映画 『虹の女神 Rainbow Song』『人生の幻影』

molmot2006-10-21

249)『虹の女神 Rainbow Song』  (サイエンスホール) ☆☆★★★

2006年 日本 「虹の女神」製作委員会 カラー ビスタ 117分
監督/熊澤尚人   脚本/桜井亜美 斎藤美如 網野酸(岩井俊二)    出演/市原隼人 上野樹里 蒼井優 鈴木亜美

 
 今年は映画を撮ってる学生を描く作品が何故か多い。自分が観た順に言えば、観たのは昨年末だが公開は今年の『カミュなんて知らない』、学生かどうかは兎も角自主映画のドロドロした世界を描いた『子宮で映画を撮る女』(原題『道』。DVD『不詳の人』に収録)、『虹の女神 Rainbow Song』ということになる。そのうちハチクロみたいにアニメか、連ドラで映画学校のハナシとかやりそうな勢いである。まあ、近年凄い勢いで、それも一般大学に新設される映像系学科の増加を考えても興味深いことではある。
 
 『虹の女神 Rainbow Song』の話題は岩井俊二プロデュースという一点で、脚本にも変名で参加している。
 岩井俊二に関しては、『花とアリス』を観てしまった現在のところは、嘗て才能を感じさせた監督という思いが強い。本作プロデュースに当たって、日本映画への危機感を感じてプロデュース業に当たったというようなことを言っていたが、危機感を感じたなら、岩井俊二のやるべきは商業枠で質の高い監督作品を量産すべきで、結局脚本まで作りながら潰れた『あずみ』や『本陣殺人事件』、または企画段階で潰れた『火の鳥』みたいに、原作ありやリメイクであっても、アレンジ能力を発揮することで、傑作にならずとも佳作レベルの作品が作れたのではないかと、『リリイ・シュシュのすべて』にまで到達した監督は次は新たなステージに立って何でも撮れる監督になった筈なのに、悪くないし佳作だとは思うものの安息の地に戻ってしまった『花とアリス』程度の佳作を出してくるなら、そう思ってしまう。
 今後も十年単位でプロデュース業を行うと宣言している岩井俊二だが、『虹の女神 Rainbow Song』を観る限りにおいては不安を感じさせる。
 結局は岩井俊二劣化コピーみたいな作品だと思った。一応岩井自身が脚本に参加したり、クレジットされていないが編集にも参加している(1カットの中で間の動きを細かく抜いていくのは岩井の昔からの特性的編集である)と思われるだけに、一時期増えた岩井もどきな安直な物真似ではなく、表面上のコーティングは本人がやっているので観れるようにはなっているが、その分より岩井もどきでしかない空疎さを感じた。まるで、監督名は内藤忠司でありながら、大林宣彦が総監督・脚本・編集に参加することで、大林色が強過ぎる大林作品としか言い様のない作品に仕上がった『マヌケ先生』のようだと思った。岩井もどきをやるのは行定勲一人で十分で、それ以下の監督では余りにも強い岩井色に飲み込まれ過ぎている。

 
 物語は、製作会社で何かと怒られることの多いADの岸田がニュースで、あおいが航空機事故で死んだことを知るところから始まる。
 以下回想される大学生時代のエピソードとして、あおいのバイト先の同僚相手にストーカー行為を繰り返す岸田との出会いから、それをきっかけに、あおいが映研で撮る自主映画に岸田を主演に据える。映画制作は、途中で主演女優が監督であるあおいとトラブルとなり降板し、あおい監督主演で再撮影されて完成する。やがて、就職の時期となり、あおいは制作会社に入り能力を発揮し始めるが、岸田はフリーターのまま日々を過ごしている。あおいはアメリカへの留学を決め、会社を辞めることにし、後任に岸田を入れる。岸田は日々の仕事に振り回されつつ、取材で知り合った女性に騙されるような形で同棲を始めるが‥。

 
 というようなもので、作品自体は『花とアリス』と非常に近い世界観を持って描かれている。撮影は、『花とアリス』で篠田昇撮影監督の下で撮影を担当していた角田真一というヒトが担当しているのだが、篠田と同じくハンディとミニジブ、クレーンを多用し、ルックも殆ど変わらない。これで、篠田昇亡き後の岩井作品の撮影後継者問題は、角田真一によって継承されると考えて間違いないだろう。但し、現在のところは篠田もどきという印象を持ってしまうのも確かで、これを機に新たな映像を見つけ出すことを期待していた身としては、それで良いのかという思いもあるが。
 作品内のディテイルも、“ストーカー”という要素は、『花とアリス』の“記憶喪失”という記号同様の寓話の中の記号としての意味を持ち、“自主映画”は“バレエ”と置き換えることが可能で、相田翔子の扱いなど同じといって良い。“神社での祭り”も同様のシーンがあったわけだし。又、「死」をめぐって生者から死者を回想を交えて描くのは、『LOVE LETTER』を想起させ、祭りのシーンでの金魚すくいは、『打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか』での同様のシーンを容易に想起させ、帰りのバスの最後列に並んで座るのも、奥菜恵山崎裕太の駆け落ちシーンと同様である。
 こういったシーンをあげつらって批判しようとは思わないが、岩井映画内映画としての比率が高いのは確かで、かつて観た光景の繰り返しが、より岩井映画もどきなものでしかないという印象を強めている。

