イベント 「蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.17『日本の幽霊』―「見えるもの」と「見えないもの」―」
「蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.17『日本の幽霊』―「見えるもの」と「見えないもの」―」(青山ブックセンター本店カルチャーサロン)
日本映画 vol.17 CGi以前、以降
『日本の幽霊』
―「見えるもの」と「見えないもの」―ABC
2007/03/31
存在―見えるもの―を被写体として、それを、二次元的空間に、動きとともに再現する技術として人類の資産となった映画は、その誕生いらい、非在―見えないもの、ありえないもの―をどう表象するかにも憑かれていたといってよい。無声映画時代から、さまざまなトリック撮影(フィルムの逆回転、etc.)が、想像、幻想、変容などを描くにふさわしい技法として、たんなる現実の再現とは異なる映画の魔術的な機能を繊細化してきたのである。だが、幽霊(や怪物)は、その魔術的な機能の変遷としてのみ考察さるべき主題ではない。1980年以降、CGをはじめとするテクノロジーの進歩は、見えるものと見えないものの表象をめぐって、映画に本質的な変化をもたらしたのか、もたらさなかったのか。『キャット・ピープル』の二つのヴァージョンを例としてそれを検証しつつ、見えないものの映画性に改めてアプローチしてみたい。
Ⅰ-1 ジャック・ターナー Jacques Tourneur『キャット・ピープル』Cat People(1942)
Ⅰ-2 ポール・シュレイダー Paul Shrader『キャット・ピープル』Cat People(1982)
Ⅰ-3 ジャック・ターナー『私はソンビと歩いた!』I Walked with a Zombie (1943)
Ⅰ-4 三隅研次『四谷怪談』(1959)
モノクロームⅡ-1 成瀬巳喜男『歌行燈』(1943)
Ⅱ-2 木下恵介『四谷怪談・前後篇』(1949)
Ⅱ-3 溝口健二『雨月物語』(1954)
Ⅱ-4 黒澤明『蜘蛛巣城』(1957)
キツネ憑きⅢ-1 内田吐夢『恋や恋なすな恋』(1962)
Ⅲ-2 黒澤明『夢』(1990)
Ⅲ-3 深作欣二『忠臣蔵外伝・四谷怪談』(1994)
Ⅲ-4 鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(1980)
手Ⅳ-1 中川信夫『東海道四谷怪談』(1959)
Ⅳ-2 加藤泰『怪談・お岩の亡霊』(1961)
Ⅳ-3 森一生『四谷怪談・お岩の亡霊』(1969)
Ⅳ-2 大島渚『愛の亡霊』(1978)
「幽霊のスペシアリスト」中川信夫