映画 「2046」

molmot2004-11-18

1)「2046」〔2046〕 (Tジョイ大泉) ☆☆☆

2004年 香港 カラー シネマスコープ 110分 
監督/ウォン・カーウァイ  出演/トニー・レオン 木村拓哉 コン・リー フェイ・ウォン チャン・ツィイー

 観ればわかるように、まんま「花様年華」の続編で、トニー・レオンのその後の60年代が描かれる。
 それにしても、いくらシネコンの最終回とは言え、客席僅か4人とあっては、単館公開した方が良かったと思うが、日本の配給会社は「花様年華」の続編であることを秘匿し、木村拓哉の出演を最大の売りにしてメジャー公開にしたようだが、結果は無残なことになった。興行的数字のみならず作品的にも。
 「恋する惑星」に直撃を喰らった世代なので、どんなに罵言を浴びせられようと「天使の涙」も大好きで、ウォン・カーウァイに心酔していたのだが、「楽園の瑕」「ブエノスアイレス」という凡作が続き、見放しかけていた。そんな中で「花様年華」を観て、大人の味わいのある佳作に仕上がっていることに感心し、再び復調したかに見えた。
 「2046」の製作期間は長い。思えば木村拓哉ウォン・カーウァイの新作に出るらしいと耳にしてから5年近くたっている。しかし、例よって中途で中断しているらしいと聞こえてくる内に「花様年華」が先に完成し、その中でトニー・レオンが小説を書く為に借りた部屋が大写しで2046と書いてあるものだから思わず笑ったが、まさかSFと聞いていた「2046」が、本当に2046号室のハナシになってしまうとは驚いた。
 大方SFとして撮影を始めたもののうまくいかず、結局成功した「花様年華」の続編にすることで何とか完成させたのだろうと容易に推察できる内容になっていいて、またそれがその通りなのが辛いところだ。
 凡庸な作品である。当初想定していたSFとしての世界観が崩れた段階で、作品としては失敗しているのだが、その救済措置として描かれる60年代後半の描写、殊にチャン・ツィイーの挿話が素晴らしく、ここを「花様年華」の如き濃密な2人芝居として全編やってくれたら、さぞかし秀作になったものをと思う。一種の悪女であり、孤独な女というチャン・ツィイー がこれまで演じてきた役とは大いに異なるものを求められているが、それに見事に応え、チャン・ツィイーの顔にどう光を当て、どう影を落とすかを既に心得ているクリストファー・ドイルの撮影によって、前半の妖しい魅力を振り撒きながらトニー・レオンと共にベッドに身を横たえる姿の美しさと、後半の身を崩した窶れ気味の姿の対比に息を呑む。
 フェイ・ウォンのエピソードも悪くなく、二人で小説を書くシークエンス等、幸福感に満ちていて「恋する惑星」の頃の輝きはないが、やはりフェイ・ウォンは良く、ホテルのベランダから何度となく挿入される外を眺める姿が素晴らしい。
 木村拓哉については、コノヒトは若松孝二監督・佐々木守脚本の「五稜郭残侠伝」、1996年にイン予定だった版の「御法度」、映画版「弟」(これはやる必要なかったが)等、やっていれば良かったものを全て蹴り、安易なTVドラマで自身の演技を過信し、以後演技を学ばなかったのに、知名度を利用してウォン・カーウァイ宮崎駿に取り入っていきなり出たところで作品の足を引っ張るだけで、一時は然るべき作品を選び演技に専心すれば、かなりスクリーン栄えする役者になるのではないかと思ったが、遅きに失した。結局本作では、いつもの木村拓哉でしかなく、又声が低すぎるのに開巻からモノローグを担当したりしているから、単色な低音で映画を塗り潰して行くので、かなり危惧したが、作品を沈ませる程出演シーンが多くなかったのは幸いだった。
 本作は、本来描く筈だったSFと、それが行き詰った為に用意された「花様年華」の形骸でしかない。