『競輪上人行状記』『番格ロック』

molmot2007-11-08

はじまりの時 ―12監督厳選 劇場デビュー作特集―
304)『競輪上人行状記』 (シネマアートン下北沢) ☆☆☆★★

1963年 日本 日活 モノクロ シネスコ  分
監督/西村昭五郎    脚本/大西信行 今村昌平    出演/小沢昭一 伊藤アイコ 南田洋子 高原駿雄 高橋昌也 


 何故か機会が無く延々と見損ねている映画がある。さしずめ本作などはその筆頭であろう。この作品の存在を知り、観たいと思ったのは―出してくるのが面倒だから記憶で書くが―、1994年の『キネマ旬報』での西村昭五郎のインタビューだったと記憶する。確か監督作が100本に届く直前の98本目ぐらいの頃で、例の滋賀の老人ホームに入ったか入らないかぐらいの時だったと思う。そこで語られたデビュー作がやたらと面白そうだったのだ。実際批評も良かったらしいが、興行面の問題から以降三年間干され、その間に来たお仕着せ企画を断ったりしていると、日活側に「どこの監督さんですか?」と言われたと言うが、以降は裕次郎から小百合から何でも撮るようになったという。そのせいで田山力哉などから。「何だオマエは。堕落した」、と電話がかかってきたというエピソード共々、その時から『競輪上人行状記』は観たいと思うようになった。
 西村昭五郎のデビュー作であるという以前に、寺内大吉の原作を脚色した、脚本・今村昌平(大西信行と共同)のクレジットが一際目立つ。更に主演・小沢昭一と来れば、イマヘイ色は観る前から匂い立つ。最近、同じく60年代に今村昌平が脚本を書いた『東シナ海』を観たが、凡作だった。強烈なイマヘイの個性は師匠の川島雄三なら兎も角、そう簡単に受け継げるものでもなく、更に小沢昭一まで来てコントロールし損ねては、映画は大暴走するか、空転しまくるのではないかと思った。
 ところが、これが面白い。今村昌平に匹敵はしないまでも、見事な重喜劇に仕上がっていて、ロマンポルノの極一部の作品で当たりはずれの激しい監督という印象しか持っていなかっただけに、この作品は新鮮且つ、西村昭五郎への認識を改めるに十分な佳作だった。
 基本的に小沢昭一が出てくるだけで嬉しいのだが、インチキ坊主をやるとなると、小沢昭一ならこれぐらいは仕掛けてくるだろうと期待して画面を見つめていると、それ以上に笑わせにかかってくる。同様にインチキ坊主をやるだけで映画が跳ね上がるヒトがいる。断るまでもなく渥美清で、『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』は、後期の『男はつらいよ』でも出色の作品だったが、小沢昭一同様に渥美清のインチキ坊主というお膳立てを作った段階で勝ちみたいなものだった。もうそのパートになると劇中の竹下景子でなくとも笑いが止まらなくなる。
 本作にハナシを戻せば、開巻の上野駅での教え子の家出少女とのやり取りから、そこに居合わせて連れて行こうとする近所のババア(武智豊子!部落ババアと聞こえたが、ブラックババアが正しいのか?)とのやりとりから、既に濃密に人間が蠢きはじめる。上野駅構内でロケしたモノクロ・シネマスコープの映像の中で、小沢昭一は奥のトイレで小便し、画面の手前でババアは少女をどこぞへ連れて行こうとし、奥で小便しつつ不味いと慌てて戻ってきた小沢がババアの手を離させるという一連の流れを観ているだけで、来た来たという重喜劇の秀作に当たった時特有の高揚が観る者に迫ってくる。
 その高揚は、ババアに教えられた通り家に戻ると、小沢の兄が急死しているところから加速度は増し、殊に兄嫁南田洋子が祭壇の前で寝入っていて魘され、夫に詫びながら、鞭で打たれる夢を見ている描写での悶える南田洋子が驚くほど艶めかしく、それを見た小沢でなくとも、エロイ未亡人にクラクラになる。
