雑誌

1)「映画芸術 408号」(編集プロダクション映芸) 

 再び版型が大判に戻って以降、発売も定期的になり良かった。売れ行きもそれなりに良いようである。しかし表紙は小川徹時代とデザイン含めて同じというのは問題だ。
 巻頭特集は『「68年」そして映画』。荒井晴彦斎藤久志青山真治が「69」「ドリーマーズ」「ペッピーノの百歩」を議題に対談。荒井は良いとして、個人的には足立正生若松孝二を呼んでくれた方が良かった。絶対来ないが吉田喜重も。
 採点表が無くなり残念。映芸は毎号思いつき企画ばかりで、継続性のある連載をもっとやらないと、最後の硬派な映画誌としての存在価値が薄れる。
 編集後記の荒井コメントは予想通り野沢尚への愛情溢れる追悼を、同じく朝日誌上で追悼した三谷幸喜への大批判の形で記している。両者が好きな自分として胸中穏やかではないが、同じ脚本家という肩書きながら、両者の位置があまりに異なることが日本映画の不幸だ。
 又、その余力を買って「日本映画ぼくの300本」、並びに著者の双葉十三郎批判へと筆先が向かう。以前記したが、自分としてもこの書は疑問に思うところも多く、荒井の批判は正当なものだ。しかし、『なんか偏ってる人だよなと言うと、伊佐山ひろ子キネ旬の主演女優賞取った時、ベストテンの選考委員辞めた人だぜと根岸。そうか、そういう人だったんだ…』の件は問題だ。と言うのも、伊佐山ひろ子キネ旬の主演女優賞を受賞した1972年度の「キネマ旬報」ベストテンにおいて、双葉十三郎は受賞対象作となった「一条さゆり 濡れた欲情」を6位に選出し、個人賞選出コメントにおいて結果的には岸恵子を選出しているが、『「一条さゆり 濡れた欲情」の伊佐山ひろ子も候補になるだろう』と記している。翌年も邦洋ベストテン並びに個人賞選出にも参加している。恐らく根岸吉太郎は、荻昌弘あたりと記憶違いをしているのだろうが、問題なのは荒井である。少し確かめれば直ぐに分かる事実を調べもせず、親友の言葉だからと鵜呑みにし、映画評論家の最長老に向かってインネンをつけるチンピラ脚本家ではないか、まるで。笠原和夫を尊敬するなら、少しは調べてからモノを言ったらどうか。虚偽を重ねて批判したところで、何にもならない。次号で自己批判し、謝罪すべきだ。
 荒井晴彦は、自分が最も好きな脚本家であり、尊敬する一人だけに今回の失言は痛い。