『パッション』『クィーン』

molmot2007-06-10

ドイツ映画祭2007
149)「パッション」〔Madame Dubarry〕(有楽町朝日ホール) ☆☆☆★★

1919年 ドイツ モノクロ スタンダード 113分
監督/エルンスト・ルビッチ    脚本/ハンス・クレリー フレッド・オルビング    出演/ポーラ・ネグリ エミール・ヤニングス ハリー・リートケ エドゥアルト・フォン・ヴィンターシュタイン

 昨年のドイツ映画祭では、ルビッチの『陽気な監獄』『牡蠣の王女』『男だったら』『山猫リシュカ』が上映され、至福のひと時を過ごす事が出来た。
 ただ、何度か書いているように、朝日主催のイベントでは、確かに生演奏の贅沢さはあるにしても、前売り二千円という高額に思うところがないではなかった。
 一方で、アテネ・フランセも毎年のようにルビッチを安価で上映してくれている。一昨年から今年にかけてだと、自分は『牡蠣の王女』『パッション』『寵姫ズムルン』『デセプション』『山の王者(エターナル・ラブ)』『陽気な巴里っ子』などを観ている。
 昨年の『牡蠣の王女』、今年の『パッション』は、アテネドイツ映画祭、夫々で観ている。料金は五百円と二千円の違いがある。同じ映画でありながら、この違いは何だろうと思うこともある。
 もっとも、プリントの状態は今回の方が遥かに良く、上映時間もアテネで観た版は確か90分だった筈で、今回は113分ある。
 それにしても、『マリー・アントワネット』とかいう、つまらない映画が現代において作られる必然など全く無いと、本作を再見して改めて思う。
 本作はデュ・バリー夫人を主人公に描いているので、マリー・アントワネットより少し先立つ時期ではあるが、宮殿内での絢爛な生活ぶりなどは、やはりルビッチに尽きる。大体、マリー・アントワネットが何度も映画化されることからして理解できず、あんなものはサイレント映画でやるのが一番ではないのか。
(続く)
 
 

150)「クィーン」〔THE QUEEN〕(シネリーブル池袋) ☆☆☆★

2006年 イギリス/フランス/イタリア カラー ビスタ 104分
監督/スティーヴン・フリアーズ     脚本/ピーター・モーガン     出演/ヘレン・ミレン マイケル・シーン ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ アレックス・ジェニングス

 フランスに続いては、イギリス王室のハナシを観ることに。
 ソツなく纏まった小品としては悪いとは思わなかった。 荘重になり過ぎたり、妙な軽味を持たせようとする余りに安っぽくなりがちな、権力者や、やんごとなきお方を描く作品としては、『太陽』ほどの面白さはないとは言え、『ヒトラー 最期の12日間』のような凡庸さも無く、作品が現実に押し潰されない程度の強さを持って成立しているバランスには感心した。
 開巻のエリザベス女王肖像画家と選挙権の有無を話すやり取りなど、如何にもという分かり易過ぎる描写に、いきなりウンザリさせられ、まさかこれから二時間近く表層的なステレオタイプの描写に終始するのではあるまいなという不安に駆られたが、それは開巻だけで、以降はダイアナの死去後1週間の時間の流れの中での、彼女の淡々としているように見えつつも、世間と隔絶された場であるバルモラル城での生活の中で聞こえてくる大衆の声(但し、それは新聞、テレビの街頭インタビュー、ブレアが調査させたという結果といった副次的情報である)に、英国のグランドマザーとして対峙する様が描かれる。
 ヘレン・ミレンに尽きる作品で、彼女の一挙手一投足がこの映画の全てで、彼女の演技でこの作品が成立しているのは当然とは言え、やはり大したものだと思った。
 スティーヴン・フリアーズは、彼女を伝統ある英国王室の云々といった格式ばった演出の下には置いていない。途中だけを見れば、田舎の裕福な婆ちゃんがジープを運転しながら鹿狩りに行ったりしている映画に見える。古風な英国の老母としてのエリザベス女王という描写はとても面白かった。『ヴェラ・ドレイク』にも通じるが、身分は違えども、しっかり者の母という存在を見せるのが巧い。ブレアといった現在進行形で存在する人物を出してくることでの束縛もある筈だが、ブレアが大いなる母としてのエリザベスにこれ見よがしにならない程度に引き込まれていく見せ方なども良かった。
 ダイアナの死という、どうしてもソチラ方面へのスキャンダラスな話題に作者側も引っ張られがちになってもおかしくない題材でありながらそうはならず、エリザベス女王の視点を崩さなかったのは、演出が、ヘレン・ミレンの好演を受けてより踏ん張れた結果だと思う。
 但し、象徴的に使われる鹿が巧く機能していたとは思えず、ダイアナという俗っぽい存在があることで鹿の記号性が有効に作用できていないように思われる。ここまで来れば、ダイアナという存在は無くして、女王の数日間という題材で見たいとさえ思った。
 又、映像で言えば、空港でダイアナの棺が降ろされ、護衛官たちが運ぶショットのサイズが中途半端なサイズなのが不満で、ここは飛行機も入れ込んでドンと引いた画が欲しかったとかあるのだが、それ以上に、35mm、16mm、ビデオの併用が巧く効果を上げれているとは思えなかった。王室は35、ブレアは16、ダイアナ関係はビデオ素材の流用という分け方がしてあるが、葬儀など大衆の前に現れる女王はビデオで態々撮影されている。こういった撮影フォーマットを絵筆的に使い分けるのは大変好きなのだが、本作を観るとそれが効果的に使われているとは思えず、些か失望した。
 世間で言われるほどの傑作とも佳作とも思わないが、ヘレン・ミレンを観る104分と言うべきか。