『GOEMON』(☆☆★★★)

(106)『GOEMON』
☆☆★★★ 新宿ピカデリー
監督/紀里谷和明  脚本/紀里谷和明 瀧田哲郎  出演/江口洋介 大沢たかお 広末涼子
2008年 日本 カラー 128分


 本作で驚いたのは、わずかな出演シーンと言えども、明智光秀紀里谷和明が演じていたことだ。プロデューサー、監督、原案、脚本、撮影監督、編集、そして出演を兼ねる紀里谷和明は現在の水野晴郎とも言うべき存在で、『CASSHERN』の経験を経ても何の反省もしていないのが素晴らしい。今回は更に劇中にまで登場し始めたので、いずれ監督・主演作が観られる日が来て、軍人なんぞを演じたりして、いよいよ『シベリア超特急』『憂国』クラスの自己陶酔型映画を作ってくれるのではないかと思う。水野晴郎が亡くなり、ブルーバック&CG大好きでその為にだけ後年は映画を撮っていた篠田正浩が引退した今となっては、紀里谷和明は彼らを足して割ったような存在として負の映画史の中でも重要な位置を占めるようになるのではないか。
 『CASSHERN』は散々文句を言いながらも、しっかり発売日にはDVDを買い、2年に一度はブツブツ文句を言いながら再見していたのは、自分の趣味である金持ちのボンボンの作る自主映画まがいの映画を楽しむ趣向にぴったりの存在だったからではないか。『ブラック・キス』や佳作もあるだけに一緒にしては申し訳ないかもしれないが、『白痴』の手塚眞や、深作健太の作品を欠かさず観に行くのと同様である。自分は金持ちのボンでも何でもないにもかかわらず、こういった作品を観て苦痛を感じることに喜びを感じるのは変態的とも思うが、時として映画がもたらすこういった理不尽な作品の存在には大いに惹かれる。
 例によってキリヤ・カラーで彩られたブロードキャストカラーの限界のような学生の作った作品と見間違うようなギトギトの色彩を2時間以上大きなスクリーンで観る苦痛と共にとんでもない展開や台詞が堂々と吐かれるので、すっかり嬉しくなってしまうが、『CASSHERN』より劣る。前評判としては、『CASSHERN』よりは良い、あるいは悪い、どっちもどっち、というような割れ方をしていたので、どんなものかと思っていたが、作品の完成度として観れば『CASSHERN』よりは上だろう。一瀬Pが付いたのが良かったのか、尺も2時間と少しに抑え、前作の青臭い台詞や自主映画まがいの自分の言いたいことを作品の均衡が崩れようとも入れていたことを思えば、そういった要素は遥かに減退している。しかし、それゆえにただの出来の悪い映画でしかないように見えてしまう。『シベリア超特急』よりも遥かに完成度の高い『シベリア超特急3』が、ただの出来の悪い映画でしかないのと同じで、完成度が上がったところで、よくある不出来な映画にしかならない。それならば作品のバランスが崩れてでも無理矢理「戦争は良くない」と当たり前のことを大きな声で言いたがるような映画の方が良くも悪くも惹かれてしまう。
 大泥棒という設定がアタマでしか活かされていないとか、技術の進歩で今回はカメラが動かせるようになったので派手に動くのは良いが、そのせいでゲームにしか見えないとか、相変わらずアクションが全く撮れない監督だとか、『ルパン三世 カリオストロの城』をまんまやろうとした気配が大坂城内の広末の寝室デザインからも窺えるが、キリヤカラーで染め上げると案外丸パクリにはならないのが良かったとか、前作の麻生久美子の枠を今回は広末涼子が演じるが、キリヤンの女の趣味が良く分かるくらい顔の造形が似ているとか、サトエリ戸田恵梨香もよく似た雰囲気なので見分けがつかないとか、色々語りたくなる要素の多い作品で、明らかに失敗作だし『CASSHERN』に比べても魅力的失敗作になりえていないとは思うし、そもそもこの作品以上に奇想天外な時代劇は東映でも、あるいは市川崑でも、いくらでもあったのだから、これぐらいでは驚かない。
 とはいえ、紀里谷和明という映画監督を追いたいとは思った。何の反省もなくこういった作品を撮り続け、かつヒットさせ(30分前に劇場に着くと、前から2列目しか席が空いてなかった)、イベント映画的なハッタリに満ちた作品ばかりを作っているのだから、存在として興味を惹かれる。というわけで紀里谷和明研究を行う為に『CASSHERN』を観直した上で『GOEMON』を再見するという拷問めいた行為を近々行う予定である。