『叫』『岸辺のふたり』『春のめざめ』『1900年』

molmot2007-04-04

66)『』 (シネセゾン渋谷) ☆☆☆★★

2006年 日本 「叫」製作委員会 カラー ビスタ 104分
監督/黒沢清     脚本/黒沢清    出演/役所広司 小西真奈美 伊原剛志 葉月里緒奈 オダギリジョー 加瀬亮


(終盤まで触れています)
 黒沢清の作品に登場する幽霊は、世界そのものを変調させることを、これまでの最大規模の予算で撮られた集大成的な『回路』で観客は身をもって知ることが出来た。『叫』はその延長上にある作品だが、それが映画作家としての後退や、停滞とは思わせることはなく、新鮮な驚きを絶えず画面から与えてくれる、世界的に見ても稀有な映画作家であることを改めて確信させる秀作だった。

 開巻の、横移動で赤い服の女を水たまりに押し付け、横たわる遺体を捉えたショットからして引き込まれる。黒沢清の「赤」と、いまおかしんじの「あか」の違いをボーッと考えている内に、劇中で何度か繰り返される室内での地震を見せる。この地震が凄い。観た限りでは、家具は揺れても、カメラ、人物、床は動かない。よくあるカメラを揺らせて地震を表現するなどとアザトイことはやっていないし、後からエフェクトで画面に揺らしをかけたり、ブラーを使っているわけでもなさそうだ。後ろに配されている家具を揺らすことで地震を現している。阪神大震災経験者から言えば、実際の地震とは違うのだが、家具の揺れこそが地震の表面的な視覚に飛び込んでくる最初の認識であり、その部分だけで地震を表現しようとするのは素晴らしい。映画は現実の再現を求める場ではなく、ある一点を拡大し、象徴的に描くことで、現実以上の効果をもたらす。本作の地震は嘗て映画で表現された地震の中でもベスト級のものではないだろうか。
 恐怖映画における、気配と振り返るという仕草をどう効果的にやるべきかという問題について、本作では例えば開巻近くで役所演じる刑事が現場を歩く中、ウエストサイズの横向きで立ち止まったショットの次のカットが、廃棄物の山のインサートなのだが、そのカットだけ無音になる。次のカットは再び役所のウエストショットに戻り、役所は振り返る。無音インサートという直接的な手法に出ているが、これが素晴らしい。自主映画などで原初的にやってはそれほど効果の上がらない技法という思い込みがあったが、本作を観ると、十分に気配をその前から画面に充満させておき、その前後に的確なサイズで役者を配して、立ち止まらせて振り向かせることで、無音のインサートが相当な効果を上げていることを確認した。
 
 以降、黒沢清の1カット内での情報量の入れ込み方、移動撮影の凄さといった、画面の凄さに感嘆しているだけで映画は過ぎていく。

  • 医師が車中で息子に筋弛緩剤を注射するシーンの凄さに息を飲む。外へ逃げて下手へはける息子を父が追い、上手の水溜りに顔を押さえ込むまでを、1カットでレールを敷いて下手から上手への半円移動で見せる。
  • 医師が廃屋の屋上から飛び降りるのを1カットで見せる。『回路』では地上から煽りで1カットで飛び降りを見せたが、本作では俯瞰で見せた。この黒沢清の飛び降りへの執着を、1997年12月20日に目黒の9階建てマンション屋上から身を投げた某映画監督との関係を考えてしまうのだが。
  • 自宅に帰ってきた容疑者を逮捕すべく、役所が逃げる男を田んぼの中で追うシーンでの横移動など、もう堂に入った決まり具合で、愈々涙腺が緩み始めたが、男が突如画面に現われる走ってきた車に跳ねられるに及んで、余りの画面の充実具合に、一種の性的昂奮に近いまでの喜びを感じた。

 この後の役所が女性容疑者を水溜りに押さえつけるシーンにしてもそうだが、飛び降りても、跳ねられても、容疑者たちは『仁義の墓場』並に死なない。

 
 近年の黒沢作品で多用されているスクリーンプロセス的な(実際はブルーバック撮影なのだろうが)車の走りのシーンも作を重ねるごとに更に良い。
 葉月里緒奈演じる幽霊だが、黒沢清が起用理由に語ったように、確かに『パラサイト・イヴ』での葉月は、彼女のみ魅力ある存在だった。祖父が死ぬ二日前に映画ついでに偶々見舞いに立ち寄った時に観たからよく覚えているが、映画自体は、『ヒーロー・インタビュー』同様、一昔前のテレビの方法論で無自覚に撮っているだけだから、ロングが極端に少なく、やたらとバストの画が多いので、葉月が台車に乗せられて廊下を移動するショットもバストが大半だったと記憶する(十年前に観たきりなので記憶が怪しいが)。だから葉月の魅力も半減していたので、黒沢清による十年越しの修正作業が行われたと解釈しても良いが、正に葉月は幽霊を体現できてしまう稀有な女優であることを確信させられる存在として、本作の中に居た。何せ、葉月が役所の部屋の奥に立っていて、次のカットで突然葉月の手が役所の肩を掴むというカットには心底恐怖を感じたし、実際鳥肌が立った。
 川に面した廃墟という素晴らしい立地で水を介したスレ違いのメロドラマが明かされるに及んで、更に黒沢作品の幽霊は世界そのものを変調させる力を持っていることを理解しておけば、もう何が起こっても驚かないし、感動的に受け入れてしまう。だから、葉月がまるでスーパーマンのように赤い服をはためかせて空を飛んで行こうが驚くに値しない。当然それぐらいの能力を有するであろうことは納得できる。だから、本作で笑が起こるというのが全く分からない。どこで笑うのだろうか。
 ただ、終盤の小西の正体を割った辺りから、意外性を狙いすぎた過剰感を覚えたのは確かで、この辺りは再見しないのと明言できない。
 しかし、世界がどうにかなってしまうのは、『回路』を経てれば当然のこととして受け入れられるし、前作の『めまい』に続いて『鳥』へのオマージュカットを終盤に忍ばせる黒沢清ヒッチコックの接近が次回作『東京ソナタ』(http://www.haf.org.hk/haf/pdf/project07/project24.pdf)以降でどう観られるかも注目である。
 個人的には前作『LOFT』の方が好みだったが、映画らしさに満ちた充実した映画経験をさせてくれる黒沢清の凄さに圧倒された。

67)『岸部のふたり』[Father and Daughter] (シネマ・アンジェリカ渋谷) ☆☆☆★

2000年 イギリス・オランダ カラー ビスタ 8分
監督/マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット    

68)『春のめざめ』[Моя любовь] (シネマ・アンジェリカ渋谷) ☆☆☆★

2006年 ロシア 「叫」製作委員会 カラー ビスタ 27分
監督/アレクサンドル・ペトロフ     脚本/アレクサンドル・ペトロフ    

69)『1900年』[Novecento] (シネマヴェーラ渋谷) ☆☆☆☆★

1976年 イタリア・フランス・西ドイツ・アメリカ カラー ビスタ 316分
監督/ベルナルド・ベルトルッチ    脚本/フランコ・アルカッリ ジュゼッペ・ベルトルッチ ベルナルド・ベルトルッチ    出演/ロバート・デ・ニーロ ジェラール・ドパルデュー ドミニク・サンダ ドナルド・サザーランド バート・ランカスター