映画 「トッポ・ジージョのボタン戦争」

molmot2004-09-08

1)「トッポ・ジージョのボタン戦争 35mm字幕版」
            (ユーロスペース) ☆☆☆☆ 

1967年 日本=イタリア  カラー シネスコ 92分
監督/市川崑 声の出演/

 
 時間の都合で35mm日本語字幕版を先行して観る形になってしまったが、あまりの素晴らしさに驚いた。我が敬愛する市川崑の隠れた大傑作だ。
 そう、正に隠れた作品なのである。この作品は市川崑フィルモグラフィーの中でも飛び切りレアだった。実際市川崑の映画史外に位置する作品を観ることができ始めたのは、「黒い十人の女」以降と言ってよく、97年〜2000年にかけて、京都や大阪のPLANET等でビデオ化されていない市川崑の作品を頻繁に上映していた。その告知を見る度に目の色を変えて駆けつけたものだが、今やそれらの作品もほとんどがビデオ化を経てDVD化されている。その頃観た作品を思い出すままに列挙すると「あの手この手」「愛人」「穴」「東京オリンピック」「満員電車」「炎上」「さようなら、今日は」「女経」「破戒」「「人間模様」「熱泥地」「青春銭形平次」「黒い十人の女」等で、これらの作品もほとんどソフト化され、日本映画専門チャンネルでは初期の東宝時代の作品を放送しているし、最近は新東宝の作品もNECO共々流入しているから新東宝在籍時の作品も放送が期待される。そういえばNECOは「娘道成道」「新説カチカチ山」「花ひらく」をまとめて放送していた。昨年のフィルムセンターの一大回顧上映には日参したかったが、生活上そうもいかず、フィルムでは観た事がなかった「吾輩は猫である」と「犬神家の一族」、そしてソフト化もリヴァイヴァルもされないレア度の高い「東北の神武たち」「鹿鳴館」を観た程度で、その際に上映されていた「トッポ・ジージョのボタン戦争」と「幸福」を見逃したことは痛恨の極みで、その失態を後々まで引き摺っていたのだが、「トッポ・ジージョのボタン戦争」がリヴァイヴァル上映されるという知らせは」朗報だった。
 この作品は「東京オリンピック」に続く作品と思われがちで、「SPA!」の紹介文でも表層的フィルモグラフィーを信じ込んだまま書き写してあったが、厳密には違う。1965年の「東京オリンピック」公開後に市川崑が手掛けた作品は「ホワイトライオン」。CMである。「黒い十人の女」リヴァイヴァル公開の際に併映されて、晴れて映画となった。それに続くのが毎日放送で手掛けた連続ドラマ「源氏物語」で、その後に「トッポ・ジージョのボタン戦争」が位置する。
 トッポ・ジージョに関してはマーチャンダイズ的認識しかなく、当時日本でも人気があったという背景を知らず、又、市川崑に愛着はあってもトッポ・ジージョにはさほどないので、映画での改変や市川崑色の出すぎが気なることもなく、むしろ狂喜せんばかりに楽しめた。
 この作品は日本語版も観るつもりなので、とりあえずの感想である。
 まずは、トッポ・ジージョの動きに魅了される。マリア・ペレーゴの操演は、正に一個の生命体としてトッポがスクリーンで動いている。一人ぼっちのモタモタするトッポの鈍重さと市川崑の相変わらずなグラフィック感覚溢れる構図、素早いカット割りで、絶妙なバランスを保っている。
 市川崑自身は純粋にトッポを生かせば良かったものを、赤い風船やボタン戦争など詰め込みすぎたと反省しているが、現在でも鈍感な奴が馬鹿なことを書いたりもしているが、それはともかくとして、1967年に不向きだっただけで、正に現在にこそ相応しい遅れてきた傑作だ。
 開巻で日常の愛らしい様子を見せ、夜も街に飛び出してからの「黄金の七人」をパロディ化した一連の穴掘りシーンは、今年の「レディ・キラーズ」や「死に花」の同様のシーンの醜悪さに比べて何と美しいことか。影で人間を表現する市川崑好みなショットにすっかり魅了された頃、カーチェィス、銃撃戦と続き、「ど根性物語 銭の踊り」で組合との兼ね合いで撮りきれなかったアクションを低予算ながらやろうとしていて感動的だった。赤い風船との悲哀も泣かせる。
 それにしても、数年前迄存在していた日本語原版が行方不明の為、今回の日本語版はDV上映という悲しさには気が滅入るが、それを補って余りある素晴らしい傑作だった。(続く)