 映画を撮る若者を主体に描いているといっても冒頭に書いたニ作品程劇中劇で描かれる内容は重要ではなく、世界が終わる最後の七日間が云々という、いかにもという程度のもの。むしろ、監督が女優を気に入らず、結果的に自身が監督主演を兼ねるところなんぞ、『子宮で映画を撮る女』を彷彿とさせ、面白くなるのではないかと思ったが、桜井亜美岩井俊二もそんなところには興味はないらしく、サラリと流されてしまった。本当は自主映画の内幕で一番面白い女性監督と現場の対立且つ、自身で全てをやってしまう、世にもおぞましいエゴのむき出しな世界が垣間見れる瞬間だったのに。だから『子宮で映画を撮る女』は素晴らしい秀作なのである。
 ただ、『カミュなんて知らない』に比べれば、本作の方が糞生意気な屁理屈をこねたりしないで、純粋な映画ごっこを楽しんでいる様を描いているので態々悪く言おうとは思わないが。上野樹里コダックの方が色が良いと、コダック娘として今時珍しく8mmに拘っているのも悪くないし。ただ愛機がZC1000なのでコダック使えないという疑問は、終盤の現在からの描写でスーパー8からシングル8へのフィルムの入れ替え技を語る箇所で明かされるようになっているが、この8mmのパートは、モロに岩井自身の経験がベースになっていて、出してくるのが面倒だから記憶で書くから号数が一つぐらいズレてるかも知れないが、『キネマ旬報 1995年8月下旬号』と『キネマ旬報 1995年9月上旬号』に掲載された岩井と樋口尚文の対談や、庵野秀明との対談本『マジック・ランチャー』で語られていることが、そのまま本編中で応用されている。
 8mm撮影で音を別撮りし、編集もスプライサーとビューワーを使いながらやっていて、上映も8mmというのは珍しく、ZC1000への拘りも好ましく笑っていれば良いが、多分に岩井が自身を投影し過ぎているせいもあって今時あんまりいない娘だよなとは思うが、それはもう寓話性の強い作品なので気にはならない。唯一終盤にこの8mmが長々と上映されるのだが、『東京戦争戦後秘話』の劇中で上映されるフィルムのように、死者が観た風景としての興味や、『カミュなんて知らない』のように、撮影現場と撮影している素材が一瞬融合してしまうような瞬間を見せるなら、多少長々と劇中で撮影したものを見せられても良いと思うが、本作ではその思いは、表層的なものに過ぎず、長々観るに値しないものだけに退屈させたれた。 それに、ちょっと腹が立ったのは、その8mmのタイトルが出る際にOLしている映像にwって手前から奥へ文字がモーションする形になっているのだが、フィルムを戻して多重露光させ、タイトルをコマ撮りでアニメーションさせてやれないことはないにしても、いかにもノンリニア的な乗せ方なので、よろしくない。
 と、言いつつもシングル8フィルムの生産終了の報が出ている最中にこういう作品が出てくるのは誠にケッコーなハナシで、「存続させる会」など様々な活動への後押しになればと思う。シングル8を「駆逐されるべき技術」とまで言い切った単にビデオテープからDVDへの移行と同じ程度のただの記録媒体としか考えていないと思われるような奴をノサバラセナイ為にも。

 10月28日(土)より公開。




ダニエル・シュミット監督追悼の夕べ  En memoire de Daniel Schmid, cineaste (1941-2006)


ダニエル・シュミット監督追悼の夕べ  En memoire de Daniel Schmid, cineaste (1941-2006)

日時:2006年10月21日(土)17:00〜
会場:アテネ・フランセ文化センター(御茶ノ水

17:00〜回顧上映プロジェクト発表
アテネ・フランセ文化センター
ユーロスペース
東京フィルメックス

17:15〜追悼講演
ダニエル・シュミットは死なないー追悼を超えて」 
蓮實重彦映画批評家

18:15〜上映 Projection
『人生の幻影』1984(53分)ダニエル・シュミット監督作品

参加費:1000円(当日先着順)


http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2006_10/DanielShmid.html


 上映終了後、蓮實重彦氏による講演で上映された作品のリストが配布された。その前文に書かれた言葉は、『flowerwild』に掲載されている『追悼文 ダニエル・シュミットはいま、どこでもない場所にそっと姿を隠している』と同じものであるので、そちらを参照。
http://flowerwild.net/2006/08/post.php

   従って上映作品リストのみ書き写しておく。


迷路 贋の死
アメリカの友人』Der amerikanische Freund(1977) ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders

舞踊 振り付け
『ヘカテ』Hecate(1982)

横たわること
『今宵かぎりは......』Heute Nacht order nice(1972)

オペラ 死と蘇生
ラ・パロマLa Paloma(1947)

細部においては 楽天的に
『われら女性』Siamo donne(1951) アンナ・マニアーニ篇 ルキノ・ヴィスコンティ Luchino visconti


書誌
Die Erfindung vom Paradies_Ein Spaktakel in funf Akten,1983,Beobachter Verlag,Glattbrugg
Daniel Schmid,A Smuggler's Kife,1999,Edition Dino Simonett,Zurich



250)『人生の幻影』〔MIRAGE DE LA VIE〕  (アテネ・フランセ文化センター) ☆☆☆★★★
1984年 スイス カラー スタンダード 53分
監督/ダニエル・シュミット    出演/ダグラス・サーク