 以降、教え子の家出娘が妊娠していることが発覚し、小沢が担任共々家を訪ねた際のムッツリ顔の父親をロングに配しただけで、あ、親父がやったなと観客に直ぐに悟らせ、それに気づかぬ小沢と同行した担任が帰りに一本道を自転車で並走しながら鈍い奴めと言う辺りの観ていてゾクゾクする感情は、貧困と戦後の風景と相まって、『野良犬』で遊佐の貧しい家を訪ねる三船と志村の刑事の姿と重なりあい、刑事よりも小沢昭一へより親しみを感じる側としては、西村昭五郎は既にデビュー作で、ある時点の黒澤にも匹敵するような冴えを見せていると思わせた。
 近親相姦に続いて投げ込まれるのは食犬で、飲み屋で食っていた焼き鳥を、それはアンタん処で処理してる犬だと聞かされた小沢が吐こうとする仕草も可笑しければ、犬の死骸を金を取って引き取る南田に、高けえなと可愛がっていた犬が死んで泣く子供を連れたオヤジに言われつつ、機械的に裏庭に運んで処理する南田を、顔色を変えてやってきた小沢が文句を言いかけていると、家出娘の親類が現れて、慌てて犬を見せぬように体で隠すのがやたらと可笑しい。
 本堂再建資金集めに檀家を回るも新興宗教に押されての信心離れで巧く集まらず、何故かやってみた競輪で金を当て、以降、寺の貯えを使い果たしてしまう。ここでの競輪を始めるきっかけが曖昧だが、あまりにも明確な理由をつけよとは思わないにしても、何か流れて競輪場に来ていたというような、ちょっとした浮遊感が欲しかった。
 父の急死を経て、心を入れ替えた小沢が本山で修業に励み、下山して糞真面目な坊主となり、例の教え子の少女を寺に引き取るといった展開、今村が監督デビュー間もない頃からの念願で後年実現させた『カンゾー先生』を彷彿とさせる。これが『カンゾー先生』なら以降ガムシャラに働きましたということで済むのだが、本作では更にアナーキーな展開へと進んでいく。
 後半の濃密な展開にはグッタリするほどで、精薄の娘と近所の精薄の男と一緒にするしないの、ちょっとしたエピソードなど実に濃い。又、再び競輪に狂い出してからの高利貸しとの攻防、クライマックスの一発逆転をかけたレースで隣り合わせた自身を縄で縛った女との絡みなど、優に一本の映画になるだけの濃密さがあり、後半にはひたすら瞠目していた。
 そして、どういう着地をするのかと思っていたら、人を食ったようなあのラストに笑いが止まらず、小沢の名人芸的ダミ声が響く中、映画が終わっていくのがひたすら惜しく思うような作品だった。
 原作、脚本を読んでじっくり映画を再見したいと終映後呟きそうになるほど、何ともヒトを食った快作であり怪作だった。今村昌平西村昭五郎を語る上で欠かせない作品だけに、ようやく観れた喜びよりも、今まで観ていなかったことが腹立たしいほどの魅力に満ちていた。
 ちなみに、自分の席の前には快楽亭ブラック師匠が座っていらしたのだが、映画が進むに連れて、あー、師匠にとっては我が事のようにキツイ内容だろーなーと思っていたら、後でブログを読むと、やっぱり。
http://kairakuteiblack.blog19.fc2.com/blog-entry-835.html


ズベ公青春物語
305)『番格ロック』(ラピュタ阿佐ヶ谷) ☆☆☆★★

1973年 日本 東映東京 カラー シネスコ  83分
監督/内藤誠    脚本/山本英明 大和屋竺     出演/山内えみこ 柴田鋭子鹿内孝 誠直也 片山由美子 山口あけみ ボルネオ・マヤ

 いくらキャロルのファンだからとは言え、イイトシこいたオッサンとオバハンの三人連れが揃って携帯を高らかに掲げて写メを撮るのは許し難し。その後ろに座っている観客のことなどお構いなしでしつこくそれを繰り返すのには呆れた。