映画 「青春☆金属バット」「好色源平絵巻」「秘録おんな蔵」

molmot2006-09-20

221)「青春☆金属バット」 (シネアミューズ) ☆☆☆

2006年 日本 日本出版販売/ビクターエンタテインメント カラー ビスタ 96分
監督/熊切和嘉     脚本/宇治田隆史     出演/竹原ピストル野狐禅) 安藤政信 坂井真紀 上地雄輔 佐藤めぐみ 若松孝二 寺島進

 
 熊切和嘉の作品を初めて観たのは「鬼畜大宴会」で、以降大芸で最初に撮ったという8mm「樹」、「空の穴」「アンテナ」「爛れた家『蔵六の奇病』より」を観ている。「夏の花火編 -あさがお-」「冬の花火編 -妹の手料理-」「アカン刑事」「揮発性の女」は手元にテープなりがあるが未見のままだ。
 よく熊切和嘉を筆頭にした山下敦弘以下に続く大阪芸大一派的なことを言う方がいるが、人物相関図まで事細かに書いてある雑誌があったりして、中には細かく作り過ぎてこのヒトまで入れますかというようなヒトが入っていたりして、恩恵ですなと言いたくなることもあったが、確かに卒業制作を劇場公開させるという流れの筆頭に熊切和嘉が居たのは確かだが、熊切和嘉はPFF準グランプリを経て劇場公開、スカラシップという道を辿ったのであって、それは旧世代の自主映画並びに卒業制作が辿ってきた流れに属する。山下敦弘は、ゆうばりを経ての劇場公開であり、重要なのは、その際に周辺作家達もまとめて公開される機運があったということで、作品単品としては弱かった作家達の作品をセットで売ることが以降の可能性を開いた重要な局面だった。それだけに熊切和嘉と一緒にしてしまうとやや違和感がある。
 又、熊切和嘉はジャンルに奉仕する姿勢が感じられるが、山下敦弘はハナから奇妙な作家として登場してしまった。その差は大きく、99年頭に「どんてん生活」を初めて観た時、熊切さんより山下さんだなと小声で呟きあった記憶があり、更に一斉に出た一派の中から残るのはこの二人だけだと囁きあったが、幸いそれは直ぐに外れであることがわかり、本田隆一・元木隆史両監督がまさかの量産体制に入り、「浪漫ポルノ」の監督として不発扱いだった宇治田隆史が「悲しくなるほど不実な夜空に」(←コレ、大学院卒制展が心斎橋のパラダイスシネマであったのだが、入学希望だったのだろう清純そうな女子高生と母親が観に来ていて、ピクリとも動かず画面を見て固まっていたのを覚えている)が前述のセット売りに入ったことで認知され、「アンテナ」以降の熊切作品を主にした脚本提供の道を歩んでいる。
 熊切作品を個別に言えば、これまで自分が観た範囲では「鬼畜大宴会」がベストで、以降下降線を辿っているように思える。この辺りも80年代自主映画作家に居た商業枠に転じた途端下降線を辿る旧世代的印象を受ける要因になっている。「空の穴」を松田政男が故郷に錦を飾りたかっただけと言ったのは言い過ぎだが、恋愛描写の不得手さが露骨に出ていて、空間把握能力のみ発揮されてはいたが、非常にバランスを欠いた作品だった。それは「アンテナ」も同様で、部分部分にホラー作家としての才を見せ付ける箇所があったものの、作品全体としては水準以下の散漫さに満ちていて、どうしてこうなってしまうのかと思った。それだけに、個人的にも偏愛する「爛れた家『蔵六の奇病』より」を映画化すると聞いた時は喜んだのだが、実際に観てみると酷い愚作で、熊切和嘉なら暴徒と化す村人の描写に才を見せるに違いないと思っていたら、ビデオ撮影で低予算とは言えあんまりな出来なので、落ち込んだ。それでも電球を割るショットなど唐突に発生する小暴力などに才を見せ付ける箇所はあったが。これがショックで、もう「揮発性の女」もパスを決め込んでいたのだが、それでも「鬼畜大宴会」の監督であり、最近はやや薄れ気味にも思えるが空間把握力は凄かったし、突発的な暴力を描かせれば凄いし、ホラー作家としての可能性も未だに感じさせることから、「鬼畜大宴会2」的な壮大なスプラッターをもう一度やってケリをつけるべきではないのか。それから新たなる次のステージが始まるような気がしていた。
