映画 「ジェリー」

molmot2004-10-26

1)「ジェリー」[GERRY]
 (ライズX) ☆☆☆★★★

2002年 アメリカ カラー シネマスコープ 103分 
監督/ガス・ヴァン・サント  出演/マット・デイモン ケイシー・アフレック

 作品に触れる前に、公開劇場であるライズXについて。ここで観るのは、本年度最低のゴミとしか言い様のない映画以前の作品、特に名は秘す「赤線」以来二度目だが、元がバーだったため、基本的に映画を上映し、客席を配置できる作りになっていない。当然映写機を置くスペースもなく(大阪のPLANETの如きワンルームマンションに映写機を持ち込んで、どこから発掘されたのか得体の知れないフィルムを流すのを眺めていたことを思えばかなりの広さだが)、そこを利用してDLP専門の上映館として設立されたのは、近年のDV撮影の作品の増加やそこから更に発展して自主映画とプロの作品の境界を曖昧にさせるDV作品、あるいは24Pカメラを用いた作品、デジタルアニメ、CG作品等が劇場公開される機会が増えたことを思えば、この劇場の設立は喜ばしい。立地条件も申し分なく、いつも大儲けしているシネマライズの良心的劇場となる筈だったのだが、スクリーンの位置が1階からは高過ぎ、2階からは俯瞰になりすぎて下が見えないという最悪の構造をしている。せめて1階は斜めの台を設置してから座席を作るべきで、映画への愛情に欠けた小屋である。
 とは言え口に出したくもないゴミ映画「赤線」の様なビデオ作品(このゴミ映画はビクターのハイビジョンDVを早々に導入して撮影したものの編集ソフトが国内では入手できず、海外のソフトを入手して、苦労して編集したという感動的な素晴らしいエピソードを持つ)ならばDLPで上映するのに丁度良い。しかし、この「ジェリー」はコダックフィルムで撮影されたフィルム作品であり、日本語字幕は焼きこんであり、ロール変わりの黒点も入っている。即ちフィルム上映を前提としているのだ。東京以外の劇場ではフィルム上映されるのではないか?これは全くもって不可でありシネマライズの経営方針に根本的疑問を投げかける問題である。たまたまライズXが空いている→しかしここはDLP専門館だ→ならばテレシネして流せば良い。といった安易な発想でこの作品が消費されているのだとしたら許し難い。大阪にシネマドゥというビデオシアターがあった。DLP以前の時代の、SONYタワーの地下でSONYのプロジェクターを使って単館映画館として営業していた頃のハナシだ。ここで「アムステルダム・ウェイステッド」を観た時は、VX1000で撮影された作品ということもあり、シネマドゥの存在に感謝したが、「中国の鳥人」や「ラリー・フリント」を観た時はフィルム作品を何故正規の映画料金を払ってビデオシアターで観なければならないのかと憤りを感じた。ところが当時出ていた映画雑誌「DICE」で浅井隆がフィルムと変わらない綺麗さなのだから何が悪いと、フィルム信仰者への辟易からか過度なビデオ賛美的言動を繰り返していた。彼の姿勢はプロデュースした「アカルミライ」を24Pで撮らせるところにまで徹底しているが、この極端さも疑問で、基本的にフィルム至上主義者、ビデオ至上主義者は共にアホで、所詮絵筆の違いにすぎないのだから、題材に応じて35mm、16mm、8mm、24P、DV、今後ならHDDVを使い分ければ良い訳で、「赤線」の監督の様に何が何でもDVと言っていると、「ピクトアップ」誌で「式日」を完成させた庵野秀明に何故今回はフィルムを使ったりしたのかと詰問する様な恥ずべき痴態を晒すことになってしまう。因みに「赤線」は16mmで撮ればもう少し見られるものになったと思う。
 あくまでフィルムで撮影されたものはフィルムで観た方が良いし、デジタルで撮影されたものはフィルムに焼くと画質の劣化並びにオリジナルの発色と相当変化してしまうのでDLPで見た方が良い。それだけのハナシだ。だから「ジェリー」の夜間のシークエンスはDLPでは真っ黒に潰れ、わけがわからなかった。この一事を持ってしてもライズXは糾弾されるに値する。

 本編についてだが、素晴らしい秀作で、圧倒された。「エレファント」の方法論をテストする為に盟友マット・デイモンと久々に製作したインデペンデント映画とも言うべき作品で、タルコフスキーポランスキーの映画の如き唐突さと不条理さに包まれた作品だが、非常に面白い。
 言ってしまえば迷子になるだけのハナシである。それ以上のものはラストまで何もない。ところが、画面の中には一瞬たりとも弛緩することなく様々なことが起こる。開巻のフロントガラスから捉えた車の前方移動の長回し。何故こんなに延々と何の変哲もない道を進んでいくのを見せるのか。しかし、観て行けば、絶対にこれだけの長さが必要であることがわかる。
 マット・デイモンケイシー・アフレックは、他愛ない会話を僅かにするだけで、彼等の素姓、何故このような荒地に来たのか、一切明かされない。この手法はそのまま「エレファント」に応用されているが、食い足りない印象は全くなく、彼等の背景が見えないことの違和感を観客に感じさせないための巧みな演出が施されている。
 ロングショットが多用されるが、その中で二人が下手から上手へ、又は上手から下手へ歩いて行くショットが幾つも登場するが、その全てが美しい。元来ロングショットで歩く人を見るだけで嬉しくなってしまう性分なので(続く)