『愛欲の罠』

大和屋竺から始まった
179)『愛欲の罠』[原題:朝日のようにさわやかに 桃色の狼] (一角座) ☆☆☆★★

1973年 日本 天象儀館 カラー スコープ 73分
監督/大和屋竺    脚本/田中陽造    出演/荒戸源次郎 安田のぞみ 中川梨絵 絵沢萠子 山谷初男


 長らく場としての機能を休止させていた若松プロが今年は一気に動き出し、既に第一弾として足立正生の『幽閉者』が公開を終え、その間にクランクインしていた第二弾にして大作となる若松孝二の監督作『実録・連合赤軍』も撮影・編集を終えて先頃完成披露試写を行い、来年の公開を予定している。一方で第三弾となる沖島勲も新作を完成させ、今秋の公開が予定されている中、更に大和屋竺までも新作を撮った。などと言いたくなるくらい、本当は各制作母体もまるで違うのだが、往年の若松プロの面々の新作や長らく幻になっていた作品が発掘上映されるのがこうまで続けざまに重なると、リアルタイムでは経験しえなかった自分などは、あまりのことに茫然とならざるをえない。ハナシが巧く行き過ぎているからだ。
 一角座に行くのは『ゲルマニウムの夜』を観に行って以来で、30分前に着いたが、いくら日曜19時からの最終回とは言え、何せ相手は『愛欲の罠』だから、大変な混雑なのではないかと思い、隅の席でも良いから兎に角観れれば良いという気持ちで劇場に入ると誰一人おらず、その時間に来ていたのは自分だけだった。皆さん大和屋竺に興味がないのだろうかと思ったが、やはりトークショーの日に集中しているのだろうか。
 まあ、あのトークショーの人選が、仕方ないとは言え多分に荒戸源次郎寄りで、高橋洋塩田明彦や井川耕一郎や、中川梨絵絵沢萠子を招いたトークショーもやって欲しかったという思いもあるのだが。それでも、秋山道男×小水一男、麿赤兒×大森立嗣、浦沢義雄×大和屋暁といった組み合わせでトークショーをやってくれるのは、一角座ならではだと思うが。
 やがて上映時間が迫る頃には15人ほどの観客と共に観ることになったが、あの幻の『愛欲の罠』を、アテネ・フランセシネマアートン下北沢とは比較にならない(名前を出したのは嘗て大和屋作品を上映した劇場だから)大きなスクリーンで、シネマスコープの作品を存分に味わえる広さで観れる贅沢さを思うと、ド真ん中で観ていて良いのかとすら思う。
 大和屋竺は好きだが、若松や足立同様、存在としてのユニークさは大変好きだが、個別の作品をも何でも絶賛する趣味は持ち合わせておらず、いくら『愛欲の罠』とは言え、過大な期待はせずにスクリーンに接した。
 観終わると、映画だったなと満ち足りた気持ちで劇場を後にした。こういう作品が初公開以来現在まで34年間再上映されなかった(80年代末に亀有名画座で上映されたとの情報アリ)ことは大きな損失だと思う。際立った傑作だとか『裏切りの季節』や『荒野のダッチワイフ』を超える傑作というつもりもない。しかし、面白い。無茶苦茶面白い。紛れも無い初めて観る大和屋竺の殺し屋映画の佳作だった。
 まづは、全篇オールカラーの大和屋監督作品を観るのはこれが初めてで、『裏切りの季節』『荒野のダッチワイフ』はモノクロ、『毛の生えた拳銃』がパートカラーだったことを思うと、全篇カラーの場合、 大和屋は色彩とどう向き合うのかという興味があった。『愛欲の罠』の脚本と解説が収録された『大和屋竺ダイナマイト傑作選 荒野のダッチワイフ』と『映画評論 1974年1月号』、劇場で配布していた荒戸源次郎のインタビューを収録したチラシなどを基に記しておくと、荒戸源次郎率いる天象儀館製作、日活配給の買取用ロマンポルノとして制作された作品で、本作の撮影を担当したスチールカメラマンの朝倉俊博の起用は大和屋の希望とのことである。荒戸は、<大和屋さんはピンク映画とかロマンポルノをやりたかったわけじゃないと思うよ。他に機会がない時代だったんだ。>と語る。
