映の改変など驚かされることが多く、これまでの国辱映画程度の認識で国内からの視点のみでは出てこなかった意義のある発表だった。
 次の「子宮への回帰−60年代中期の若松プロ作品における政治とセクシュアリティ」を発表したシャロン・ハヤシという方は未知の方だが、女性だからという理由ではなく、若松映画における性の問題を語るのは重要なのに、皆政治に行ってしまうことが常々不満だったので、期待したが‥
 自分はやはりピンク映画、若松映画を語る上では、足立正生言うところの『性的失業者の救済』という視点がなければ、60年代ピンク映画は語れないし、その上で若松映画の一部がそこから滑らかに遊離していったことが重要だと思う。それに、若松が完全にピンク映画本来の社会的使命から逸脱していったかどうかは疑わしいもので、現在観ることが可能な僅かな作品でそう結論づけるには余りにも性急で、観ることが出来ていない監督料名目で撮った作品や後述する変名で撮った作品ではどうなのかという問題がある。
 コメンテーターの松本麻里が、恐らく口ぶりから今回初めて若松作品を纏めて観たというように受け取れる言い方をしていたが、単なるポルノと違う性交シーン云々と言っていたが、本当に同時代の極めて観る機会が少なく、僅かにビデオ化されている作品を当たるしかない60年代のピンク映画を観て言っているのかどうかと思ったが、若松作品にしたところで、総体的なことは言える筈もないのだから、疑問に思いつつ聴いていた。
 「若松映画におけるアクチュアリティと(ポスト)68年思想」は、むしろ、コメンテーターの平井玄が突っ込みに対するボケとして、と前置きしつつ、完全に引っくり返す見事な68年否定をやってのけて、感心した。アタマの高校をサボって若松映画を観ていたから、引き込まれた。
 シャロン・ハヤシの発表の中で、「堕胎」や「避妊革命」を何度も引用していたが、「堕胎」は若松・足立共同監督名とは言え、それはあくまで営業用のことなので、若松と並べて論じるには無理があり、それなら「胎児が密漁する時」「堕胎」「避妊革命」と丸木戸定男シリーズの脚本を一貫して書いている足立正生の視点で語った方が良かったなとは思った。
 四方田犬彦の「若松孝二足立正生パレスチナ問題」は、やはり面白かった。アタマから『成瀬や小津といった骨董品を安全圏から論じている奴ばかりだ。今、論じるべきは若松孝二である。蓮實が若松を論じたことがあったか!』といったアジ演説で、煽りに煽る。 蓮實重彦の悪口を絶対一回は言うのって本当なんだなと。もっとも、蓮實重彦が若松に触れたのは、各年代ベスト日本映画を挙げるような企画で、「処女ゲバゲバ」を挙げていたことがあった記憶があるが、具体的に内容にまで踏み込んだ発言は聴いたことが無い。四方田犬彦は、最近は韓国にはメジャーになったから興味を失い、よりマイナーなパレスチナに行くことにしたらしいとか聞いていたので、当然「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」を主にして語るんだろうと思ったら、正にその通りだった。初めに上映で「3時のあなた」で放送された山口淑子パレスチナ・リポート、「赤P」「ヒア&ゼア こことよそ」が流され、「赤P」の特権性へと向かって行く。
 若松というよりも、パレスチナと「赤P」を語る為に若松を持ち出している感は否めず、後で若松が、『自分は「赤P」上映には一切係わっていない。上映の実働は荒井晴彦だと彼の名誉の為にも言っておく』と語ったのは、そういった点への抗議と受けとっても良い。又、本編を観ればわかることだが、若松と言うより、やはり足立の色が強い。しかし、観ることが出来ない作品まで含めて60年代中期の若松プロ作品云々と言われるよりも、「赤P」に限定したのは正しいし、やはり引き込まれた。
 コメンテーターの安岡卓治は、「Little Bird」等の製作者としての視点から語っていた。
 平沢剛は「ラディカリズムの継続−1970年代後半から現在までの若松映画をめぐって」と題して、「十三人連続暴行魔」や「餌食」から「17歳の風景」に至る作品に材を取っているが、60年代の諸作に目が行きがちな中で、現役の映画作家としての若松の継続性を、誰もが言うところの60年代ではなく70年代後半からの、作品に視点を持ってきたところが興味深く、又、冗談気味に言えば明治学院大学の一室ではインターナショナルは流れるし、「スクラップ・ストリー ある愛の物語」での少女Mのロリータヌードも上映する凄い大学だ、などと揶揄気味に思いつつ、時間の関係で食い足りない部分があったので、今後じっくり聴いてみたいと思った。
