映画 「華氏911」

molmot2004-09-22

1)「華氏911」[FAHRENHEIT 9/11]  (新宿ジョイシネマ)☆☆☆★★★ 

2004年 アメリカ  カラー ビスタ 112分  
監督/マイケル・ムーア  出演/ジョージ・W・ブッシュ マイケル・ムーア

 
 兎に角、この手の作品がどんな理由にせよ大ヒットしているのは嬉しい。殊に、近年ライトなウィングへと傾きが急になっていく日本で、単純な反権力映画にヒトがたかるのは、未だこの国にもバランスがあるかなと思って嬉しかったが、結局スクリーンの中だけの外国映画のハナシという距離感を感じはする。
 この作品に関しては、あまりにも誰もが当たり前のことばかりを、さも正論ぶって自身の意見を吐露するが如く得意満面の顔で喋っていたり、下手すりゃ観てないのにとやかく言ったりしている(まるで今朝のワイドショーで元芸能人の逮捕を、脳内出血してからああなったのか元からああなのか、精神異常者的振る舞いで、何故か怒りを爆発させる十勝花子の様だ)が、この作品に限らず一億総批評家的雰囲気に映画が包まれるのは、映画が可哀想で辛い。自分も言葉にすれば同じようなことしか口にしないだろうから、短く観たままを書く。
 あの「バトリロワイアルⅡ」ですら、開巻のテロ描写ゆえに許そうという気になる自分なので、この作品は観る前から水準点には達していたのだが、『アホでマヌケなドキュメンタリーを観ない人々』を飽きさせない親切な、エンターテインメントに徹した作りになっていことに感心した。ただし、これはドキュメンタリーとは言い難く、立花隆の「田中角栄研究」同様、誰もが入手できる素材を元にしたもので、それを元に編集の妙技でプロパガンダとして完成させている。これは否定ではなく、伝統的プロパガンダ記録映画の方法論を確信的に用いて、この作品は製作されており、それがジョージ・W・ブッシュという人物を描く最も適した方法であるとマイケル・ムーアは判断し、作為的編集と、誘導的ナレーション、誇張と嘲笑の構図で、巧みなプロパガンダとして成立させた。実際自分の周りにも、年下の普段政治にも興味のナイ奴が本作を観て、ブッシュへの憎悪を口にしたりしているから、プロパガンダとしての効果絶大で、自分としてもそれは非常にケッコーなことだと思う。
 現在のアメリカの病的状況を描くには、これくらいのプロパンダ形式で激しく煽動しなければ効果はなく、この作品は「JFK]と並ぶ説得力はないが魅力的プロパガンダの秀作として語られる作品だろう。
 ジムでブッシュの悪口を言った為に市民に通報されてFBIの訪問を受ける市井の市民のエピソードは、まるでフリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」同様の世界であり、こんな世界が未だ残っていたのかと驚いた。又、議事堂の周りを条文を読みながら車で走るムーアの姿は、「田中角栄天皇裕仁を殺す」という看板を掲げて走る奥崎謙三の姿を想起させた。
 プロパガンダとばかり言っているが、ドキュメンタリーとして突出したシ−クエンスが二つある。一つは911のビルへの突入を黒味の音のみで見せたことで、1分以上黒がスクリーンを占めていた。これは、過剰に繰り返し繰り返し映像で見せられたことへのアンチテーゼであり、物事の本質は衝撃的映像にあるのではなく、そこから聞こえてくる衝撃音、破壊音、悲鳴、数十台のパトカーの音にこそ真実の姿があるということを、スクリーンでようやく伝えることができたのではないか。もう一つは、ホワイトハウス前での戦争反対を唱えてテントを張っている女性を巡る女性三人の口論で、僅かな論議
被写体の女性は席を外れたが、この作品で僅かに真実が浮かび上がった瞬間だった。
 全体としては、マイケル・ムーアは極当たり前の事を極当たり前の方法論で改めて示した。それは全く退屈させないように知名度抜群のリーガン以来の名優ジョージ・W・ブッシュ主演のプロパガンダ映画を製作することで実現させた