 脚本は、当初は当然、大和屋が担当する予定だったようだが書くことができず、田中陽造が執筆している。大和屋と田中陽造の近しさは単に近い存在としてしか考えたことがなかったが、本作を観ると、大和屋と田中陽造の資質の違いが大きく作品に表れている。この脚本自体は、予定されていた『続・殺しの烙印』のプロットからの流用が多いらしく、公開時には『愛欲の罠』は6年ぶりの『殺しの烙印』の続編であるという見方もあったようだ。
 開巻のタイトルバックに、ビルの上のクレーンの影を効果的に用いたレイアウトに既に魅せられる。続く本編が始まると、そのニュープリントの発色の良さに驚きつつ、音が随分ヨレていたり歪んでいるので聞き取り難い箇所が多く、ソフト化の際にどれほど改善されるだろうか。
 主人公の殺し屋・星を決して演技が良いとは言い難い荒戸源次郎が演じている異物感も凄いが、この作品は、観ていくにつれて、荒戸源次郎の映画ではなく、絵沢萠子の映画であることがわかる。これは代表作と言って良いのではないだろうか。自分が観た僅かな絵沢萠子出演作の中でもベストの演技と言って良いし、元々今に至るまで好きな女優だったとは言え、絵沢萠子ってこんなに魅力的だったのかと呆気に取られてしまうほどで、中川梨絵の怪演や、後半の安田のぞみも良いのだが、絵沢萠子に萌える。
 星が住む団地の一室に共に住む絵沢との台所での食卓を囲むシーンで、星が立つ瞬間でカットされ、ベットに絵沢を押し倒すショットへと繋ぐのを目にして、『裏切りの季節』の大胆なモンタージュを更に先鋭化している感を抱かせる。又、同じく団地の一室でやたらと不穏な音が大きく入ってきて観ていて恐ろしい気分になっていると、切り返した先には絵沢がミシンを踏んでいるというあたりも良い。
 羽田空港に居並ぶ黒眼鏡の男たちの集団のおかしさだとか、そこに「ダーリン、ダーリン」とだけ連呼して登場する情婦の中川梨絵の怪演ぶりに瞠目させられる。ちなみにこの男たちの中に若松孝二が居たように思い、又、車を停めている場所で一瞬登場する男は、『(秘)色情めす市場』で精薄の弟を演じた夢村四郎ではないかと思う。
 星が絵沢を殺すことになり、道を歩く絵沢が撃たれて倒れるロングの呆気なさと、どこからともなく飛んでくる大和屋作品における魔法の銃弾に興奮させられた。
 そして、殺された筈の絵沢がゴルフ練習場に座っているのを、スコープで見つけた時の恐ろしさと絵沢萠子の表情の良さなど、魅力的な箇所は無数に溢れている。
 個人的には、後半の売春宿に星が入り浸って夢子と部屋に篭って関係を続けていくシーンがとても好きで、この辺りは露骨に田中陽造の色が強い。『実録・阿部定』を先取ったような密室劇へと転換するが、バックで挿入しながら女の背中に食事の皿を載せて食べながらやってるという画など凄い。
 終盤の玩具の拳銃での互いの眼球を潰していく熾烈な決闘を経てボスの元へ向かう。そこは映画館だ。ここから、映画史に残る衝撃のラストシーンへと展開していく。この作品がいつか観れるまで脚本は読まないでおこうと置いておいて本当に良かったと思えた。果たして映画史の中で、これほど律儀で丁寧なラストシーンがあっただろうか。『陽炎座』のラストの屋台崩しの原型的な思いも少ししたが、簡潔で無駄なく、まるで映画そのものを終わらせてしまうようなラストだった。大和屋竺の長編劇映画が最後になったのも納得できる気がした。観客も、いつまでも『恐怖奇形人間』や『幻の湖』の例のシーンばかりに喜んでいないで、『異常性愛記録 ハレンチ』や『愛欲の罠』の凄いシーンにこそ驚いて欲しい。
 傑作ではないにしても魅力溢れる佳作なので、こういう作品を初めて観ることができた驚きと、大和屋竺の恐ろしさにフラフラになった。もう一度、二度と観返して行きたい。活劇と恐怖と性が混在してラストは映画館で映画そのものを終わらせてしまう作品だった。つまりは、何度でも観るべき作品ということだ。