『女教師 私生活』『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』

性と愛のフーガ 田中登の世界

 本当は、全部観たいという思いだったが、とりあえず観る機会の少ないモノと、フィルムで観たいモノを優先してと思っていたが、何より観なければならないTV作品の『白い悪魔が忍びよる』と『横溝正史の鬼火』を見逃したのは痛恨の極みで、つくづくラピュタでレア作品を観る運に見放されていると思う。

64)『女教師 私生活』 (ラピュタ阿佐ヶ谷) ☆☆☆★★

1973年 日本 日活 カラー スコープ 73分
監督/田中登     脚本/阿部真理    出演/市川亜矢子 梢ひとみ 風間杜夫 鶴岡修 島村謙次
女教師 私生活 [VHS]
(終盤まで触れています)
 DVDの発売予定はなく、ビデオでしか観れないので観ることにしたが、やはり魅力的な佳作だった。
 開巻の地下鉄に乗る市川亜矢子から、風間杜夫を囲う自室へとカットが進み、ベッドでの二人を経て、やがては朝がやって来、二人は朝食を摂る。この一連の何と言うことはない筈の日常描写を観ているだけで涙腺が緩んだ。殊に室内、つまりはセットに入ってからの濃密さには嘆息した。更に田中登の朝、と言ってしまいたいくらい、ここでの朝の室内を観るだけで、田中登の非凡さを感じずにはいられない。ただ、そこに展開される画面の濃密さ、凄さを言葉に置き換えることができないのが、もどかしい。
 ちなみに、ベットで股間にドライヤーを当てるというカットで『かえるのうた』を思い出したが、この描写を最初にやった映画というのは何になるのだろうか。
 本作には様々なオブジェが登場する。室内では、風船を次々に膨らませては天井に浮かべる。そしてそれを風間は鉄砲で撃ち落す。又、シーツの血や、赤い風船を持った女児に二人の行為を見られてしまい、そこに桜が大量に舞い散る等、他の監督が不用意にやれば絶対成立しないか失笑でしかないような、オブジェへの仮託が露骨に見受けられるが、それがギリギリ成立してしまっているのが凄い。個人的には嫌いじゃないけど、やらんとする意図が見え透いてしまって、またそういったキワキワのことが出来てしまう監督だと判っているだけに、それを観て喜ぶところまではいかなかった。
 ラストの渋谷駅前で屈みこむ市川と鳩でストップモーションにするのは、とても好きだったが。 
 戸田恵子に似た市川亜矢子の熟女っぷりにすっかりやられた。この時何歳だったんだろ?風間杜夫の、演技だけではなく、現状自体に対して拗ねていることがアリアリと分かるあの拗ね方も凄い。


65)『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』 (ラピュタ阿佐ヶ谷) ☆☆☆★

1976年 日本 東映東京 カラー スコープ 85分
監督/田中登     脚本/高田純    出演/安藤昇 石橋蓮司 小松方正 中島葵 ひろみ麻耶 小池朝雄 絵沢萠子
わが逃亡とSEXの記録 [VHS]
(終盤まで触れています)
 こちらも同じくビデオでは出ているが、DVD化の予定がないので
 『神戸国際ギャング』の東映京都に続いて、本作では東映東京撮影所に招かれての仕事で、東映京都と東映東京の関係というのは、分かりやすく考えれば、イマジカと、イマジカウエストのリアルな関係みたいなものかと思わなくもないが、それは兎も角、安藤昇自らが自身の横井英樹襲撃事件での潜伏期間中の様子を演じるというもの。
 田中登がやるからには、性をどう描くかで作品の成否が決まってくる筈だが、そういう意味で言えば、この作品は、終盤までは性の不徹底さによる欠点が目立っていた。それは、大島渚の『悦楽』と同様の欠点と言って差し支えなく、性以外の余計な狭雑物が入り込むことで、いくらロマンポルノ女優を大量に使ったからと言っても、一般映画の枠組みでやっている以上は致し方ないことで、大島は『悦楽』の反省から、性以外の要素を一切取り除いた『愛のコリーダ』を撮ったが、『実録阿部定』を撮り終わった後に本作を撮ることになった田中登の場合、心境はどんなものだったのだろう。
 開巻間もなくの、外に雨が降っている中、一室での絵沢萠子とのやり取りなど、やはり素晴らしいとしか言いようがないし、中島葵が出てくるだけで映画が膨らむのだが、そう悪くない筈の石橋蓮司小池朝雄とのカラミが盛り上がらないのは何故か。
 この作品が突如として輝きだすのは、終映数分前のことだ。プールサイドで行きずりの女を捕まえていたしているところへ、警察がやって来るが、安藤は「最後マデやらせろ」と呟く。引き離されてパトカーで護送される中、安藤は自身のモノを出し、しーこしーこし始め、挙句の果てには発射してフロントガラスに白濁液が飛翔する。
 これこそ、性の徹底であり、スケベの極みと言われ様が、不真面目と言われようが、男と女にはアレしかないのだということを孤独に見せるには、こうするしかないのだと思わずにはいられない。