 それだけに、次回作が「青春☆金属バット」と聞いた時にどうなるのか、原作を読んでいなかったので、どうにも予想しかねた。
 そして観た本作だが、「鬼畜大宴会」以降では、一番良かった。ただし、やはり例によって散漫な印象があり、作品全体としての魅力には欠ける。部分部分に魅力はあるのだが。
 開巻のグラウンドで素振りしている竹原を捉えたショットが幾つか割られて見せられるが、タイトルが出るまでで既に作品に入り辛さを感じ、かなり不安感を持ったが(何せ若松孝二が牢名主みたいな格好で出てくるからな。因みに、若松自身は野球はかなり得意だったらしく、創造社に森川英太郎がが未だ居た頃、森永乳業粉ミルクのPR映画を森川プロデュース、田村孟監督で撮ることになり*1、作品自体は、田村が長崎原爆なども入れ込んだ作りにしたいと言い出したので企画が通るのかと危惧されたが当時らしく、『そのくらいきつい設定の方がPRとしては狙いめだ』として通ってしまったそうだ。作品完成後、スポンサーから礼がしたいと言われ、『野球道具一式』と言ったところ貰えたので早速試合をということで、TBS演出部(大山勝美高橋一郎が主戦投手とのこと)などと試合を重ねたそうだが、『浦山桐郎若松孝二松田政男といった優秀な選手が助っ人に来てくれた』という記述がある)、以降は退屈せずに観ることができた。
 竹原ピストル演じる気弱そうなボーッとしたコンビニバイトというのが良い。魅力的なのは突発的な暴力で、夜道で酔った坂井真紀が車をボコボコにしてて持ち主の怖っわそーなオッサンに引きずり倒されるという一連をロングで見せきってしまうのが良いし、竹原が金属バットを人間に向け始める際の、一線を越える瞬間を茫洋とした表情から暴力へと動く一瞬をこれ見よがしにせずに、何でもない1カットの中で見せているのが、やはり熊切和嘉の突出した能力を見せていて、「鬼畜大宴会」以来久々にその才が健在であることを示していた。
 ただ、原作を読んでいないので比較はできないが、童貞臭い竹原が坂井を自室へ連れ込む際の逡巡や、女性との関係性の部分は「空の穴」同様不得手に思えた。又、笑いに関しても狙いがうまく画面の中で効果的になっているとは思えない箇所も多く、暴力が伴わない箇所ではその思いを強くした。
 安藤政信という役者は演技は良いし、出ていると聞けば観に行く役者なのだが、持っている雰囲気はどうにも苦手で、本来木村一八系列に居るべきヒトだと思うが、深作欣二が居ればもっと活かしてもらえたような気がするが、現在の日本映画ではそういう種類の作品が少ないせいで活かされていないと思ってしまうが、本作は「キッズ・リターン」以来のハマリ役で、安藤政信が苦手なのは、こういう役な雰囲気が漂うからだと思い当たった。それだけに本作の邪悪な警官役は実に良くて、監督が「キッズ・リターン」が好きだけに正にあのキャラクターの十年後的存在と考えても良い。
 安藤政信寺島進と来れば、どうにも北野武臭がしかねない雰囲気になるのだが、露骨なことはないにしてもコンビニで客に外へ呼び出されるシークエンスの省略や、車の試乗を終えて駐車場にバックで入れる際に坂井が目隠しする際にも、ぶつかったショットは見せず、次のカットでは室内で示談の支払額を相談しているところへ移るところなどに北野っぽさを感じたくらいだ。
 『所沢』という記号の有効性や、凶器としてのバットを魅力的に捉えている点は良かった。
 それだけに全体の散漫な印象が残念で、企画先行の原作アリ作品を手掛けるのが増えるなら、プロのベテラン脚本家による完成度の高い脚本を使用した方が部分部分の魅力に留まっているのが巧く作用するのではないかとも思う。
 次回作は「フリージア」とのことなので、次こそは期待して良いのではないかと思っている。


