事実誤認だって立派なマザーズ・オブ・インヴェンション

molmot2004-09-05

8/30〜9/5
(しばらく日付を失する。たんに書き留めておこうということだけを書いておく。青山真治についての、ただただとりとめのないものである。)

 現在ほとんど自明である、「名前のない日記 Vol.28 2004 August」での青山真治の主張。

 
 参照: 7/30の「映画芸術」誌の事実誤認についての記述
     「映画芸術」掲示板

     8/2の「映画芸術」掲示板転載について

 

 『映画芸術BBS上での(A)後記への批判』が『ばかばかしい』のは当然で、あんなところにあのような記述が載れば、ばかばかしいとしか言い様がなく、当方のアドレスすらも間違って書き込んだ奴こそが、青山が言うところの『くだらない』奴なのである。しかし、青山はどうやらその転載した奴ではなくこちらに怒っておられるようなので、関係ないのだが少しだけ何かを書く。
 青山は憤っている。『「最長老」に「インネンをつけ」て何が悪い。いつまでもそんなものを信じているから、この国の映画批評はろくなものにならないのだ。』と言っておられる。正に正論だ。自分もその『映画芸術BBS上での(A)後記への批判』に転載されている文中で、双葉の新刊本への不満を書いたが、単に「最長老」というだけで無批判に垂れ流されるのは我慢できない。淀川長治の晩年の著作に顕著だった事実誤認だらけの薄っぺらな映画本(重政隆文の「勝手に映画書・考」「映画の本の本」参照) を標榜した数々の悪書を例に挙げるまでもなく、「最長老」に依存して編集側がアカラサマに手を抜くと、今回の「日本映画ぼくの300本」の如き本ができてしまう。しかし、例えば淀川の「映画千夜一夜」や「映画は語る」の様に然るべきヒトがハナシを引き出し裏付けをしっかり取れば、充実した書に仕上がる。
 今回の荒井晴彦の双葉批判は残念ながら批判の展開材料として提示した事例が事実誤認だったために批判に説得力を持ち得ず、その結果、老人に『インネンつけ』ているようにしか見えないと言ったまでで、『ヘルメットを脱げ』と言った清順共闘の篠田正浩と同様に扱われても、自分が「映画評論家の最長老である双葉先生に文句言うな!」とでも言う人間なら良かったのだが、生憎『いつまでもそんなものを信じている』者ではないので、果たしてこの批判は誰に向かって書いてあるのか、理解に苦しんだ。転載された文の後半をざっと目を通して、絵に書いたような旧来の映画評論家への信仰を持った奴だと都合の良い想像をしているとしか思えないが、暑い夏の盛りに『クランクインから公開まで二年かかる』気の毒なカントクが、そのような早合点をしたとしても責めてはイケナイ。
 因みに、上記の文は、あくまで映芸掲示板の一文への青山の批判に対する反論ではなく、あくまで当ブログ内で記載した一文が転載されたものを青山が読んで何かを書いていたので、当ブログでその感想らしきものを書いたというだけのハナシで、映芸掲示板に部分転載するのは御遠慮いただきたい。勿論、公にしているものなので強制力はないが、自分の希望である。ブログという形態の気楽さから思うままに書けるのが魅力だと思っているので、あまり鬱陶しいことに係わりたくない。