映画 「17歳の風景 少年は何を見たのか」

molmot2004-10-31

1)「17歳の風景 少年は何を見たのか」 (六本木オリベホール) ☆★★

2004年 日本 シマフィルム カラー ビスタ 90分 
監督/若松孝二  出演/柄本佑 関えつ子 小林かおり 田中要次

 1ヶ月の間に若松孝二の新作を2本観られるとは、60年代の若松作品の怒涛の進撃が恰も2004年の10月だけ蘇ったかのような錯覚を思わせ、リアルタイムで60年代の若松作品に触れ得なかった自分にとって殊の他嬉しい。
 東京国際映画祭には興味が湧かず、というよりも時間的に参加できないし、チケットも取れるかどうか覚束ないような不安定さで映画には接したくないので無視を決め込んでいたが、その協賛企画として「リージョナル・フィルム・フェスティバル2004」が開催され、そこで若松孝二の新作「17歳の風景 少年は何を見たのか」がプレミア上映されると聞けば、何が何でも駆けつけなければと思わせた。
 会場に着けば、敬愛する若松孝二が直ぐ横の椅子に腰掛けていた。あの若松孝二だと、些か興奮しつつ、到って快活な様子が伺え、完全に回復したかに見える若松は「お父さん!」と声を挙げ、受付に来た本作の主演柄本佑の父、柄本明を出迎えに駆け寄った。柄本明は大変好きな役者なので、極く近くで見ることができて良かった。言っては悪いが閑散とした小さなホールだけに余計に至近で見られたので尚更である。
 上映前に若松孝二柄本佑、プロデューサーによる舞台挨拶があったが、柄本佑は非常に犯罪者的な歪な顔をしており、主役共々脇で力を発揮できる役者になるだろうと思わせた。柄本明が「うなぎ」で見せた様な卑屈な人間像を演じることができる貴重な若手になるのではないか。松田龍平に絡む役などやらせたら良いのではないか。
 さて、本作は35mmで上映されているが、私見ではDVX100あたりを使用して撮影し、フィルムレコーディングしているように見受けられる。「完全なる飼育 赤い殺意」も同様だったが、本作の方が劣化なく焼かれており、一般的にはDV撮影とは気付かれないのではないか。キネコと違って、輪郭や走査線が目立たないフィルムレコーディングでもここまで精巧に焼けるなら悪くなく、DV撮りであることの弊害をほとんど意識することなく観ることができた。
 この作品は、若松孝二久々の自身の企画による作品で、17歳の少年が祖母を殺害し自転車で逃避行を続けた実話を基にしている。こう聞くだけで、「狂走情死考」を筆頭とした往年の作品群を思い浮かべ、足立正生の帰還後、若松が再び60年代の熱気を取り戻すのではないか―「完全なる飼育 赤い殺意」は大失敗作だったが、本作でこそあの頃の熱気が再び…という期待は残念ながら完全に覆され、映画監督における『老い』の問題の厄介さを改めて考えさせる凡庸な失敗作だった。
 「狂走情死考」が優れていたのは、開巻の新宿を機動隊から逃げ、疾走する全学連の学生を捉えた素晴らしく興奮させる横移動から、警官の兄との喧嘩を止める為に発砲してしまった兄の嫁と主人公が東北へと逃避行を重ねるという根幹がしっかりしていたから、その後の長い逃走シーンに納得がいったのだが、本作では開巻から自転車で走る主人公が捉えられ彼が何をしたかは、安直なフラッシュバックと、信じ難いラーメン屋での高校生達の極めて説明的な会話で描かれる。上映前に若松孝二は高校生達の会話は現在の若者の言葉ではなく、自分達の世代の言葉で科白にしていると予防線を張っていたが、いくら科白が団塊の世代のオヤジの科白だろうが、こんな説明的な白々しい科白が何故必要なのか。「完全なる飼育 赤い殺意」でも、大沢樹男に雪の中を歩かせながら、ひたすら説明科白を独り言で呟かせるという呆れさせる手法を使っており、敢えてやっているのだろうが、何故こんな手法を今に到って使うようになったのか是非聞き質してみたい。他にも二つ大きな異物があり、一つは老人男性の天皇制と自民党への大批判を延々撮っている点であり、若松がどういう思想信条である人かは当然よく知られているわけであり、自分もそこに与する物があるからこそ若松映画を支持してきたし、「テロルの季節」や「性賊」に並々ならぬ思い入れがあるのもそれに呼応するものがあるからだが、ここまで直接的な名詞を挙げられると、では何の為に映画を撮っているのかというハナシになり、映画の敗北を早々に宣言してしまったようなもので、非常に不愉快且つ退屈だった。もう一点、ラスト近くの老婆が在日朝鮮人であるという設定で語られる科白も又直接的過ぎて首を傾げざるを得なかった。
 では大部分を占める自転車での走行シーンはどうかと言うと、これが非常に魅力に欠ける。雪中を自転車で走ると言えば平野勝之の諸作を連想し、実際共通する手法が多用されているのでどうしても比較したくなるが、ロングショットで正面に向かってくるカット一つ取っても、又風景との距離感にしても圧倒的に平野が優れている。とても若松が撮っているとは思えない弛緩したショットが続き、唯一ラスト近くの砂浜を自転車で走る抜けるのをやや青がかった色で斜め構図で捉えたショットのみ突出していた。
 撮りたい素材と、それを見せる為の手法が伴わなかった失敗作だが、この失敗が若松の老いによるものでないことを信じたい。
 来年公開予定。