中島らも死去

 最も好きなエッセイの書き手は3人。小林信彦伊丹十三中島らもである。

 事故の報を聞いた時から、ある種の予感はあったのだが、執行猶予中の事故死という結果になった。
 個人的なベストは自伝要素の強い「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」で、何度も読んだ。一時関西テレビでドラマ化が予定され、中島らも自身が脚本を書いた筈だが流れている。地理的には大森一樹が適任だが、或いは井筒でも良いが、阪本順治あたりに映画化してもらいたい。
 逮捕などという国家権力の無理解を起にしてではなく、リリパット・アーミーを脱退した辺りから魅力が薄まり、復帰後の言動に、晩年の横山やすし同様の鬱陶しさを覚えた。だから、残念無念な気持ちは、そう強くはない。むしろ―、画一的な倫理観を押し付けてくる煩わしい現在の社会から早々に去ることができて良かったのではないか。少なくとも、自殺や、衰弱していく無様な姿を晒しながら死ぬよりも、酒に酔って階段から落ちて死ぬなんて最高じゃないかとも思う。
 勿論、80、90まで生き長らえて欲しかったという思いもある。しかし、凝縮された期間に、非常に多くの作品を残してくれたのだから、感謝しなければならない。自分としても未購入の作品は無数あるし、今後未発表作、単行本未掲載作も出版されることだろう。全てを読み尽くした後で、中島らもの不在を嘆きたい。
 大阪市内で徘徊している姿をよく見かけた。殊に98年の春頃だったか、環状線玉造駅構内で黒のロングコートを着た中島らもに握手してもらったのは忘れ難い。視点は定まらず、無表情だった。後で本当にあれは中島らもだったのか、ひょっとしたらホ−ムレスのオッサンに駆け寄り、握手してしまったのではないかという一抹の不安を思い抱いたが、もう環状線に乗っている中島らもの姿を見ることはない。