映画 「ルック・オブ・ラブ」

molmot2006-09-16

217)「ルック・オブ・ラブ」 (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★

2005年 日本 映画美学校映画美学校研究科植岡ゼミ作品) パートカラー スタンダード 108分
監督/植岡喜晴     脚本/植岡喜晴     出演/戸田昌宏 葉月蛍 温水洋一 遠山智子 神戸浩 高橋洋 瀬々敬久 今岡信治 柳ユーレイ

 
 予想もつかない面白さに満ちた佳作だった。
 新作8mmなのに、いきなりDVD上映なのは何故か。或いは‥と思った通り、テレシネしてからタイトルクレジット含めてビデオ編集で行っているようだ。こういった方式の作品の場合、ガチガチのフィルム至上主義者の方々は、どーゆー反応をするのだろうか。特に自身の目とHD撮影らしいという情報だけを頼りにビデオだから駄目だの一点張りの方々などはどうリアクションするのか聞いてみたい。コーエン兄弟の作品が35で撮って、テレシネしてからカラコレをして、またフィルムに戻しているのと同じ感じでフィルム作品と呼べるのか、というようなハナシで。最近はフィルムレコーディング技術が上がってきて、見た目で判断できなくなってきて混乱しているのが笑えるが。中途半端な技術批評は恥かくだけだからやめりゃ良いのに。
 
 8mmに関して言えば、自身の学生の頃の経験を振り返っても、先輩からビューワーとスプライサーは譲られたものの、もっぱら部分使用に留まり、照明が面倒だから屋内やナイトシーンでは使用せず、せいぜいデイシーンのイメージカットに使っていたぐらいだった。編集もテレシネしてからPCに取り込んでという使い方をしていたにすぎなかった。それならビデオをエフェクトで汚して8mmっぽく見せれば良いという意見もよくもらったが、本作を観ても改めてやはり8mm独特の映像や質感は、24Pで撮ってフィルムっぽく見えはしてもやはりフィルムには及ばないのと同様、再現不可能なものだと思った。それだけに、今後の8mm作品の可能性を提示している「ルック・オブ・ラブ」は、終焉を迎えようとしているシングル8の象徴的な存在だと思う。

 
 上映前の舞台挨拶で初めて知ったのだが、本作の撮影は5年前に行われたのだと言う。その後、紆余曲折を経て完成したということだが、何故5年も完成までにかかったのか具体的なことは語られなかったが、柴田剛の「おそいひと」にしてもそうだが、中断した商業映画ではなく、半分自主映画みたいな体制なのに撮影が終わりながら編集が終わるまで何故にそう5年とかかかってしまうのか。それもビデオ作品やテレシネしてから編集している作品なのだから、ノンリニア環境が低価格で実現する昨今においては、もう少し具体的に語ってくれないと納得できない。MAスタジオに持って行く金が、とかならまだしも編集だけならHD環境を求めているわけではなし、その気になれば直ぐできたのではないかと思ってしまうがどうなのだろうか。

 
 周辺状況に色々言いたくなるのも、本作が魅力溢れる作品に仕上がっているからで、もっと早く公開しておいてくれれば良かったのにと思えたからだ。
 戸田昌宏が街頭で緑色のパンツと呟き立っている開巻からして引き込まれるが、彼は自室の向かいの部屋を覗いている。向かいの女はカーテンを開け放ったまま裸で室内を歩く。あるいは男を連れ込んでいる。
 という設定は「裏窓」を想起するしかないが、覗かれていると気付いた時の女のリアクションと室内灯を消して暗くなる室内など、そこだけ取り出せばまんまなのだが、ロケでありながら「裏窓」をやるということを、これ見よがしにせずに自然に取り入れてしまっていることには驚くしかなく、それもいかにもヒッチをやるという意気込みを持ってではなく、何とはなしにやってしまっているから鼻につかない。
 葉月蛍、永井正子、温水洋一というコンビが登場してから、作品が俄然予想もつかない方向へ動き始めて、観ていてもう面白くてたまらなかった。殊に温水洋一の存在が大きく、これまたこんなに重要なキャラになるとは思いもしなかったので、次がどうなるか先が読めずに胸踊った。
 葉月蛍にベトナム人不法滞在娼婦を演じさせているのが素晴らしいが、戸田昌宏がピンクチラシを見て電話して彼女が訪ねてからの室内の濃密な空間が凄い。スパイ衛星ランドサットを語るのも良い(しかし、終盤にそんなに関係してくるとは思いもしなかったが)。
 前述した温水洋一が凄いのは、やはりあの植岡喜晴版「誰も知らない」のパートだろうか。車に置いてある食べ物を盗ろうとするガキが居たので捕まえてみると衰弱していて、母親が3万を置いたまま半年間帰ってこずに家では兄弟も衰弱しているという。温水が子供を抱えて家に行ってみると暗いゴミが散乱した部屋で弟が寝ている。妹は死んだので押入れにいれてあるが鼠が‥などと言う。このシークエンスの濃密な描写など「誰も知らない」と拮抗する凄いものだったが、植岡喜晴の凄いのは、温水が食事を与えても子供が食べたと思ったら実に良いタイミングでゲロを吐くのも凄いが驚愕なのは、お礼に酔拳見せるよと兄弟でやり始めるところで、驚いた上で笑った。
 戸田昌宏の方は覗きがバレたことで拳銃を手に乗り込んでいくのだが、ここで唐突に植岡喜晴とは全く無関係なように見えて関西テレビのDRAMADAS繋がりで岩井俊二の名を出したくなるのは、本作を観ていると岩井のテレビ時代の作品2本が思い浮かんだからで、「夏至物語」と「ルナティック・ラヴ」がそれに当たる。夫々向かいの部屋を窓越し覗き込みながら犯罪の新聞切り抜きに余念のない女と、ストーカーの男が家に乗り込んでいくハナシだが、本作と通じる要素を持っているだけに、二人の資質の違いや共通項を思いながら観ていた。
 終盤の車での道行はもう何が起こっても驚かないつもりが、ひたすら驚かされ続けた。しかし、そこには死の迫る人間が一種の崇高さを持って佇む中での道行だけに、観ていて感動的だった。
 葉月蛍がベトナム人までも好演できてしまうことに驚きながら、その夫を瀬々敬久(!)が演じて、インサートされる海岸の家族風景の心地良さや、今岡信治の茫然とした佇まいも魅力だった。そして柳ユーレイは例によって完璧だった。
 観終わって、あのシーンが、あのカットが、と延々と語りたくなる魅力に満ちた作品だ。

 翌日、neonoe坐で「夢で逢いましょう」が上映されたが、自分は以前、中古ビデオで入手していたのでパスしていたが、ビデオ版と劇場版で尺が違うと知り、茫然とする。観ておけば良かった。バージョン違いという言葉を聞けば大いに動揺する系統の人間(保育園の頃、ダンスの練習で「今日のテープはちょっとバージョンが違うのよ」と先生が言えば執拗にどう違うのか聞きに行っていたのが今から思えば人生の誤りだった気がちょっとする)だけに、心中穏やかではない。