妄執、異形の人々  (シネマヴェーラ渋谷

 客席に高橋洋氏の姿があり、「好色源平絵巻」をどう観たのかと思う。

221)「好色源平絵巻」 (シネマヴェーラ渋谷) ☆☆☆★

1977年 日本 東映京都 カラー スコープ 62分
監督/深尾道典     脚本/深尾道典     出演/八並映子 菅貫太郎 瀬畑佳代子 唐十郎 星野美恵子 露乃五郎

 長らく観たかった深尾道典の「好色源平絵巻」を遂に観ることができた。ま、結果から言えば作品がというよりも、観たということに価値のある作品ではあるが、嫌いじゃない。小品の佳作だった。
 深尾道典の監督作品は「女医の愛欲日記」と本作のみだが、この時期の東映のポルノ路線の監督起用の流れは興味深い。学生の頃授業を受けていたプロデューサーの本田達男氏はこの枠で「人妻セックス地獄」「痴情ホテル」「処女・若妻・未亡人 貞操強盗」「女高生飼育」などを監督した後、製作側へ回り企画として「暴走パニック 大激突」「徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑」「処女の刺青」「女獄門帖 引き裂かれた尼僧」などに参加しているが、この時期の作品やポルノのについては、そう多くは語ってはくれなかったが、印象に残っているのは、500万などの低予算ポルノとは言え撮影所の資産が活かせるので時代劇では特にそうだが、通常その予算の枠内ではできないことができたというようなことを言っていた。それは本作を観ても同様の思いを抱くことで、これだけセットを建て込み、雨を降らせながら、画面はライティングやスモーク含めて充実しており、手抜き感がない。
 開巻のクレーンの俯瞰から下がり、門の中へ入っていくショット一つとっても撮影所のものだと実感する。
 頭に僅かに登場する唐十郎は目をグリグリさせながら、かなりオーバーにやっていて苦笑するが、この頃は何かと派手にやってた頃なので監督が抑制できないとこんなんになってしまう。しかし、頭の濡れ場で家臣が外に呼びに来た際に交わりながらイク時に合わせて、『直ぐに参るぞ!』と絶叫するのは良かった。
 意外だったのは、かなりしっかりポルノになっていたことで、深尾道典の印象からポルノそっちのけで暴走しているんじゃないかと思っていたが、そこはしっかり押さえてあり、まあだからこそこんな怪作を作れたのかとも思う。実際観ていて、ケッコー興奮した箇所もある。
 殊に菅貫太郎が見もので、もう性豪の限りを尽くす感じで次々にパコパコしている完全なイロキチ。中でも最も凄いのは相手できる女が居なくなったので、このギンギンになったモノをどーしてくれようと家臣の露乃五郎(!)に怒鳴りつけると露乃五郎がケツを貸そうとするが直ぐにそんな趣味はないと一蹴しながら、五郎に手コキさせるという凄まじいシーンとなる。この手コキシーンは、「ラブ&ポップ」の手塚とおる三輪明日美に手コキさせるシーン共々映画史に残る忘れ難い手コキで、カメラは真下からあおりで二人の顔の表情を捉える。上手側に露乃五郎で下手に菅貫太郎という配置で、五郎が嬉し恥ずかしな表情で手を動かし続け、菅貫太郎の憮然としつつ快楽に沈殿していく微妙な表情と共に、射精するわけだが、これがまた凄い。天井に大量の液体がジャージャー飛び散り、落ちてきた精液で露乃五郎の顔がまみれるという、間接顔射描写は正に上方落語界衝撃のカットと言える。これは是非桂ざこばに見せてやって、ヨゴレの露乃五郎と罵倒してもらいたいものだが、この過剰さが素晴らしい。
 物語は保元・平治の乱源義朝平清盛が戦い、平家が源氏を破り義朝は落ち延びることになる。しかし、直ぐに捕らわれ清盛の前に生首として現れる。常盤と三人の子供達は落ち延びるべく山中を進むが親類縁者にもそっぽを向かれる。断崖から子供を連れて身を投げようとするところを僧侶に助けられ、一転生き延びる為に清盛の前に出向くことになる。常盤への執着が激しい清盛は、殺すつもりだった三人の子供も常盤との関係を深めるにつれ命を助けてしまう。 というもので、終盤は牛若丸と源九郎義経が京に来る報せが入るところで終わる。
 絵巻と題しているだけに、横移動などを主とした悠々たる作りで、この枠組みでどの程度できるのかと思いつつ観ていたら意外と成立してしまっていることに驚くが、終盤は流石に字幕処理で済ましていたものの、よく1時間程の枠でやったものだと思う。
 印象的なのは、雨の中、庭に常盤が蹲るシークエンスで、雨の降らせ方やその姿を俯瞰気味に捉えたショットがちゃんと入るところが良かった。もう一つ、常盤を裏切りとして殺すべく侵入した義朝の家臣が自身の不明に恥じて火鉢に顔を突っこんで顔を爛れさせる唐突さには驚かされたが、これは偶然だろうが本作と同年公開の市川崑の「悪魔の手毬唄」でも回想シーンで火鉢に顔を突っ込み誰だかわからなくする殺人シーンで同様の行為が行われていた。
 作品自体は、傑作でも何でもない珍品の一種だし、演出が巧みになされているというわけでもないが、ポルノという前提をしっかり守りながら、やりたいことを奇形感は醸しつつ作り出す深尾道典はやはり魅力的で、ポルノ時代劇の中でも忘れ難い作品だった。
 
