映画 「空飛ぶ都市計画」「タッチ」

molmot2005-10-28

205)「空飛ぶ都市計画」(Tジョイ大泉) ☆☆☆

2005年 日本 スタジオカジノ カラー ビスタ 4分54秒
監督/百瀬ヨシユキ    

206)「タッチ」(Tジョイ大泉) ☆☆☆★★

2005年 日本 東宝映画 カラー ビスタ 116分
監督/犬童一心     脚本/山室有紀子     出演/長澤まさみ 斉藤祥太 斉藤慶太 RIKIYA 安藤希 

 いくら「メゾン・ド・ヒミコ」が秀作だったからと言って「死に花」の酷さは忘れられず、犬童一心のメジャー作品は全く信用していない。
 今頃「タッチ」を実写化するのも何だが、監督に犬童一心を起用するというのもよくわからなかった。他に幾らでも手堅い職人監督が居るだろうと思ってみても、良い仕事をしてくれそうな監督は既に死んでいたり、最近あまり撮っていなかったり、近年はこの路線からは外れていたり、最近不調だったりする。若手監督を毛嫌いする気は全く無く、むしろメジャー作品に思わぬ抜擢をされることが多い最近の日本映画の状況は悪いハナシではないと思っている。しかし、アカラサマな力量不足、基本の演出すら覚束ない欠陥商品が堂々と全国で封切られてしまうことが多いのには、その監督の力量以前に商品検査をしていないのではないかとすら思ってしまうプロデューサー側の責任を感じる。
 で、「タッチ」だが、久々に満足できるアイドル映画で、長澤まさみの魅力をしっかり抑えた佳作だった。
 この作品に関しては、諸々文句を言う方面が多いらしく、原作ファン、通常の観客、シネフィル系夫々からの非難がケッコーあるようで、そんなものかと感心するが、南が中心過ぎるとか言われても、今時あのハナシは成立しないし、現代で成立しないなら80年代を舞台にすれば良いとか言うが、そんなことをする意味がないし、そんなもの観ても、何故今、80年代を舞台に「タッチ」を実写化しているのだろうと思うだけで、現在において「タッチ」をやると言うなら、南を中心にしたアイドル映画にするしかない。
 ま、東宝が自社製作しているので企画自体がズレていて、だから「タッチ」なんて発想が出てくるのだろうが、犬童一心は不味い企画、不味い脚本を背負いながら、唯一の有利に運ぶ武器である長澤まさみを活かしきっていた。
 兎に角長澤まさみに尽きる作品で、長澤まさみを観ているだけで幸せな一時を過ごせる。ウンコみたいな顔した若槻千夏が邪魔だが、安藤希も出てるし、文句はない。
 池脇千鶴犬童一心を評して、少女を中に飼っているヒトと、聞き様によっては家で「完全なる飼育」というか「ポルノの女王 にっぽんSEX旅行」をやってるヒトじゃないかとすら思えるようなことを言われていたが、ロリコンであるに違いない。澤井信一郎相米慎二中原俊といった演出テクニックで勝負される方と違って、大林宣彦金子修介今関あきよしといった方々は明らかに異常な偏愛を感じるが、犬童一心も後者に属する。「二人が喋ってる。」の元トゥナイトや、「金髪の草原」「ジョゼと虎と魚たち」の池脇、「死に花」の星野真里への見せ方を観ていると一線を越えた視線を感じる。これは否定的な意味ではなく、演出技術もないは、ヒロインを輝かせられない監督など最低で、映画は女性が美しく輝いている姿を定着できなければ意味が無い。作品の出来は悪くても「金髪の草原」の池脇がワンピに肩から鞄を提げて、玄関に立って挨拶している姿を観ていれば許せてしまう。「ジョゼと虎と魚たち」での池脇の乳房も大林の作品での不必要な脱ぎ同様、犬童が、ちーちゃんの乳房が見たい!というリビドーの塊であのシーンを支配している。金子修介も公開時から露骨過ぎるので頻繁に指摘されていた「ガメラ3」でも前田愛の描写の件を最近白状しているし、アイドル映画を撮るには、これぐらい被写体への愛情を注がなければ魅力的に撮ることはできない。
