『気球クラブ、その後』

molmot2007-01-18

11)『気球クラブ、その後』 (シネアミューズイースト) ☆☆☆★

2006年 日本 PLUSMIC・CFP カラー ビスタ 93分
監督/園子温    脚本/園子温    出演/深水元基 川村ゆきえ 長谷川朝晴 永作博美 西山繭子 いしだ壱成 与座嘉秋ホーム・チーム) 大田恭臣 ペ・ジョンミョン 江口のりこ 安藤玉恵 松尾政寿 内山人利 不二子
http://broadband.ocn.ne.jp/cinema/meta/mo4733_500.asx:movie=wmp

 量産型園子温にようやく興行側が追いついてきたのか、或いはそうこう言っている内に量産子温は新作を撮りまくっているのか、『HAZARD』『気球クラブ、その後』『エクステ』と、観たい観たいと思っていた作品が次々と公開されている。
 特に個人的にも気になっていたのが本作で、シネアミューズのレイトショー日本映画に相応しい雰囲気が既に予告篇から漂っている(この予告って、松江監督の手によるものとのことで、今まで全く知らなかった。感じ良い予告だなと思って何度か普通に好感持って観ていたので、さっき松江監督んとこで『気球クラブ、その後』のネタ調べてたら、あら、予告を作ってたのと驚く。と言いつつ、そのことを書いた文章について自分がコメント書いてるんで読んでる筈なのだが、内容は完全に失念し、“松江監督が無意識にハスミ調の文章を書いている”ことへの突っ込みのみが優先していたようだ)。
 70年代のATG青春映画、例えば『午前中の時間割り』を観ている時のような瑞々しい気分にさせられた。それにしても『翳りゆく部屋』の使い方には全く参った。それに尽きる作品だ。
 携帯映画と言って良い作品で、気球クラブの爽やかな青春譚に見え(実際そうなのだが)、本編の大部分を携帯に依存して展開させる手法に驚く。
 開巻の各自の携帯でのやり取りで、「村上さん」という記号を、一般のシナリオ概念上では名前は最初に呼んだら次からは呼ばないという基本を平気で破って連呼させているわけだが、この辺りは園子温の他の作品でも感じる演劇臭に苦手意識を感じはするものの、川村ゆきえが可愛いし、エロいし、もうウンザリするほど見せられた日本映画1DK映画の中で、やはり突出した作品に感じた。
 苦手と言えば、文字に更にナレーションを乗せる情報の多重化にも引っ掛かってしまうのだが、明らかに敢えてやっているので、この辺りも再見によってどう印象が変わるかという思いがある。
 日本映画における宴会シーンは大島渚が最良という意見の持ち主だが、『御法度』の宴会シーンを最後に大島の宴会映画の新作を観る事はできていない。しかし、山下敦弘の『どんてん生活』での花見シーンの素晴らしさがあったし、本作の何度か場所、時制を変えて繰り返される飲み会シーンの全ての素晴らしさを目にすると、宴会映画の系譜は、山下敦弘園子温によって受け継がれているのだと思った。悪例を近作でも直ぐに出せるが、例えば『ハチミツとクローバー』の開巻の飲み会シーンの酷さに呆れた者なら、本作の飲み会シーンが何故素晴らしいかを直ぐに理解できる筈だ。
 永作博美は本来もっと映画で活かされるべき存在の筈だが、『好きだ、』みたいに彼女の雰囲気を表層的にフィルムに定着させようとしても所詮無理なことで、本作は『ドッペルゲンガー』以来の良さと言うべき、仕草、表情の良さを映し出している。
 集団劇なので、情感をわかりやすく演じてしまっている者も居たりして残念な部分もあるが、『翳りゆく部屋』が流れると高揚感を味わった。
 終盤の、“気球クラブ、その前”の描写は、プレスを読むと後で付け加えたらしいが、蛇足に思えた。見上げるという動作を異なる地点で夫々行わせるあのシーンで終わった方が綺麗だが、やはり園子温はそれでは納得しないのか。
 ちなみに、『翳りゆく部屋』は当初、荒井由美バージョンが使用されていたとのことだが、諸事情によってカヴァー版と差し替えられたらしいと、どこかで噂を聞いた。ま、『悪霊島』みたく、無理矢理使って後でソフト化できないみたいな事態を招くより良いのだが。
 確かに間口は広い作品だとは思うが、自分はいつもの園子温の映画と同じく、たまらなく魅力に感じる箇所と異物感、違和感、不満を感じる箇所も混じりつつ観終わったが、スグサマ再見したいという欲求に駆られた。『翳りゆく部屋』を口ずさみながら、これまでの園子温の作品では感じなかったものを思いながら帰っていった。それが何なのかは再見してみないとよくわからない。