 

222)「秘録おんな蔵」 (シネマヴェーラ渋谷) ☆☆☆★★★

1968年 日本 大映京都 モノクロ スコープ 74分
監督/森一生     脚本/浅井昭三郎     出演/安田道代 田村正和 長谷川待子 三木本賀代 浜田ゆう子 菅井一郎 江守徹 小松方正

 すっかり観ていると思い込んでいたので再見だと思っていたら始まってみると観てなかったことに気付く。素晴らしい傑作だった。
 娼婦・遊女モノは好きだが、その中でも上位に入る作品だった。
 そうそう目新しいハナシでもなく、おんな蔵の中の拷問を除けば至って遊女モノのフォーマットに則った作品だが、何せ演出がブレないし、大映京都だから照明も凄いし武田千吉郎の撮影も凄いしで、画面にただひたすら見入っていたら僅か70分少々の作品なのに濃密な描写に満ちているので短く感じない。
 確かにハウツー映画の要素はあるが、「あげまん」みたいな下品なものにはならなくて、ハウツー要素も入れつつ映画でしかないものになっている。
 安田道代が実に良くて、徐々にその世界に染まっていく様子が良い。殊に“踏み合い”で逃げた男を捕まえ髷を切り落とすところなど、この世界に生きる女であることをありありと示している。
 田村正和は、この時期の現代劇よりは遥かに安定した演技をしており、森一生だけに巧く行っているのか。
 個人的には小松方正が数多く出演している作品中でもベスト級の演技で脇を固めていて、出てくる度に喜んでいた。
 何度でも観返したい傑作だった。

*1:田村孟人とシナリオ』シナリオ作家協会