 先ほどの明治学院大学への品の悪い冗談を更に進めるならば、恐らく翌日にこの学校の生徒が誘拐されるであろうと、後から書き足して恰も予言したフリを装うかと思うぐらいだが、こういった研究を対象にできる学校は良い学校だ。
 第二部としては、沖島勲トークがあったが、沖島勲を見たのは初めてだった。貴重だったのは、自身が助監督として係わった若松プロ製作の若松・足立作品について列記したことで、これまで、前述の映芸の足立特集号に寄稿したもの等極く僅かな資料しかなかった、足立の影に隠れがちな沖島勲若松プロの関係が語られて良かった。
 沖島吉田喜重の「水で書かれた物語」の助監督を務めたことは知っていたが、「女のみづうみ」では一気にチーフ助監督に抜擢される予定だったというのは初耳で、結局製作延期となった為に若松プロに参加したらしいが、吉田喜重沖島をかなり認めていたことが伺え、前述の寄稿文でも「鎖陰」のチケットを吉田喜重が大量に購入してくれる一景が出てくることからも、沖島がそのまま吉田喜重の元に居た場合どういった展開があったろうかと思った。
 以下、沖島が語った若松プロでの助監督歴だが、足立正生の作品には「堕胎」「避妊革命」「性地帯」と就いている。若松作品には「情欲の黒水仙」「白の人造美女 」「日本暴行暗黒史 異常者の血」「性の放浪」「性犯罪」「網の中の暴行」「新日本暴行暗黒史 復讐鬼」「金瓶梅」「天使の恍惚」ともう一本オムニバスにも就いているらしいのだが、若松のオムニバスと言うと、初期の「おいろけ作戦」や後年の「パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち」ぐらいしか記憶にないので、そんなものがあったかと思っていたが、沖島もタイトルが思い出せなかったらしく、『平沢君、調べて!』と言われるや、平沢剛がフィルムグラフィー一覧を頭を抱えて見入る光景が展開され、平沢剛という後世への語り手を入手した若松映画の幸福を思ったりしたが、その後オムニバスの一本は発表されなかったので依然不明のままだ。自分も帰ってから調べたが、該当作はないようで、より詳細に『キネマ旬報ベストテン全集 1960-1969』の各年の公開作一覧でも見て調べるしかなさそうだ(このシリーズ、高いのに無理して学生の頃買っていたが、70年代版以降刊行されずに終わってしまった。キネマ旬報社は所詮その程度の会社かと再認識した)。又、可能性としては、タイトルのみ判明していて内容が不明な作品も多いから、その中にオムニバスがある。或いは、フィルムグラフィーに欠けている作品がある。或いは、変名で撮った作品に含まれている(大杉虎が自身の変名だと今回も語っていた)。或いは昨年初めて実物を観た若松プロがラブホテル用に量産した短篇ピンク等、幾つか可能性があるが、何にしても沖島が就いた作品というのは思ったよりも少ないのが意外だった。最後に沖島が若松について、一般的に異端だ何だと言われるが、『真っ当な仕事をし、堅実に(映画を)手掛けた』ヒトだと語っていたのが印象的だった。
 最後は若松孝二が登場して語るということだったが、淀川長治などと同じで、独り喋りを習得しているので、聞き手が手を尽くさないと毎度同じコトを朗々と喋るだけなので、自分には特に目新しいことは何もなく。ただ、ピンク映画を止めた理由として、馬鹿な評論家が、たかがピンク映画を過大に評価する風潮に嫌気が差して止めた。又今でも評判になったピンクは密かに観ているとそっと告白していたが、どこまで真意かは分からない。個人的には若松自身がメジャーに向かったことが大きいと思うし、若松の映画は馬鹿な評論家が持ち上げたことで隆盛を誇った側面もあるだけに、あの発言はむしろ、この場に対して言っていたように思えたが。それ以外で特記すべきは、今夏から準備に入る「実録・連合赤軍」が3時間、4時間のモノになると、四方田犬彦が言っていたので意外だったことぐらいか。若松は「幽閉者」は未だ観ていないとのこと。年内に渋谷のミニシアターで公開と言っていたが、たぶんユーロスペース
 来年は沖縄映画・高嶺剛などがテーマになるとのこと。
 若松孝二というフィルモグラフィーを更新しつつ、過去の作品が発見され続ける最中の現認報告的シンポジウムとして面白かった。昼休みに外に出て気付いたが、聴衆に中には切通理作氏の姿もあった。