映画館の扉は目の前で閉まった

 先月劇場で観たのは、文京シビックセンターで観た中編の教育映画も含めれば15本しか観ておらず、しかも全て日本映画で新作はその内10本しか観ていないという惨状で、昨年なら1月は、「ガンダーラ映画祭」や「neoneo坐 研究上映会 TV-WORKS テレビドキュメンタリストの仕事 Vol.1」があったとは言え27本観ていただけに怠慢さを反省するのみで、本数を消化することなど全く興味はないが、観たい作品が大量にあるのに観ることができていないのは嫌だ。何より外国映画を一切観ていないのが問題で、これも観たい作品が大量にあるのに、観れていない。
 本来は、水曜と映画の日である程度挽回したかったが、予定がズレて1本も観れず。今日なんか、本当は仕事上げて、丸一日シネコンに朝から深夜まで居続けて6本程一気に観てやろうと予定を組んで前々から楽しみにしていただけに、無念さは深刻で、それでも22時前にシネコンに走りこんで、せめて『ラッキーナンバー7』だけでも観ようとしていたら、10分前に着いたので余裕だと思ったていたら、郊外シネコンの夜の受付は一人しか居ないせいで、列が長く、その上何かトラブっているようで全く列が前に進まない。始めは未だ時間があるし、開映時間になってもそれでも予告上映があるからと安心していたら、ようやく受付が自分の番になると、丁度今本編始まりましたと言うので、気が抜ける。じゃ、もういいと言って帰るが、背中越しに未だ始まったばかりだから大丈夫ですよという声が入ってきて、怒りを覚えるが、そこで全然大丈夫じゃねーよと怒鳴り返すのは絶対大人気ないのでそのまま帰るが、フィルムセンターに定員制限で入れないなら兎も角、シネコンの分際で入れないとは。


 と言うような、愚痴ともつかないことをグダグダ書き連ねたのは、昨日、偶々映画方面の飲みの席で、見たり作ったりいっぺんに出来るか、とか、観過ぎてちゃ駄目というような、古来伝統のパターンに嵌った発言の合唱を聞かされたからで、その時思ったのは、荒井晴彦松江哲明の言葉で、松江監督は昨日も非常に刺激的な長い檄文を書いている。→http://d.hatena.ne.jp/matsue/20070131 (ただ、一読しただけで、安易なメジャー否定、マイナー至上主義者と思われては困る。このヒトは、『日本沈没』だって『どろろ』だって『Always 三丁目の夕日』だって、観る前は期待して楽しみにしながら上映が始まるまでを待っているヒトだ。自分は、年間何百本観ていようが、毎回上映前に期待で胸が高鳴らないような惰性で映画を観ているヒトは信用しない。)
 都内の劇場にメジャー、ミニシアター、名画座関係なく行くヒトは、どこかで松江監督を見かけている筈だ。毎度上映直前にさっと入ってきて、終わればさっと帰っていく。それも、見たり作ったりいっぺんにしているのだから、恐れ入る。自分が先月は全然観れてなかったので腹が立ったから、松江監督が先月劇場で観た作品を数えてみたら、短篇も含めて26本。
 だから、作ってるヒトがこんだけ観てんだから、観客はもっと観なきゃ駄目だ。荒井晴彦桂千穂だって、やたらと観ているが、彼らの作る作品は“映画史のコラージュ”ではないし、映画内映画要素が強いわけでもない。観客が作り手より観なくて、そのヒト達の作る作品を良いの悪いのと無責任に言っている場合ではない。
 と、妙に刺激を受けて、劇場や、溜まりに溜まりまくった膨大な未見作の山である自宅のDVDや、ビデオ、LDを眺めながら(今年はレンタルは殆どやらないで、自宅の在庫を極力観るようにしようと決めた)、忙しくて観ないなんてのは言い訳で、時間の使い方が下手だからそうなるだけだ。観たい作品は意地でも観るようにしようと自戒を込めて改めて思う。何せ、電車の中で「ぴあ」の映画欄を眺めながら、観たい作品が凄い勢いでどんどん上映終了していくので、見逃しばかりだと本当に気分が悪くなって吐きそうになったのだから。


※関係ないけど、今日唯一癒された画像。
年下の漱石おじいちゃんを気遣う孫の姿。