映画 「ロスト・イン・トランスレーション」「21グラム」「甘い夜の果て」

1)「ロスト・イン・トランスレーション」[Lost in Translation] (新文芸坐)☆☆☆★★★ 

2003年 アメリカ  カラー ビスタ 102分  
監督/ソフィア・コッポラ  出演/ビル・マーレイ スカーレット・ヨハンソン ジョバンニ・リビシ アンナ・ファリス
ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

 コッポラの特権的な映画からの恩恵は、その血縁者達にも脈々と受け継がれており、ローマン・コッポラの「CQ」ですら素晴らしい。ローマンの妹ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」は観逃したままだが、第二作となる本作は意外な程素晴らしく、心に染み入る佳作だった。
 下着と俯瞰の映画、または「パークハイアット東京物語」と言っても良いぐらいの作品で、開巻の背中を向けて横たわるスカーレット・ヨハンソンの薄ピンクの透けた下着を中心に据えたショット以来、パークハイアット東京の自室に篭るヨハンソンは終始下着姿であり、その長い脚を抱え込んで物憂げに高層ホテルの窓から東京の街並みを見下ろす姿がたまらなく魅力である。
 一方、同ホテルに宿泊するビル・マーレイの物憂げな顔も素晴らしい。「チャーリーズ・エンジェル」でも一貫して、つきあってられないよという顔をして本当に続編につき合うのを止めてしまった彼だが、丈の足りない寝巻きに不眠症の辛さが滲む顔で窓から東京の夜景を眺める姿が良い。
 この作品の素晴らしさは、古典的ボーイ・ミーツ・ガールの物語を骨格にしっかり据えた上で、それを展開させるために東京という街が舞台になっていることで、英語の通用しない異国且つ米国との時差の大きい国として選ばれている。だから国辱映画とか、言葉の違いをメイン・テーマとして真っ向勝負に挑み、ヒューマン・ドラマとしての要素が二の次になっているとか、日本人なら必見とか、ハリウッド映画の舞台に選ばれるなんて凄い、などというのは表層的異文化ギャップの描写のみしか見ていないから言えるのであって、そんなモノが観たいなら「東京ジョー」やフリッツ・ラングの「ハラキリ」を観た方が求めているものに近いだろう。
 日本描写は、相変わらず寺社仏閣、パチンコが出てきてしまう点を除き、ほとんど違和感がなく、国辱映画とか言っている連中はどこを観ているのか?CM監督も実際あんなものである。
 外景は、京都と富士裾野のゴルフを除いては新宿、渋谷を主に描かれるが、誰が撮っても変り映えしない東京という街を、ソフィア・コッポラは曇天模様の憂鬱な都市として切り撮っていく。見慣れた風景が異化していく心地良さを味わえた。
 藤原ヒロシ等を動員し、装飾部分をソフィスティケイテッドすることにより、古典的骨格の物語を、現在の世代性のある映画として定着させることに成功している。
 前述した「パークハイアット東京物語」というのは誇張ではなく、本作はホテル内の描写に主眼を置いてあり、撮影規制のウルサイ東京を舞台にしながら、ここまで成功した作品になったのは、ホテルを出逢いと交流を深め、そして別れの場として設定したことにある。それを経て、東京の街に出て行く。だからこそ、ラストの西新宿のヨドバシカメラ近くでの、二人の抱擁とキスが素晴らしい効果を挙げていて、忘れることができない。
 映画史に残る素晴らしい佳作だ。予定がなければもう一度観たかった。幸いなのはDVD発売が12月に迫っているということだ。

2)「21グラム」[21 GRAMS] (新文芸坐)☆☆☆★ 

2003年 アメリカ  カラー ビスタ 124分  
監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ  出演/ショーン・ペン ベニチオ・デル・トロ ナオミ・ワッツ シャルロット・ゲンズブール
21グラム (初回出荷限定価格) [DVD] 

 フラッシュバックを多用して、時制をいじり倒すという手法は珍しくも何ともないが、16mmを増感した映像が好感を持てるだけに、果たしてここまで複雑に時制をバラす意味があったのかと思われる。時制をバラす時は、全てをバラバラにすれば良いのではなくて、バラした中に流れが必要であって、ショットからショットの移り変わりの過程で、映画的躍動が波打つべきなのに、本作には単に本来通常の時制に沿う構成ならば必要なショット、あるいはそれなりの演出の才がないと漫然と撮ってしまう説明的ショットを省きたいがためにこのような手法を選んだようにしか思えず、手法が先行した印象になってしまうのは、映像が悪くないだけに惜しく思う。

3)吉田喜重 変貌の倫理「甘い夜の果て」 (ポレポレ東中野) ☆☆☆★★ 

1961年 日本 松竹 モノクロ シネマスコープ 85分 
監督/吉田喜重  出演/津川雅彦 嵯峨三智子 山上輝世 杉田弘子

 「血は渇いてる」に続く第三作。「日本の夜と霧」後だけに松竹に、残った吉田喜重は、これまでの様な若手の勢いやスキャンダラス性に依存しない独自の世界観を体現しようとしたようだが、「秋津温泉」を経て「嵐を呼ぶ十八人」で見せた成熟には到らず、未発達の過渡期の作品という印象を受けた。
 四日市の工業地帯を背景に持ってきていることがその後の流れを予感させるが、バイクで競輪場を何度も回るという円環運動等、吉田喜重らしい記号が象徴的に使われ始めていることがわかるが、金への執着性が凄まじい主人公が、ひたすら取り入ろうとし、成功するかに見えるも没落家庭の未亡人だった、というのはあまりにも図式的で、全体が接ぎ木をしているが如くギクシャクしている感がある。
 咄嗟につく虚栄心に満ちた嘘が悉く直ぐに暴露されてしまうという面白さは感じるが、津川雅彦と杉田弘子の演技のい稚拙さもあって乗り切れず。