映画 「楽日」「迷子」

molmot2006-09-19

218)「楽日」〔不散/Goodbye, Dragon Inn〕 (ユーロスペース) ☆☆☆★★

2003年 台湾 HOMEGREEN FILMS カラー ビスタ 82分
監督/ツァイ・ミンリャン     脚本/ツァイ・ミンリャン     出演/チェン・シャンチー リー・カンション 三田村恭伸 ミャオ・ティエン

 
 ようやく公開されたツァイ・ミンリャンの「楽日」は、「西瓜」と連続公開という運びとなった。
 全く予備知識なく観たのだが、いつも以上にミニマルで濃密な秀作だった。
 それにしても、最初は当然「ニューシネマ・パラダイス」ではないにしても、映画館の窓口を室内側から捉えたショットに「恋人たちは濡れた」を引っくり返したアングルなので、更に劇場内には妙な若い男も居るので、正に「恋人たちは濡れた」系かなと一瞬思ったがそんは筈もなく、場末の映画館という場をリアルなようで夢の様な、暗闇にヒトが疎らに座り、一点を見詰め続ける奇妙な空間として描かれていた。
 観ていて、新世界や浅草東宝を思い出すような薄汚れた場末感漂う劇場で、まあ自分が観客なら我慢ならないぐらい皆ガサガサ五月蝿くて笑ってしまう。
 ハッテンバとしての映画館というと、新世界や新宿国際なんかで経験したことがあるが、兎に角横の通路に立っていて、気付くと隣に座っていて、直ぐ立って行ったりが繰り返されたりするものだが、本作でも三田村恭伸がスーっと近付く様が良い。勿論、アカラサマには描かずに、このヒトがそうなのか、違うのか微妙な雰囲気を出しつつオッサンの横に座り、顔を近づけ、トイレに行き、一人しかいないのにその横で放尿したり、しかしどうも股間をチラ見してる雰囲気だったりと、徐々に描写がエスカレートしていくのが笑ってしまう。殊に、映画館という広く奇妙な空間を彷徨う三田村が、通路で男と擦れ違う際の密接が印象的だった。
 雨の中、劇場の外に座り込んでいる三田村と横の通路を入れ込んだ開巻間もなくのロングから、チェン・シャンチー(全篇に渡るビッコ引きの素晴らしさ)が階段を昇ってくるロングショットでも上手に廊下、下手に階段の斜め構図で二つの要素を画に入れ込む構図が素晴らしいし、そして、唐突にスクリーンの真横のドアが開いてチェン・シャンチーが顔を出す鳥肌の立つような凄いショット(実際に上映中にこんなことされたら激怒するが)、スクリーンの裏面に回ったチェン・シャンチーの顔に落ちるスクリーンの穴の影、上映終了後に掃除をしている姿をロングで延々と捉え続ける、あまりの長さにとても持たない筈のショットが成立してしまう驚きなど、本作を観終わって出て行こうとしたら、姉ちゃん二人連れが『カメラ動かせよ!カット割れ!映画の作り方知らないね、この監督』と言っていたのを、それならアノヒトもコノヒトも映画を知らないと呼ばれるのか、そもそも映画を知っているって何のことだと思ったりしたが、それは兎も角、静かなようで実に騒々しい喧騒が繰り広げられていた映画館がハネて、その中で映写され続けてきたフィルムの中に居たミャオ・ティエンがシー・チェンとロビーで語り合うシーンは忘れ難い。
 そして、あの、たかが饅頭をこれだけスリリングに映画内の重要な小道具として活かし、映画館を息づかせる道具としてまんまと成立させて、人と人との交わりに使ってしまっていることに驚き、感動した。



219)「迷子」〔不見/The Missing〕 (ユーロスペース) ☆☆☆★

2003年 台湾 HOMEGREEN FILMS カラー ビスタ 88分
監督/リー・カンション     脚本/リー・カンション     出演/ルー・イーチン ミャオ・ティエン チャン・チェ

 続けて、ツァイ・ミンリャンが製作を務め、リー・カンションの監督デビュー作となった「迷子」を観た。
 特定の監督の常連俳優が監督作を作るという段になって、その監督並びにスタッフの協力を得て作ってみると、その監督の劣化コピーのような作品になっていることは、三船敏郎の監督作「五十万人の遺産」を例に出すまでもなく往々にしてあることで、本作なども正にその典型ではないかと、やや訝りながら観始めたが、これが似て非なる魅力を持った作品になっていた。
 キアロスタミの作品や西川きよし西川ヘレンの唄う「子供が三人おりますねん」同様、タイトル通りのそのままの内容で、子供が迷子になるだけだが、ツァイ・ミンリャンほどの凝縮性を感じはしないが、いささか俗っぽいとは言え十分魅力的な佳作だった。
 それにしても便所の好きなヒト達で、「楽日」とアングルをひっくり返しただけのサイズもあったし、後日思い出す際にどっちのショットだったか混乱するのではないかと思う。
 祖母を演じるルー・イーチンが凄い。こんなヒトが居るんだなあ、と羨ましくなるくらい素晴らしい。公園のトイレの便座の上にヤンキー座りして下痢に苦しむカットからして壮絶だが、出てきて孫が居ないとなった時の彼女の焦燥ぶりが良い。しかも焦燥したまま88分持たせてしまうのだから並大抵の演技では無理だ。
 初めの公園内をひたすら探すシークエンスでも、カメラは走るバアさんを追って横パンを繰り返す。バアさんの身のこなしが俊敏でフィルムに映える。何度も同じ所を行き来する。そして片っ端から通行人に聞きまくる。それをじっと見詰めていると、バアさんが可哀想なだなと感情移入するのではなく、バアさんの身体の動きに感動する。
 一転して笑えるのが、バアさんが行動力を伴っているからで、道行く見知らぬバイクにひょいと飛び乗り探せと命令する非常識さが始まると、もうその行動には無茶さがつきまとう。勿論これによって、まんまとバアさんをバイクに乗せることに成功し、「河」でも素晴らしかったバイク二人乗りショットが観れるので嬉しくなるわけだが、ダンナの所へ行くというからどこかと思うと共同墓地で、供え物用に北京ダックを買うのに皆並んでようが横入り強奪したりとやりたい放題だ。バイクで送ってくれた奴には墓地前で帰れ帰れと帰してしまうも、バアさんの頭にはそいつから借りたままのメットが乗ったままだしで、もう何にも見えていない。しかし、墓地のロッカーは閉まっているのでバアさんは窓をゴンゴンいわせているが無理で結局外から北京ダックに火をつけて旦那に孫を返してくれと願う。ルー・イーチンの感情の起伏表現の素晴らしさが一連の流れの中で見事に成されており、感動的に観ていた。
 終盤の公園の中の囲いの外と中の素晴らしさなど、見応えのある佳作だった。