 本作の中での長澤まさみは、開巻の3人の部屋で達也の制服を隠す仕草からして可愛い。続くバスで後ろに座る和也と達也を振り返る表情、マネージャーで示す表情等、一つ一つ挙げていってやろうかと言うくらい良い。もうそれだけで満足なのだが、犬童一心はしっかりセックスを配置している。ま、表面上はキスしたり、ふざけていて達也が上に乗るくらいなのだが、そんな高校生がそこまでいって何もしないわけがなく、「タッチ」のサンデー的セックス無臭に犬童一心はマウンドでの達也と南のキャッチボールにセックスを結び付けている。長澤は投げてこられる球をひたすら何球も受けるが、これは正上位で何度も達也が突いていると考えて良く、それが証拠に長澤は受ける度に吐息を漏らす。そして、最後に顔面に球が当たり倒れる。これは射精、或いは顔射と言って良く、倒れた長澤は、果てて荒い息を吐いている。この作品における最高のセックスシーンだった。
 小林信彦はじめ、心あるヒトはアイドル映画としての上出来具合に高い評価をしているが、何故褒めるヒトは年齢に関係なく自分は「タッチ」がどんなハナシか知っているとか言い訳するのだろうか。小林信彦も、態々断っていたし、おすぎも同様。原作ファンからの攻撃を避ける為なのかもしれないが、気にせずアイドル映画としての魅力を評価したら良いと思う。とヒトのこと言いながら自分のことを言えば、これはもうリアルタイム世代だから否応無く、原作、アニメ、劇場アニメと観ているが、ここまで有名なハナシを今更やっても新味はなく、長澤まさみを観る以外は和也早く死ね死ねと思いながら待っていた。
 何故かユンナのカヴァー(アレンジもそう違っているわけでもなし、オリジナルで良かったのではないか)『タッチ』が流れるタイミングも申し分なく、惜しいのは愚鈍と言われようが、長澤の走りと球場のカットバックを、もっと曲バックで長く流して欲しかった。長澤がバスに乗って曲フェードでは盛り上がりかねる。サビの箇所で長澤の走りにカットバックして球場に着くまで曲流しでやってほしかった。この箇所に限らず、この作品は余韻がなくて、2時間に収める為にバサバサ進んでいく。せめて二段ベッドに昇ってキスするシーンや、雨の中をクレーンの俯瞰で見せるシーンなど、もう少し余韻が欲しかった。ロングショットが決まっていないのも残念で、寄りは長澤が可愛いから良いのだが。それでも、35で撮ってる割にはもう少し長澤の表情に、篠田昇ほど極端なことをしなくとも階調が欲しかった。
 そういった点が澤井信一郎なら、相米慎二なら、と思わなくも無かったが、確かに澤井なら絶妙のロングと寄りを使い分け、充実した画面を作りはしただろう。しかし、平然と「タッチ」の世界観をやってしまいそうではある。
 そういう意味で、犬童一心の起用は成功だったと言える。
 ラストのYUKIの「歓びの種」が入る瞬間には充実感でいっぱいな気分になれるアイドル映画の佳作だった。
 そう言えば、犬童一心と日本の喜劇人の関連性は気になる。この年代の監督にしては、ベテランと言うか大御所筋が多く出演している。本作の萩本欽一以前から「二人が喋ってる。」「金魚の一生」の小松政夫、脚本担当作「大阪物語」のミヤコ蝶々、「死に花」の青島幸男谷啓、そして森繁久彌。想像でしかないが、「死に花」の青島の役は当初植木等にオファーが行ったのではないかという気がする。犬童とコンビを組んだ市川準が「会社物語」でクレージーキャッツを起用した以上の拘りを感じる。残念ながら犬童の老人好きをエンターテインメントに昇華させる筈の「死に花」が日本の喜劇人達の扱いも含めて失敗していたが、今ならクレージーの生き残りと小松政夫森繁久彌伊東四朗で老人活劇が作れるのではないかと期待したいが。
 因みに自分は「八日目」という作品が大嫌いで、知的障害の見世物化と無垢な障害者像の押し付けと、散々無茶して車で暴走して一大被害を与えようとも純真で片付けてしまうことに腹が立ったが、今回観ていた劇場の自分の前列に小学生の集団が、後ろに障害者集団が居て、これが互いに地声で喋る喋る。何はともあれ、上映中に喋られるのは嫌だ。