映画 「夜にほほよせ」

「林静一監督作品『夜にほほよせ』上映&トークショー」
28)「夜にほほよせ」[公開題:SEX予備軍 狂い咲き] (シネクイント) ☆☆

1973年 日本 若松プロ カラー シネスコ 63分 
監督/林静一   脚本/林静一  出演/かしわ哲 葉山るゐ 流滝人 市村譲二


 シネクイントに向かうパルコのエレヴェーターに若松孝二と平沢剛が乗り込んできたので、おやと思う。勿論、意外なわけではない。今から上映される「夜にほほよせ」は若松のプロデュース作品なのだから、若松が来るのは不思議でも何でもないし、平沢剛が同伴しているのは、彼の著作を読んでいれば当然過ぎる程当然だ。上映前のトークショー林静一松本隆鈴木慶一と予告されていたので、飛び入りで二人が参加するのかと思った。
 前売りで全席が埋まった盛況な上映会(自分の左隣は空いていた。個人的には良かった。全席指定なので変な席だと困ると思っていたが、チケット購入が早かったせいもあり、中心の真ん中席)で、観客のほとんどは林静一のファンと思われ(自分も嫌いなわけではない)、映画を厳然たるジャンル分けで差別する気は毛頭ないにしても、ピンク映画を観に来ているという意識は極めて希薄だ。自分が来たのは、当然ながら、若松孝二プロデュース作品としての興味が最も大きく、次いで林静一の映画が観たかったからだ。
 冒頭30分程、上記三人のトークがあったが、ボソボソ喋る覇気のないオヤジ達のトークが妙に間延びしていて心地良かった。鈴木慶一が相変わらず格好良い。ハナシの前半はビートルズに割かれ、鈴木慶一ビートルズハナシが好きなので、至って楽しめた。が、肝心の「夜にほほよせ」については、何故ピンク映画を撮るに至ったのかという経緯も話されず、若松も紹介されただけで、コメントもなし。
 1973年製作の本作だが、前年は若松孝二にとって、60年代の怒涛のピンク時代の総括とも言うべき年だったと言える。1972年は、「天使の恍惚」をATGで製作した年であり、足立正生が現在のところ最後の若松作品の脚本を担当した「(秘)女子高生 恍惚のアルバイト」が製作された年でもある。「赤軍−PFLP 世界戦争宣言」「天使の恍惚」の赤軍を巻き込んだ騒動を経て、非常に映画-が作りにくい時期に入っていたことは明らかで、又、60年代中盤から70年代初頭にかけて若松のパートナーだった足立が日本を離れたことで、若松のフィルモグラフィーを参照すれば、ここで前半生が終了したことがわかる。
 実際、「夜にほほよせ」が製作された1973年に若松が監督したのは「(秘)女子高校生 課外サークル」1本のみである。本作について若松は前述した「俺は手を汚す」で『これはもう、まるっきり損した映画だな』としか語っていない。これまで足立、大和屋竺山本晋也、山下治、沖島勲、小水一男等を若松プロから監督として抜擢し、大島渚が監督する場でしかなかった創造社とは対照的に、場としての若松プロの有効性を示したわけだが、林静一という外部からの異業種監督の登場は異色である。
 上映前に配布された資料 から、本作が爆弾事件をモチーフにしていると知り、俄然興味が沸き、期待に胸躍らせたが、本編に接すれば、往年の若松映画の如き、ラストに羽田空港に突っ込むとか(「テロルの季節」)、新宿三丁目交番やマンションが爆破(「天使の恍惚」)されるといったカタルシスはない。実際の事件を基にしているが、林静一は、爆弾というカセを外してしまう。
 若い男女の日常にインサートされる彼のイラストによって、映画は奇妙な違和感に包まれる。しかし、この違和感は若松映画にも若松プロダクションの他の作品にも感じることのできない奇妙な魅力でもある。
 相当状態の悪いプリントで、退色しているし、随所に画も音を欠けているのだが、タイトルは公開題である「SEX予備軍 狂い咲き」が一瞬出る。これは欠けたものなのか、タイトルを消す為に意図的に切られているとも思わせるものだった。スタッフクレジットが興味深かったのは撮影助手の高間賢治は60年代末の作品から就いているから珍しくないにしても、和光晴生のクレジットは「天使の恍惚」でしか見ていなかったので、彼が若松プロの助監督として実際に機能していた様子が伺えた。林静一は和光晴生とどう接していたのだろうか。スタッフで興味深いのは以前も書いたが、吉岡康弘が撮影を担当していることで、何故伊東英男ではなく、吉岡なのだろうか。
 正直言って、吉岡の助力があったであろうとは想像できるにしても、やはり下手さが目立つ映画だった。勿論、フィルムがボロボロなので各所が欠けているとは言え、ショットの繋ぎや、脚本の不味さなど、挙げていけばきりがない。しかし、外灯の傘に付着している巨大な蛾を煽りで捉えたショットが3回インサートされる素晴らしさや、全編に流れる、はちみつぱいの主題曲の素晴らしさや、印刷工場で機械の前で呆然と立ち尽くしている主人公をロングで捉えたショットの素晴らしさ、赤を基調にした色の配置の素晴らしさ。殊にカーテンや壁紙に赤が配されているのは良かった。又、遊園地で男2人、女1人で交代に乗り物に乗りながら話すシークエンスの素晴らしさには感動させられた。
 鈴木清順や、つげ義春的にデフォルメされた世界観のみで押してしまった方が、林静一の世界観がより明快に出たのではないかと思えるが、それを初監督且つ、低予算のピンク映画で求めるのは酷というものだ。
 むしろ、ちゃんとピンクやってることをこそ評価したい。カラミは割合濃密で、1973年なら、ここまでの露出が可能だったという意味で見ることもできるが、性交を終えて鏡を前にしてティッシュに口からザーメンを出すショットなど、「マルサの女」で松居一代股間ティッシュを挟んだまま歩いて行くショット的なエロチズムが溢れていた。
 個人的に期待した爆弾映画ではなかった失望はあるのだが、以下ネタバレになるが、林静一は主人公が電車に爆弾を仕掛け無差別テロを行うのではなく、全く逆に自ら線路に飛び降り、電車によって命を絶つという行動に出る。事実と180度異なる設定に変更したのは何故なのか。自ら死を宣言して実行することが最大のテロであると思う。
 若松プロ若松孝二プロデュースの作品は「裏切りの季節」「堕胎」「避妊革命」「性地帯」「性遊戯」「女学生ゲリラ」「ニュージャック&ベティ モダン夫婦生活讀本」「叛女 夢幻地獄」「噴出祈願 15歳の売春婦」ぐらいしか観ていないが、その中でも「夜にほほよせ」は、最もリリカル且つ愛に溢れた作品に仕上がっている。
 上映終了後、ロビーで話す若松孝二と平沢剛の側を通ったら、若松の「現場にずっと張り付いているわけにはいかなかったから」、平沢の「初めて観たが面白かった」という言葉が聞こえてきた。本来はこの二人のコメントこそを是非聞きたい。